ベラルーシのジャーナリスト作家・スベトラーナ・アレクシエービッチの作品は未読だが、『第二次世界大戦の女性・ソ連占領下のアフガン・チェルノブイリ原発事故』など歴史的な重要事件を題材にした骨太なノンフィクション作品を描く。
ノーベル文学賞、ベラルーシのS・アレクシエービッチ氏に
フィクションで個人の心象風景を精細に描写する作品が好きな村上春樹、ノンフィクションで社会的・歴史的な大事件を分析し世に訴えるアレクシエービッチは、良くも悪くも完全に対照的な作家だと感じる。小説の面白さを抜きにして、より社会的インパクトがある作品という意味では、アレクシエービッチに軍配が上がるか。
しかし日本人で、スベトラーナ・アレクシエービッチの作品を読んだ人は殆どいないのではないかと思う。Amazonで検索すると日本語で読めるのは『チェルノブイリの祈り』『戦争は女の顔をしていない』『ボタン穴から見た戦争』『死に魅入られた人びと―ソ連崩壊と自殺者の記録』だが在庫がないものが多い。
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アップデートでスマホのGoogle検索のロゴが「新しいロゴ」に変わった。シンプルなゴシック体のロゴなのに、ポップなインテリジェンスを表象する存在感がある。シンプルな「デザインの力」か。久々に音声検索を試してみたら、1年前と比較して格段に精度が上がっている。単一の検索ワードなら殆ど聞き間違えがない。
スマホ検索の便利さは位置情報をGPSで提供できて、タクシーやホテル、レストラン・カフェなどと検索するだけで、『現在地近くの情報』が地図・電話番号つきで瞬時に検索できる事。天気アプリ・時刻表は現在地に合わせ自動で切り替わり、映画館も一回の検索で近場の公開時間が全て表示…10年前の情報環境とは懸隔の感がある。
チリ地震死者11人に、岩手で70センチの津波観測
地球規模で地殻変動と火山の活動期に入っているようで、立て続けに地震・火山噴火が起こっている。現生人類以外のホモ属が絶滅した原因の一つは、成層圏の太陽光を遮断した噴火だったが、大規模な地震・噴火はグローバルな生態系の危機にもなる。
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森博嗣の『すべてがFになる』からのS&MシリーズとVシリーズは全て読んだ。その後の作品群は、ライトなキャラ小説に傾いた感じもあるが、漫画化や映像化のしやすさにも配慮した本を書いていて、『売れる本(時代性・ニーズに合わせた本)』を書けるプロ作家だと思う。
西之園萌絵と犀川創平が活躍するS&Mシリーズは、浮世離れしたお嬢様+学者のコンビで知的な謎解きに合っていて、二人のちょっと斜めに構えた『人生観・世界観の論議』が好きだった記憶がある。
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『φは壊れたね』からのギリシア文字を掲げるGシリーズも西之園萌絵・犀川創平が登場するが、主人公の女子大生が変更されたようだ。森博嗣自身が大学教員であることもあって、大学・院を舞台に『俗世間の価値観』の弱い世界観を作り、金持ちのお嬢様で『経済的制約』を無くしているが、キャンパスライフと斜に構えた思考遊戯の融合の面白さがあった。
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『読書をする人』と『読書をしない人』のどちらが異性に好かれるかは、相手が読書をする人か否かにかなり左右されるし、『読書で得た知識・話題・物語を相手に興味を持たせて聴かせる会話力』にも影響される。
世の中の人の過半は『本を習慣的には読まない人・細かな知識を欲さない人(蘊蓄・教養を深めない人)』であるから、『自分が読んでいるジャンル・本』について一方的に語っても、その内容や理論、知識について真剣に聴いてもらえる可能性は低い。
読書好きな男性ほど恋愛上手? hontoが「読書と恋愛傾向に関する調査」を公開
