安倍晋三政権には、『景気回復・企業優遇・財政再建後回しのマクロな経済政策』と『国民統合・軍事力強化・憲法改正の安全保障政策や国家観(国民教育)の変更』という二つの側面がある。
表向きには、景気を回復させ経済を成長させて国民の所得を増やしますよ(生活を今よりも楽にしますよ)という誰もが受け入れられる政治の目標を掲げる。
その一方で、安倍首相が本当にやりたいことは『経済政策』ではなく、国民を統制する改憲や規制強化を含んだ『戦後レジームの脱却(復古主義的な国家観の後押し)・日本国憲法の基本精神の否定』なのではないかという見方も根強くあり、戦犯から権力の座に復帰して『昭和の妖怪(日本国政府と米国CIAの媒介者)』と称された祖父・岸信介の政治的DNAの後継者を自認する節があるのだともいう。
岸信介が左派(反ベトナム戦争)の反対運動を抑えて実現した日米安保条約改定の延長線上に、安倍晋三首相が理想とする『日米同盟の永久固定化』があり、遅れてきた帝国の中国に対抗する日米同盟・ASEAN連携を核とする包囲網があるのだが、これは憲法9条改正による『戦後レジームの脱却』というよりは『戦前レジーム(力の論理)のバックラッシュ』でもあり、日本経済及び米国覇権の潜在的な陰りを察知してのあからさまな変節(豊かさ+経済から将来不安+軍事へのシフト)でもある。
安倍首相の今までの言動や思想から類推されるものとして、『積極的平和主義による対米追従外交と軍事防衛力強化(日本の自衛隊の海外派遣増加や東アジア情勢の刺激に伴うリスク)・国民の愛国心や同調性の強化(権力権威に従順な国民育成)・公益や公の秩序の名を借りた自由権の制限や義務の強化(個人の尊厳原理に基づく立憲主義の撤回)』なのではないかという懸念も持たれているが、それと同時に『アメリカからの年次要望に対する従順さ・経済のグローバル化・多国籍企業の利益率増の税制支援』もあるのでその本音は見えにくい。
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かつては性的マイノリティやレアケースには、政府・法律は何らの保障・承認を与えないまま、『みんなと異なるセクシャリティやライフスタイルは個別の自助努力の範疇で生活改善・差別軽減を図るべきだ(そうでなければマジョリティが構成する社会秩序や風紀に悪影響をもたらすし少数であれば放置しても全体は困らない)』という態度で知らぬ存ぜぬを決め込んできた。
だが、性的マイノリティに対する理解の増加、婚姻できない(親として法に認められない)本人による違憲判断を求める訴訟の続発によって、政府も無視を続けることは困難となった。
“婚姻・家族・親子”と“法律”の関係:憲法原則1:同性婚・生殖医療からの視点
家族や親子、人間関係(男女関係)の多様化に対して、政府や法律が後追いしながら追認・許可するような形がずっと続いており、2004年にも『性同一性障害特例法』の制定によって同性愛者でも法律上の婚姻ができるということが保障された。この当時においては、生物学的な男性と男性、女性と女性が結婚するのだから、美容整形手術やホルモン治療、性転換手術によって外見は違う性に見えるようになっていても、子供はできないという無条件の前提が置かれていた。
同性愛者であれば子供が欲しくても養子を貰う他はないという臆断がそこにあったわけだが、実際には『生殖医療技術の進歩・普及』が不妊症で悩む夫婦だけではなく、二人の間では子を作れない『生物学的性差が同じ夫婦』にも子をもたらす事態が生まれてきた。
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嫡出子と非嫡出子の相続比率に格差を認める民法の規定は違憲であるとの最高裁の判断が示されたことで、本来伝統的な家族形態や法律婚の規範性を支持していた自民党の保守派も、民法改正に着手せざるを得なくなった。
『法律婚の事実婚に対する各種の優位性』をどこまでフラット化すべきかは、特に『配偶者扶養・税制や控除・財産権や相続権』などにおいて今後の婚姻率低下の要因とも絡む大きな問題になるが、『生まれてくる子の自らの行為に拠らない不利益・不平等』になる法的な強制は難しくなる方向性にあるのだろう。
