殺人事件をはじめとする被害者遺族の権利回復や感情慰撫については多くの取り組みがなされるようになってきているが、『連座制(家族の連帯責任)』を廃止した現代でも未だ、『家族の犯罪』によって他の家族が風評被害を受けたりその土地で暮らせなくなったり仕事を失ったりする問題が起こっている。
子どもを虐待(ネグレクト)して性格形成を歪ませたり、非行・犯罪の性向があると分かっていながら放置し続けていた親であれば、『子の犯罪の原因』の一端を間接的に担っていたという道義的責任の追求の余地はあるかもしれないし、年齢によっては民法上の未成年者に対する保護者(親)の保護監督責任が発生する。
また、明らかに家族が共謀したり教唆したり黙認したりしていたような犯罪であれば、家族も一緒に非難されるべきであるが、本人に責任(容疑者の事件に至るまでの原因への関与)がない『親の犯罪』によって『子ども(本人)の非難・不利益』が起こったり、『兄弟姉妹の犯罪』によって『本人の非難・不利益』が発生したりするのは理不尽ではある。
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トマス・ホッブズは『自然状態』を個人が自らの生存を賭けて他の個人を死滅させようとする『万人闘争の状態』であると仮定したが、『国家の領土・境界・主権』を譲ることなど有り得ない絶対的な価値として信奉する人たち(いくら人が死んでも死守すべき価値とする人たち)は、外交関係というものを基本的にどの国家が生存してどの国家が滅亡するのかを賭けて闘争する関係(敵と味方に分かれて奪い合う関係)という風に捉えている。
この記事は、『前回の記事』の続きになっています。
『戦争は外交の手段に過ぎない』というような個人の生命を軽視する主張も、『自然状態における個人間の殺し合い』を社会契約で調停しても、『国際社会における国家間の奪い合い』は永遠に続く闘争として存在し続けるという世界認識に立脚したものであり、多くの人は『殺し合い・奪い合う関係』に対抗する措置をリアリズムと呼んだりもするのである。
人間と国家の本性について『殺し合い・奪い合う関係』が正しくそれは変わらないと考える人は、国民国家の対立的なフレームワークを捨てることはないため、『国家の領土・境界・主権』は永遠に継続する価値のように思うことになる。
だが、人間の本性が本当に『生存と死滅、資源の奪い合いを賭けた闘争』にあるのかというと、大半の人は自分自身を振り返った場合には疑問だろうし、よほど追い込まれた飢餓や貧窮にない限りは、人間には『困っている相手を出来る範囲で助けて上げたい・懇願している相手に危害など加えたくない・恨みや怒りを覚えずにみんなが幸せに暮らせる状態が望ましい』という善良な本性が備わっていることもまた確かなのである。
歴史学者のカール・シュミットは、人間の本性は他者を死滅させようとする闘争にあるわけではなく、『資源の希少性(資源の不足)・生活の持続困難性』などの外的条件がある時に限って、人間は他者から資源や財産を奪い取ろうとする闘争の本能に囚われてしまうと考えた。現代であれば、この闘争の本性を生み出す外的条件に『自尊心の傷つき』を加えても良いだろうが、鳩山元首相のような生活の苦労や生存の危機を経験的に知らない大金持ちが、人間の本性をより『闘争から離れたもの・共生と利他を実現しようとするもの』として解釈するのは半ば必然的なことでもあると言えるだろう。
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思想問題としては、『なぜ目に見えない国境は存在するのか、国境の線引きの根拠はどこにあるのか、どうして国家は実利(生産性・居住性)の薄い国境でも譲らないばかりか時に殺し合いまでするのか』は古くて新しい問題でもある。
この記事は、『前回の記事』の続きになっています。
近代以前の国境(領土・領海)は、基本的に人間が居住したり生産活動や統治行為(徴税)をしている場所をベースにした広がりに過ぎず、生産的・居住的な縄張りと分かりやすい地形上の区切りをやや拡張した曖昧さを残すものだった。近代国家として産声を上げた日本が、竹島・尖閣諸島を誰も支配してない『無人の無主地』と認定して占取権を宣言できたのも、周囲の前近代国家の国境の概念が確立しておらず、そういった生産性・居住性の低い無人島・海域への権力の関心が相当に弱かったからでもあった。
いうまでもないが物理的な地球上の土地や海には分かりやすい線などは引かれていないため、国境という人工的な領域の線引きは『(国際社会に承認された線引きがなされた)世界地図』を目安にしながら、『相対性・恣意性』を必ず伴うことになる。その相対性・恣意性が強まる領域というのが『他国との境界線・無人かそれに近い辺境』であり、中国が強硬に領有権(核心的利益)を主張している『尖閣諸島』というのはその辺境(境界線)なのである。
無知のヴェールによる正義論で知られる政治哲学者ジョン・ロールズは、『諸人民の法』の中で、近代国家の国境は確かに恣意的なものでありその根拠には疑念のある線引きも多いが、そうであっても『一定の囲い込んだ領域内部における人々の生活・生産活動と環境保全』に責任を持った統治を行うという政治的意思の表明としての『現状の国境のあり方』を、完全に無効なもの(フリーな出入を許しても良いもの)と見なすことはできないという『功利主義の持論』を述べている。
