鳥山明の新連載『銀河パトロール ジャコ』:全盛期の『ドラゴンボール』は読んでいたが。

漫画とテレビアニメが同時進行した鳥山明の『ドラゴンボール』の全盛期には、小中学生がドラゴンボールを読むために週刊少年ジャンプをこぞって買う社会現象にもなり、その後には各国の言葉に翻訳されて世界展開する流れも生まれた。

鳥山明氏、13年ぶり新連載決定 タイトルは『銀河パトロール ジャコ』

鳥山明は日本の漫画・アニメが世界でも通用するという『ジャパニメーション』の先駆けになった作家でもあり、RPGの『ドラゴンクエストシリーズ』のモンスターのイラスト作成も手がけて、スライムやドラキー、さまよう鎧など多くのポピュラーなモンスターの典型的なデザイン(造形)を確立したりもした。

当時は、モンスターのリアルな造形や雰囲気を売りにする『ファイナルファンタジー』とは違って、『ドラゴンクエスト』にはアニメ的なイラストの親しみやすさやモンスターをはじめとするキャラの確立(キャラ立ちの魅力)があったように思う。

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スマートフォンの就寝前の使用と居眠りの頻度(睡眠の質)についての研究

昔は夜寝る前にテレビを見たりゲームをしたりすると睡眠の質が悪化すると言われていたが、その対象がゲームやパソコンからスマートフォンに移ってきただけという感じもする。

寝る前スマホは眠りに悪い?居眠り学生急増

仕事の一部も映像も娯楽(コンテンツ)もコミュニケーションも読書も、スマートフォン一台でこなせるようになってきているため、『スマートフォンの使用時間』が増加していく傾向性は変わらないし、『就寝前の使用頻度』も増えるだろう。

スマホではなくテレビやパソコンなら寝る前に見てもいいだろうという話でもなく、パソコンを長時間使っていたらやはり日中は眠くなる。また、『寝る前まで娯楽的・コミュニケーション的なウェブへの興味関心』が強いということは、それだけ『他の事柄に集中しにくい心理状態』になりやすいということでもある。

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生活保護の政策的な減額に対する集団訴訟2:生活保護給付水準が高いと思われはじめた背景

憲法25条は国民主権と最低労働条件、社会保障をハイブリッドした条文であり、その本来的意味は『生活に困ったら国に助けてもらう』という依存的・受動的な国民規定の趣旨ではなく、『生存権の実現のために国・企業の不正な構造や貧困に導く制度設計を是正していく(貧困に押しつぶされずに労働・政治・連帯を通して生存権の権利維持を訴える)』という自立的・能動的な規定として読まれるべきだろう。

この記事は、『生活保護の政策的な減額に対する集団訴訟1:労働者層と生活保護層の境界線の揺らぎ』の続きになっています。

国家権力から完全に保護された国民は、逆に国家からその生活行動を完全に管理されて支配されるような弱い客体(統治される存在)にならざるを得ない。その意味でも憲法25条の生存権は、『全面的な依存・無条件の社会保障』ではなく『不正な構造改革や個人の尊厳を背景とする生存権の要求(身体・精神・雇用が不可逆的に損傷されていない限りは自立心を放棄しきらない上での生存権の要求)』としてあるべきなのかもしれない。

生活保護の給付水準が高いのか低いのかの判断は簡単にはできないが、一般的に生活保護給付水準は『基準世帯の平均所得の約50%前後』に設定されている。しかし、この社会全体の平均的な所得世帯とされる『基準世帯』というのが、大体月額30万円程度の収入を得ている正規雇用層なので、現状では『平均以上の収入を得ている世帯』と見なされやすく、働いていても30万円までは稼げていないという人が多いのも確かである。単身世帯の生活扶助の金額は東京でも10万円未満であり、生活保護が特別に高い水準にあるかというと微妙だとは思うが。

基準世帯の50%の給付水準となると、ちょうど非正規雇用やアルバイトと同程度の収入になり、若年層を中心にして非正規雇用層が増大したり、正規雇用の労働条件や負担感がきつくなっている中で、『生活保護層が不当に優遇されていて、労働に対する報酬(実利)は減っている』という被害者意識や不公正感に結びつきやすくなっている。一般的な労働者の所得が減少傾向を示し、デフレ経済で物価も安くなっていることが、『生活保護給付水準』を相対的に高くしている構造問題がある。

