チャールズ・シュルツとジョン・レノンの言葉(アフォリズム)より

My life has no purpose, no direction, no aim, no meaning, and yet I’m happy. I can’t figure it out. What am I doing right?

私の人生には目的も方向性も目標も意味もない。それでもハッピーだ。自分でもなぜだか分からないが、私は知らないうちに何かいいことでもしているのかな?

I love mankind; it’s people I can’t stand.

人類(観念としての人)は愛しているんだけど、耐えられないのは人間(実在する自分の意思と対立する個々の人々)さ。

Charls Schultz

チャールズ・シュルツは、スヌーピーのキャラで知られる漫画『ピーナッツ』の作者で、こういったシニカルな風刺の効いた表現を漫画内で散りばめているらしい。

人類愛・博愛を語って争いや憎しみを否定する人たちは多いが、『人類』は愛せても、実際に意思や価値観を持ち、自らと対立する言葉を語る『人々』を個別に愛するのは簡単なことではない。人間世界に争いごとが絶えない所以でもあるが、『観念・理念』を愛せるように『個物・実際』を愛せる人は、ある種の無私の境地に到達した聖人に近いものかもしれない。

現代社会では『目的・目標を掲げて堅実に計画的に生きるような意味のある人生』が模範とされるし、それから外れた目的志向ではない場当たり的な人生に、劣等感や苦悩を抱えてしまう人も多い。

そういった直線的で勤勉な目的志向から軽妙に外れて、俺は自分でも分からないがなぜかいつもハッピーだと思えるおどけた感覚が面白いと思う。こんなに自分が幸せなのはきっと自分が正しいことをしているからではないか(俺は何か正しいことでもやったのか?その見返りできっと楽しいんだろう?)という、自己満足のご都合主義的な解釈も楽観主義のシュールさがあって良い。

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阪急阪神ホテルズなどの『メニュー誤表示(偽装表示・誇大広告)』の問題。

個人的に然程の興味関心や実害があるわけではないのだが、阪急阪神ホテルズの出崎社長の会見は『言い訳じみた自己弁護の主張・部下に全責任を擦り付ける卑怯な言い分』だとして随分とメディアや世論から叩かれていた。『信用していたのに騙された感じで不快・阪神阪急のブランドがもう信じられなくなった・安い食材を高い食材に見せかけて不当利得を得たのではないか』などの街中を歩く通行人(利用者もいたようだ)の意見が出されてもいた。

このレストランの誤って表示されたというメニューが、どういった『顧客の意識・お金の払い方』の下で出されていたのだろうかということはちょっと気になった。高級レストランの数千円~数万円するようなセットのメニューとして『食材・産地・ブランド』などを誤って表示していたのであれば、動機も結果も『不当利得・誇大広告(優位誤認)』を狙ったものだと見られても仕方ないと思う。

自分がそれだけの割高な料金を支払って食べたコース料理などがそういった誤表示だったら、個人的に損したとか騙されたような気持ちになるかもしれないし、食材のコストをケチるために意図的に偽装したのだろうなという推測を持つだろう。

一方、割安な宿泊費とセットになっているような『ビュッフェ形式(食べ放題形式)』だったり、あらかじめ料理を並べておく朝食などにある『定食形式』だったりしたのであれば、個別のメニューそのものや産地・ブランドなどを初めから余り気にしなかった可能性がある。誤表示だったと分かっても『少しでも美味しそうに見えるように表示に食材や産地のブランド価値を持たせたかったんだな』くらいは思っても、『騙して不当利得を掠めようとしたんだろう』とまでは思わないかもしれない。

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半径数十メートル以上が“無人”の土地を除いて、“自由な屋外喫煙”は難しい時代に。

1950~1970年代までの日本の工場地帯や都市部では、今の中国・北京界隈と同様に“タバコの煙”が臭い煙たいとか苦情を言う以前の問題として、鉄鋼・化学の工場の赤白の煙突から濛々と吐き出される白煙・黒煙、自動車のマフラー(特に大型トラックのディーゼル機関)から溢れ出る規制の甘い排気ガスによって、視界が数メートルも効かないほどの『光化学スモッグ・公害(呼吸器系疾患・アレルギー性疾患)』にダイレクトに苦しめられた。

水俣病や四日市ぜんそくといった公害による際立った健康被害が目立っていてもなお、『高度経済成長・物質生活の豊かさ・重厚長大産業による終身雇用』を至高とする価値観は根強く、『大気・水・土壌の安全と快適さ』のために経済成長を犠牲にしようという意見は少数に留め置かれた。当然、外的環境や国民の価値観が全体としてそのようであれば、タバコの副流煙云々を問題視する声は上がりにくいし、『労働者の気晴らし・休憩としての喫煙』は当時は男性中心の企業文化のメインロードでもあった。

銜えタバコで電話応対も取材活動(手仕事)も当たり前、会議室や休憩所は涙が出るようなタバコの煙で充満しているのが常、大半の男が歩きタバコで繁華街を闊歩するという現代からすれば『時代錯誤極まる職場・社会』があったわけだが……それから30年以上、時代も外的環境も価値観も大きく変わってしまい、『喫煙の入口=未成年の不良文化・仲間意識の背伸び喫煙』も減っていき、喫煙者率そのものが大幅にダウンした。

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“男が要らないと思う女が増える平和な時代”と“ジェンダーの差異が曖昧化する男女”:2