何らかのジャンルや本について読み込んでいるからといって、それが恋愛上の魅力になるとは考えにくいし、『本・知識が嫌いな女性(話題を深く掘り下げるような会話を好まない女性)』も少なからずいるので、相手によるしケースバイケースだろう。
単純に外見・性格が好みの相手や収入が良い相手とどこかに楽しく遊びに出かけるだけで満足、ごちゃごちゃ小難しい話をするより買い物・レジャー・グルメのほうが良い、知識・教養などより結果としていくら稼ぐかの実利と生活のほうが大切だという女性も少なくないし(むしろ一般的な恋愛では多数派かもしれないし)、男女間における『話題・人間性の深み』というのは求められているようで求められていないといった曖昧かつ微妙なものである。
話題・人間性の深みや知的根拠へのこだわりを見せすぎることによって、『面倒臭い人間』として敬遠されることも多々ある。世渡りや男女関係では、少しシンプルで感情的でバカっぽく見せるくらいがちょうどいいし、『思考的・言語的』であるよりは『行動的・共感的』であるほうが『実利が多い・生活に役立つ』という意味で魅力的でもある。
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日本の民俗学の巨人といえば柳田国男(やなぎだくにお,1875-1962)と折口信夫(おりくちしのぶ,1887-1953)になるが、折口信夫の『古代研究』は記紀時代の日本人の精神・文化の起源が、現在あるべき日本人の精神・文化・価値を規定するという『規範的な伝統主義』に立脚していた。
柳田国男は言うまでもなく、天皇制国家を日本の普遍的かつ歴史的な常態とする『皇国史観』の民俗学的・文献学的な基礎を、物語的説得力の中に確立した国学の思想家である。柳田も折口も江戸期からの国学の時間的な流れの上では、記紀を根拠に『神国日本(神道の自然的な現れ)』を掲げた本居宣長(もとおりのりなが)の思想の継承者でもある。
本居宣長は『天皇の種(血統)』こそが、神国日本の本体(国体)であるというラディカルな貴種崇拝原理を信奉したが、この基本的な国家観は近代日本の戦争期において『国体=天皇制国家(天皇の血筋こそ日本の本体)』へと結実することになった。
折口信夫はアジア太平洋戦争における東南アジアや太平洋の島々への軍事的な南方進出を、記紀の『国生み』に喩えるなどして八紘一宇の戦争に協力的・肯定的な思想家でもあったが、柳田に薫陶を受けた折口の日本起源論では太古の時代に日本本土から南海に分離されたとする『沖縄』こそが『日本の原郷』であった。日本人の原初的な領域・生態を沖縄県(旧琉球)周辺に求める南島イデオロギーのロマンスに突き動かされた。
日本軍の軍事的な南方進出は、折口信夫にとっては記紀の神話伝説の再現であり、日本の原郷である沖縄県から更に南へと『本来の日本の原初的領域』を回復する運動として太平洋戦争は捉えられていた。あたかも小中華思想のごとく、日本の原郷・原風景が沖縄県よりも更に南へと無限延長し得るという世界観がそこにはあった。
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百田尚樹は小説の作品には面白いものもあるが、安倍政権への思想的な異常接近やネット上での口汚い罵倒・反論などが明るみに出て、『人物としての癖・乱暴さ』の方が話題になりやすくなった感じがある……良くも悪くもキャラクターが強すぎるのかも。
百田尚樹氏の『殉愛』に続々新証言 たかじん氏が前妻に頼んだ「看取り」
『殉愛』はやしきたかじんの晩年を軸にしたドキュメンタリー(ノンフィクション)と銘打たれているが、『取材する範囲・取材内容の質』に甘さが多く、『百田尚樹が書きたい(売れる)と思った物語の設定・枠組み』に半ば強引にやしきたかじんとその周辺の関係者を配置していった作品のように思える。
続きを読む 百田尚樹『殉愛』を巡るさまざまな新証言と晩年に現れやすい妻・家族との絆の問題 →
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