生活保護世帯数と保護率の推移

http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/2950.html

働いている人の『真の平均所得』が、生活保護層の生活扶助の2倍以上の所得がある時に、『労働に対する報酬』に納得がいきやすいという風に見ることもできるかもしれない。生活保護には医療費免除の『医療扶助』もあり、『生活扶助』と『医療扶助』を区別しているところも、『生活扶助と同程度の収入』から医療費もやりくりしなければならない労働者の不満を買いやすい。

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生活保護の政策的な減額に対する集団訴訟1:労働者層と生活保護層の境界線の揺らぎ

高所得者であるお笑い芸人の母親が生活保護を辞退せずに受給し続けていたというニュースが報道され、自民党の片山さつき議員らがTwitterなどで『生活保護不正受給者のバッシング・生活保護者増加(210万人以上)への財政的懸念の訴え』を始めた辺りから、労働者低層よりも不当に厚遇されている、保護水準が高くて働くのがバカらしくなるというロジックで生活保護受給者に対する風当たりが強くなった。

生活保護減額で集団提訴へ=「憲法違反」主張、支援者ら

一部のマスメディアの報道姿勢もあって、実際には1%未満である不正受給率であるにも関わらず、生活保護者の多くが本当は働けるのに働かないだけの不正受給者(あるいは反社会的勢力の絡む不正受給)であるというような誤解も広まりを見せ、約3.8兆円の予算規模が国家財政(将来の福祉政策の持続性)を逼迫しているという批判も多くなった。

1990年代までは、生活保護・貧困層に対する憐憫や軽視を伴う差別意識は残っていたものの、それは『自分は生活保護を受けたくないから頑張ろうという意識』に転換されることが多く、また現実的にも生活をあれこれ監視されながら生活保護を受け取るよりも(昔は仕事用の車も体調管理のためのクーラーも保有できなかった)、何らかの仕事を頑張ってしたほうが身入り(実収入)が良いことが自明であった。

『生活保護を受けている人のほうが恵まれているように見えるから(あくまで主観としてそう見えるであって本当に良い生活をしているかは甚だ疑問である)イライラする』や『自分はやりたくない仕事をしても少ない収入しか得られない。だから、働いていない生活保護者はもっと給付水準を引き下げられるべきだ』という感覚が広まっている背景には、『中流社会の崩壊・雇用環境と給与水準の悪化』がある。

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富士山の世界文化遺産登録と『概念・権威』による自然(生物)の価値判断

富士山は環境問題(ゴミ問題など)の指摘から『世界自然遺産』への登録が難航していたが、日本の歴史的な信仰・意識・芸術・景観が輻輳した富士山の総合的な評価を訴える『世界文化遺産』に切り替えた事が奏功した。富士山とその標高(3776m)の知名度は国内では圧倒的であり、富士山を直接視認できない地域の人でも知らない人はまずいない。

海外の親日家や外国人の日本文化愛好家も『富士山』の名前と山容の形態は知っているが、それはヒマラヤ山脈のエベレスト(チョモランマ)やK2、ダウラギリ、ガッシャーブルムといった『世界最高峰レベルの山(欧米の登山家がそそり立つ岸壁に征服欲・野心を滾らせた山)』とはかなり情緒的な色合いが異なる文化的な憧憬を伴うものだともいう。

葛飾北斎の『富嶽三十六景』は日本人の富士講の信仰心を背景にしているとも言われるが、外国人が見ても葛飾北斎や歌川広重らが描いた『浮世絵の富士山』に普遍的な美しさを感じるという声は多い。峻烈さと秘境性が際立つ世界の最高峰群と比較しても、そのフォルムに『簡潔明瞭の美』があるとされるが、確かに見た目の視覚的な安定感と普遍的な実在感に抜きん出たものがある。

浮世絵の価値は、外国人が再発見した日本の美と言われることもある。富士山の世界文化遺産登録によって日本人の登山者が急増したり、今まで富士山や登山に何の興味もなかった人が初めて興味を持つのであれば、それは『外国人(ユネスコ)が改めて強調(再認)してくれた日本の美』と呼ぶことができるものかもしれない。

日本人だけにとっての富士山の美にも価値はあるが、多くの外国人も認識して承認する富士山の美は、その価値判断の裾野を更に広げるし、グローバルなお墨付きが与えられることで『日本人にとっての富士山の価値(富士山を見る日本人のまなざし)』にも興味の増進や登りたい意欲といった変化を必然にもたらすことになる。

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