人間社会の歴史的推移を見渡せば、戦乱が多くて貧しい時代(理屈・正論を言っていられない力と勝ち負けの時代)には『男性原理』が強まり、平和が続いて豊かな時代(理屈・正論が検証されやすい知と倫理の時代)には『女性原理』が強まる傾向がある。古代ローマ帝国でもその成熟期には女性原理が強まって少子化が進んだという記録があるが、女性の発言力や自由意思、稼得能力が強まると『性別役割としての出産・育児の義務』が弱まるので、一般に男性社会よりも出生率は低く推移しやすい。

『広義の暴力(戦争)・暴言』が法律と倫理、自尊心で禁圧される現代という特殊な時代環境においては、他者を暴力あるいは実力で打ち倒そうとしたり、勇ましい自分を誇示したりする『男性性・男らしさ』を発揮できる場面は、経済競争や見せかけの肉体(筋力)に限られてくる。

そのため、男性主義的な過去の共同体原理や男女の役割分担に郷愁を寄せる人たちは、常に『戦うべき外敵の存在や侵略の危機(女子供を守る男らしさとしての腕力を発揮できる場)』を求め続けていたりもするが、これは裏返して考えれば『物理的な暴力の危険性』が十分に低ければ、伝統的な男性ジェンダーの中核にあった勇ましさ・逞しさ(いざという時の暴力による防衛)の必要性も弱まってしまうことを意味する。

暴力(武力)によってしか解決や防衛ができない種類の問題がなくなれば、男性原理は女性原理にその場を譲る他はなくなるし、『男らしさに特有とされてきた正義・防衛のための暴力(これも自分・自民族以外の男の暴力であって男同士の争いになりがちだが)』を専売特許とするような政策や文化、価値観の形成も難しくなっていくだろう。

暴力・武力が時に正義や武徳として賞賛されてきたのは、『自分たち以外の不当な暴力・武力の存在』を想定することができるからであり、軍事力強化の必要性を情緒的に説く文句には『外国から侵略されると自国の女性が性的に蹂躙されてしまう』といった外部の男の暴力性・強姦性をことさらに強調するものも多い。どう間違っても、『外国から侵略されると自国の男性が性的に蹂躙されてしまう(労働力として奴隷化されるなどの主張はあるが)』といった文句にはならないところが、本質的な男女のジェンダーの差異というか教育・文明・倫理によって制御されている『潜在的な男性の暴力性(性の衝動性)』を暗示しているのだろう。

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“男が要らないと思う女が増える平和な時代”と“ジェンダーの差異が曖昧化する男女”:1

福岡伸一氏の『できそこないの男たち』では、生物学的に見た男性(オス)は、女性(メス)をベースとする個体に対して、『遺伝子情報の複雑性(環境変化に対する生存適応度の上昇率)』を与える触媒に過ぎない事を看破していたが、ヒトの男女関係は『恋愛(性と文化)・結婚(制度と育児)・経済(扶養)・権力(暴力)』が絡むことで非常に個別的で複雑な様相を呈することになった。

生命進化の歴史としては、『無性生殖』の段階ではメスの遺伝子情報の単純なコピーのみによって自己を複製していた生物が、メスの基本フレームからオスという別の性を分岐させて『有性生殖』ができるようになり、『環境変化に対する適応能力(遺伝子情報の多様性・選択性・突然変異率)』を格段に高めることになった。

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しかし、生命の基本フレームはメスの身体構造に起源があり、人間も受精卵からの生命の発生・細胞分裂のプロセスでは『女性的な身体構造』が先に形成されて、そこに男性ホルモンが作用することで『男性的な身体構造』へと分化していく。そのため、変異体であるオスは一般に基本型であるメスよりも平均寿命が短くて病気に対する抵抗力も低い、特に発生プロセスでの負荷や免疫能に対する影響がある乳幼児期には男の子ほうが病気に罹りやすい。

昆虫のような単純な構造の生物になればなるほど、メスはオスよりも優位な地位・立場を持っていることが多いが、これは『遺伝子多様性を増すための役割』という生物学的なオスの意味づけがより直接的であるためだ。カマキリのオスは交尾後に、メスの産卵のエネルギー源となるために自らの身体を食料として差し出して儚い一生を終えるが、食べられないにしても虫には授精後にオスが(メスも)死んでしまう種がいて、これは『育児の不要性(人間的視点からの親子関係の不在)』という昆虫の生態に見合ったものなのだろう。

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iPad AirとiPad mini Retina

タブレットの王道となりつつあるiPadの新モデルが発売されたが、今回の変更点は以下のような感じで革新的な変化とまではいかないかもしれない。

1.64ビットCPUである“A7”の採用による処理速度の向上。

2.9.7インチのiPad Airの薄型化・軽量化。

3.iPad miniへのRetinaディスプレイの搭載。

それでもタブレットとしての使いやすさやディスプレイの液晶の精細さは、他社のタブレットと比較すれば上回っているので、初めてタブレットを買う人やAppleフリークな人には有力な選択肢になるのだろう。価格は他社製品よりもかなり高めではあるが、いったん買えば地面・水に落とさない限りそう簡単に壊れる商品ではないので、数年間は使い続けることができる。

パソコンの用途があまりない人は、タブレットに変えてしまう人も増えているようで、『パソコン市場の低迷』は『タブレット市場の成長』とリンクする形で進んでいる。

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