新たな親子関係、立法措置で対応検討 自民法務部会
人はなぜ結婚するのかの理由は、近代的な恋愛イデオロギー以前から貴族階級を中心とした婚姻制度があったように、ただお互いが好きだから結婚するというよりも先に、婚姻には『生活の維持と子の育児に対する強制的な協力義務』と『家系の地位と財産の継承者の明確化(法的な配偶者以外の他の異性との競合の排除)』の意味合いが強くあった。
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『尊厳死・安楽死』の問題の根底にあるのは、“人間の身体・生命(生存権)”は自分だけのもの(自分の生死を自由意思によって選択できるもの)なのか、ある程度の公共性を帯びたもの(自分の意思だけでは決められないもの)なのかという倫理学的・直観的な判断である。
尊厳死法制化へ動き=超党派議連、通常国会目指す
尊厳死が『自己決定権あるいは自己所有権の範疇』に含まれると判断するのであれば、尊厳死は法律的にも倫理的にも道義的にも認められるべきものとなるだろう。
だが、誰も被害者がいない売買春・マリファナ使用が法律や倫理で禁止されている国が多いように、『自己所有権・自己決定権(自分の生命・身体なんだからそれをどのように用いようが他者を傷つけない限りは自由という主張)』には一定の他者のまなざしや印象、影響と関係する制約がつくことも多い。
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故金正日の義弟で北朝鮮(金正恩体制)のナンバー2と目されていた張成沢(チャンソンテク)・前国防委員会副委員長が、12月に入ってから突如失脚して間もなく粛清(処刑)されてしまった。
「北朝鮮はマフィア国家」古屋拉致問題相、張氏処刑受け
金正恩の後見役として『金正日体制からの権力継承』に成功したと見られていた張成沢だったが、この粛清によって北朝鮮が最高権力者個人(第一書記)と第一書記を領導者として担ぎ上げる軍部に支配された『擬似的な王朝体制・専制主義国家』であることを改めて示した。
共産主義(人民共和国)を詐称する擬似王朝(擬似帝政)である北朝鮮においては、ナンバー1(第一書記の最高権力者)以外のナンバー2や3、4の席次の権力・権威・党内の影響力には『暫時的・委任的な意味合い(第一書記から与えられた形の権限)』しかなく、第一書記の判断ひとつで2番目の実力者でも3番目でも即座に首が飛ばされたり、本当に生命まで奪われてしまう危険な独裁体制である。
この点が同じ共産主義国家でも、党内の席次主義・官僚主義の政治体制をベースとして『個人崇拝・国家主席の世襲』を禁じている中国との最大の違いである。一切の手段を選ばずに膨大な人民・党員を粛清した怪物的な独裁者・毛沢東でさえもその地位と権力を自分の子・孫に世襲させることはなかったし、血縁者の一族で権力を掌握し続けるつもりが初めからなかったとも言われ、自らの子を国共内戦で死なせたり、妻の江青含む五人組と苛烈な権力闘争を繰り広げた。
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結果的に、全員無事に皆子山から下山できたようで良かったが、こういった何とか下山できたケースであっても、『下山予定時刻の超過・関係者による遭難したのではないかの心配と当局への通報(捜索救助要請)』があった時点で『遭難』と見なされることになる。
大人の単独行・少人数の入山であれば、道に迷ったり天候悪化に遭ったり怪我をしたりしたことを理由とする『予定時刻を超過した真夜中・翌朝の下山』は他人に生命の危機を知られていないという意味で統計に加算される『遭難』ではないが、『実質的な遭難(ほぼ遭難に近い事態)のリスクを踏んだ登山』としての自省は求められるだろう。
皆子山:遭難情報で捜索の小5ら13人 全員が無事下山
登山は人と一緒に登るのは楽しいけれど怖いものでもあり、特に“初心者・子供”となると、安全登山で時間通りに確実に下山できるように計画するためには、『山の難易度・季節・天気・行動時間・装備』を十分に検討しなければならない。
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