宇多田ヒカルが藤圭子と楽曲に投影した“母親的なものの表象”と“守りたい(守られたい)欲求”

藤圭子さんが情緒不安定になって感情・気分の波が激しくなり、妄想・幻覚・興奮といった精神病的な症状に苦しめられ始めたのは、娘の宇多田ヒカルさんがまだ小さな頃からだった(具体的に何歳かは記されていないが)ということから、藤圭子の精神疾患あるいはパーソナリティ障害のエピソード(症状の履歴)は相当に長いということにはなる。

藤圭子さんは米国の心療内科での長期入院の経験があり、付添人がいてもなお自殺企図を起こしたことからもその精神疾患の程度は重く、あるいは重症うつ病のような抑うつ感・希死念慮・厭世感が慢性的に生じていた可能性がある。

『家族との長期的なコミュニケーションの断絶』が耐えがたい孤独感・疎外感につながっているというような本人の述懐もあったようだが、元夫の話などでは家族といる時にも精神的に不安定になることが多く、家族としても『どういう風に接して上げれば良いのか分からない・ネガティブな感情や興奮に自分も巻き込まれてしまって苦しい』という事情があったのかもしれない。

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歴史や政治を勉強しながらどのような主体になっていきたいのか:真面目で公共心の強い人の美点とリスク

歴史や政治をもっと勉強したほうがいいという一般的な意見はあるが、中国・韓国の『反日教育(日本を仮想敵として警戒し続ける教育)』が典型的であるように、自国の歴史や政治について偏った勉強や自国最優先の教育をすることによって、かえって『人間らしい感情や倫理に基づく判断力(自分以外の他者に対する共感的な想像力)』が低下する副作用が生じることも少なくない。

○日本の歴史認識に基づく未来志向の東アジア外交の展望:パブリックな国民とプライベートな私人

歴史認識や政治判断に凝り過ぎると、『過去の出来事の積み重ねによる因果・それについての知識の解釈』によって自分自身の意識や判断、価値観が束縛されて、『人間らしい感情・倫理に基づく判断力』が『国家主義・国益確保・政治対立』よりもずっと価値がないように感じられたりすることも多い。

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日本の歴史認識に基づく未来志向の東アジア外交の展望:パブリックな国民とプライベートな私人

日本は『韓国併合・日中戦争(満州国建国・中国大陸への進出)』について反省と謝罪の政府レベルの談話(河野談話・村山談話)を出しているが、それは『過去の経済的・軍事的に膨張した近代日本の戦争や政治判断』を反面教師にして欲しい(中韓が批判している大日本帝国の拡張主義・軍拡の威圧・外国領土の実効支配などの同じような過ちを繰り返すべきではない)という中国・朝鮮半島への要請でもあると見なすべきだ。

故に、『現在の尖閣諸島への中国公船の侵入・韓国の竹島の一方的な占拠(過去の日本漁船の拿捕や漁民殺害)』については、『中国・韓国が批判する大日本帝国時代の日本の既定事実化の方法』を採用しているのではないかという立場から厳しく糾弾する外交戦略を用いるべきだろう。

日本が憲法9条によって実践している『紛争解決手段としての武力行使の放棄』を中国・韓国に対しても鋭く迫り、国際司法裁判の場で堂々と相互の歴史認識(領有権の理由とするもの)を対峙させようという申し出をするのが本筋である。

○メディアやネット(本)を介して拡散するヘイトスピーチと東アジアに残る相互不信の壁

日本が軍国主義に戻ることがないことの根拠として9条を提示し、なぜ中韓が日本の平和主義の憲法理念に倣わないのかの根拠を求めながら、『日本の右傾化』があるとすればそれは中韓の軍事力を背景にした領土外交もその一因であるとの説明を行い、お互いにイタズラな不信感(危害を加えられるかのような恐れ)を抱かせるような政策や外交について抑制していける落しどころを探したい。

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メディアやネット(本)を介して拡散するヘイトスピーチと東アジアに残る相互不信の壁

日本と中国・韓国の間で『相手国に対する国民感情』が近年目立って悪化しているという世論調査の結果がでているが、『どうして日本(中国・韓国)に悪いイメージを持つのですか?』という理由については、『個別の日本人(中国人・韓国人)に実際に危害を加えられたから・個人としての日本人(中国人・韓国人)が嫌いだから』という答えは全体の1割にも満たない。

それぞれの国の政治や歴史、デモ、教育、世論、領土問題についての『間接的な知識・情報』によって、それぞれの国における敵対感情や悪印象、嫌悪感が作られている構造がある。

それでも、大半の人は『どちらかというと好ましくないイメージ・国家間の外交関係や歴史認識の調整が上手くいっていないイメージ』という感想に近く、日常的に日中韓の外交・歴史に関する感情的な対立を意識したり表現したりすることはほとんどないわけで、常にいつも『政治的・国家主義的な意識(自分と国家とが一体化したかのような心境)』で毎日を生きている人は少ない。

実際に戦争や憎悪表現、差別意識の応酬をしてでも、相手を屈服させたいというほどの敵対感情を抱えた人はほとんどおらず、マスメディアなどが報じる排外主義・差別意識は『一部の過激なナショナリスト』のデモンストレーションが過度に一般化されて語られている向きが強い。

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