My life has no purpose, no direction, no aim, no meaning, and yet I’m happy. I can’t figure it out. What am I doing right?
私の人生には目的も方向性も目標も意味もない。それでもハッピーだ。自分でもなぜだか分からないが、私は知らないうちに何かいいことでもしているのかな?
I love mankind; it’s people I can’t stand.
人類(観念としての人)は愛しているんだけど、耐えられないのは人間(実在する自分の意思と対立する個々の人々)さ。
Charls Schultz
チャールズ・シュルツは、スヌーピーのキャラで知られる漫画『ピーナッツ』の作者で、こういったシニカルな風刺の効いた表現を漫画内で散りばめているらしい。
人類愛・博愛を語って争いや憎しみを否定する人たちは多いが、『人類』は愛せても、実際に意思や価値観を持ち、自らと対立する言葉を語る『人々』を個別に愛するのは簡単なことではない。人間世界に争いごとが絶えない所以でもあるが、『観念・理念』を愛せるように『個物・実際』を愛せる人は、ある種の無私の境地に到達した聖人に近いものかもしれない。
現代社会では『目的・目標を掲げて堅実に計画的に生きるような意味のある人生』が模範とされるし、それから外れた目的志向ではない場当たり的な人生に、劣等感や苦悩を抱えてしまう人も多い。
そういった直線的で勤勉な目的志向から軽妙に外れて、俺は自分でも分からないがなぜかいつもハッピーだと思えるおどけた感覚が面白いと思う。こんなに自分が幸せなのはきっと自分が正しいことをしているからではないか(俺は何か正しいことでもやったのか?その見返りできっと楽しいんだろう?)という、自己満足のご都合主義的な解釈も楽観主義のシュールさがあって良い。