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鳩山由紀夫元首相が、『中国の立場=中国側が解釈する戦後の領土返還範囲(カイロ宣言が含む範囲)』を忖度した発言をして、与党や世論、ウェブで大バッシングを浴びている。鳩山さんの政治思想は『空想的な世界政府(アジア政府)を前提とする平和主義=包括的な人権保護のディシプリンに従う諸国家・諸民族』に基づいているので『現実にある国民国家の枠組み』の斜め上を突っ走っていき、そもそもまともな議論としての現実の土台を欠いている。
政治評論家や社会批評家、文学者などの職業であれば、鳩山元首相のような『理想状態の政治・相手の立場に立った持論』というのも面白い人道的なアイデアであるし、『国民国家の領土』よりも『ユニバーサリズムの人権』を上位に置くという思想は確かに、(それにすべての国民が同意するというありえない前提を置けば)領土紛争や民族紛争を殲滅するような思想の原理論的な射程は持っている。
しかし、残念ながら現実に生きている人々の多くは『理念的な地球人・世界人』ではなく、『どこかの国・民族に帰属する国民(部族)』として生きているのであって、少なくとも21世紀の前半のうちには『内と外を切断して内部で利益配分しようとする国民アイデンティティ(共同体的意識の範疇)』を無きものにすることは不可能である。
確かに、国民国家と呼ぶべき政治単位は『自然的・物理的・必然的なもの』ではなく『人工的・教育的・思想的なもの』に過ぎないとも言えるのだが、『統治権力・言語・歴史・土地・外見の共通性などでグルーピングされた集団』が自己集団(自国)と他者集団(外国)を区別して、自己集団の身内を優遇して他者集団の知らない相手を排除しようとする動物的な本性そのものはおそらく人類には克服することができない。人類全体の敵となる先進文明・兵器を持つ宇宙人(人類と別種の知的・戦闘的な生命体)の軍隊でも襲来しない限りは。
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円高を是正して株価を一時的にせよ押し上げた“アベノミクス”の評価もあるが、理想倒れに終わった民主党政権の失策と失望によって、政権を取る前までは二大政党制の可能性があった『民主党』自身が自滅した恰好になった。
東京都議選:自民59人全員当選 第1党奪還 民主惨敗
都議選の大勝は自民党の支持が一挙に高まっているというよりは、少しでも『現実味のある政策・地に足の着いたビジョン』を出しているように見える政党が、もはや自民党しか見当たらなくなり、票を投じたいと思える政党のバライエティが失われたということ(政治への無関心)の現れである。
金融緩和・財政政策によって財政悪化は着実に進むことになるが、株式市場を刺激する以外には実体経済の成長戦略に説得力がないアベノミクスは、長期的には公的債務を積み上げていくつかの株式市場の好況の波を残すだけで失敗する恐れも強い。
自民党中心の保守政権への懸念は、財政再建・国民所得への還元率を無視した経済政策にもあるが、それと合わせて、個人の自由権を軽視して国家全体の秩序・規律の強制力を強めようとする『憲法改正の内容(米国追随の集団安保と権利規制)・人権感覚の低さ・対外政策(中朝の軍事的・領土的脅威論を煽っての防衛費増額)』なども、衆参で3分の2以上の多数派勢力を得た場合には現実的な問題になってくる。
続きを読む 東京都議選の自公の圧勝。参院選も自民が圧勝する可能性は高いが、その『憲法観に見る理念・楽観的な公約』には懸念も多い。 →
総合評価 77点/100点
侵入された男に拉致されて森林公園の奥地にある穴に監禁されたジル(アマンダ・セイフライド)は、何とか自力でその穴を抜け出して凍死寸前のボロボロの状態で保護された。だが、ジルには重症の精神病での入院履歴があり、『作話(エピソードの創作)』の虚言癖があったため、警察は女性連続誘拐犯に拉致・監禁されたというジルの証言を『虚言』と決め付けて信用せず、精神病の影響による自主的な失踪事件として片付けてしまった。
家族が突然行方不明になっても警察が動いてくれないという事例は日本でも相当に多い。犯罪行為に巻き込まれたという客観的な物証・目撃証言がなければ、成人の行方不明は『本人の意思による蒸発・失踪(連絡不能な状態)』として片付けられ、危険人物による拉致監禁であれば人知れず生命を奪われている恐れも高い。
アメリカの年間の行方不明者数(missing persons)は約70万人で、約8~9万人の日本の9倍近いアメリカ人が毎年原因不明の失踪・蒸発をしているが、その全てを捜索する余裕が警察にあるはずもなく、失踪した本人が自分で帰ってくるケースも多いが、十年以上にわたって音信不通の状態が続き生死が不明のままで終わってしまうこともある。
アメリカでは、今年も、近隣で誘拐された複数の女性が約10年間にわたって、容疑者の男によって住宅街の中で孤立した民家(空家のように見られていた釘打ちされた民家)に監禁された事件が明るみになったりもしたが、地域コミュニティの衰退によってこの種の偏執的で悲惨な事件は少なからず発生している。日本でも新潟少女監禁事件のように、母親と同居する一軒家でひきこもり状態にあった中年男性が、誘拐した女児を10年近く監禁したという信じられない不気味な事件もあった。
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