を完全に無くすのはなかなか難しいかもしれない。
『人からどう思われるか(他人の目線)』を気にせずに、自分の主体性や思想信条を確立して臆せずに率直な意見・感情の表現をしながら、自己と他者の異なる意見をぶつけ合って統合・納得するという『近代的自我(脱亜入欧の自律的な人間像)』は長く日本人の憧れであった。
恋愛関係をダメにしがちな3つの悪いクセ「問題解決」「悪者探し」
だが、実際には他者(自分を取り巻く人)のまなざしや共同体の同調圧力から自由になれた『近代的自我を発現できた日本人』はかなり少なかったのではないかと思うし、日本の地域社会・企業社会の中枢に近づけば近づくほどそういった近代的自我は抑圧されやすい。
対人恐怖症(社交不安障害)がかつて日本に特有な文化結合症候群と呼ばれたように、日本人は『世間体・体裁といった他者の評価のまなざし』を強く意識したムラ社会的な調和の人生設計や無難な自己呈示を是とする社会を古代から作り上げてきたということもある。
恋愛のノウハウの話から少し逸れるが、『視線恐怖(まなざしてくる他者から自分をなにか評価される恐怖)』も平安王朝以前の貴族社会からあったと言われたりもするが、身分が高貴な人間は下位の人間の目線(値踏みのまなざし)を直接浴びなくて済むように御簾・衝立(みす・ついたて)などを置いて遮った。
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肥満型か痩せ型かには、親子で体型が似ていることも多いように遺伝要因も軽視できないが、大半の人は極端な肥満や激やせの体型にまではいかず、標準体型である人が『加齢(代謝率低下)』と共にやや太り気味になっていき、身体感覚も俊敏さがなくなって重たくなるという感じになる。
一体何が違うの?「頑張らなくてもやせてる人」の生活習慣10個
頑張らなくても痩せている人は、『摂取カロリーと消費カロリーのバランス』がやや消費カロリーが大目になる生活習慣が自然に確立できている人であり、『食事の分量・頻度・内容』を変えるまでは、ある程度頑張ったり意識して変えたりする必要は出てくる。
これ以上ほとんど食べられないくらいの『満腹感(腹9~10分以上)』にこだわる食事を日常的にしていれば、満腹中枢が刺激される閾値が高くなるので、それよりも少ない分量の食事だと物足りない空腹感が多少つらい、手軽につまめるモノがあれば食べたいという衝動が抑えにくくなる。
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NHKの籾井勝人会長の人事は、先日健康上の問題で検査入院となった内閣法制局の小松一郎局長の人事にも似ているが、『政府(安倍政権)の代弁者に近い役割を果たそうとする人物』が、『判断・職務の自主自律が前提となる公的組織』のトップに就いたという構造的問題を孕んでいる。
法律・政令・条約案の審査および法令の合憲解釈と調査を担う内閣法制局は、『法の番人』として最高裁判所と双璧を為す法律(法権力)の有効性を調整し判断する機関であり、安倍政権下では『集団的自衛権の解釈改憲(条文改正なしでの日米同盟を前提とする集団安保)』をどのように判断するかに注目が為されることが多い。
内閣法制局長は内閣の一員ではあるが、政府・首相の見解や恣意的な国益の主張に追随して後押しする立場ではなく、『客観的・中立的・立憲的な見地』に立って閣議に付される法律案や行政施策が、現状の憲法と法律に矛盾・違反なく整合しているかを判断しなければならない立場にある。
ここに安倍首相が個人的に交遊が深く価値観も一致しているとされる小松一郎氏を配置したことで、内閣法制局の中立性や前例からの合理的判断に変化が生じるのではないかという疑いが持たれたりもしたが、NHK会長という職務も『公共放送の中立性・客観性・国際性』を担わなければならない立場にある。
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『戦後レジームからの脱却』が『戦前レジームへの復古』になるのであれば、近代国家はお互いに支配圏の膨張と国民動員型(戦える国民の教育)の戦争を繰り返す『戦争機械』としての宿命を背負い、国家は軍事的・経済的なパワーバランスの中で領土・利益を増やそうとする戦いをただ繰り返すだけの集合体になってしまう。
現在の日中関係は、第一次世界大戦前夜の英独関係に似ているか?安倍首相の発言から近代国家を考える:1
こういった近代国家の戦争機械(愛国心を基軸として個人と国家を同一化させる国民動員・国民教育のシステム)としての捉え方は、『旧日本の絶対的国防圏・ナチスが唱えたドイツ民族の生存圏・漢民族の核心的利益』などの有機体的国家論の膨張主義・自衛を偽装した侵略戦争(植民地支配)へと必然的につながり、『国家は外国と武力で戦ってでも膨張・発展しようとする自然的本性を持つ(実際には近代国家は自然発生的ではなく外圧・産業・教育による人為的な要素を多分に持つが)』ということを支配階層の欲望(その欲望・救済の物語を国民にコピーする教育やメディア)の免罪符にしてしまう。
かつてドイツをナチズムへと誘導する一助を担った政治思想家のカール・E・N・ハウスホーファーは、ナチスドイツの膨張主義的な軍事政策・植民地拡大を後押しするかのように、『国家が発展的に生存していくためには、ある一定以上の大きさを持った生存圏を確保し、他国との貿易や交渉に依存しなくても良い自給自足が可能な産業・資源を支配しなければならずそれは強大な国家の正当な権利である』と記したが、この一定以上の大きさの生存圏は恣意的に拡大されて結局は欧州全土を超える範囲までドイツ民族の正当な生存圏だという誇大妄想に国民が冒されていった。
こういった思想は、ドイツの地政学の祖であるフリードリヒ・ラッツェルの国家を一つの成長を続ける生き物に見立てて、国民ひとりひとりを細胞・部品のように扱う『生存圏理論』から始まっているが、拡張主義や軍拡が批判される中国の核心的利益なども、こういった地政学的な生存圏拡大(その生存圏は自然由来の正当性があるという主張)の思想の焼き直しである。
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安倍首相がスイスのダボスのメディア外交で、現在の日中関係が『第一次世界大戦前の英独関係』に似ていると発言して欧米メディアで物議を醸したが、安倍首相は内心では戦後レジーム(平和主義外交路線)を既に脱却し解釈改憲をゴリ押しできるという気分でいるので、『尖閣諸島を巡る武力衝突の可能性』を暗にほのめかすような話し方になってしまいやすいのかもしれない。
軍事予算の積み増しで、尖閣・竹島の力づくの排除的防衛(奪還)をイメージさせる島嶼部奪還の特殊部隊設立(離島の強襲訓練強化)などの方向性を打ち出していることもあり、安倍政権にとって『偶発的な衝突への有事対応(平時の立憲主義体制を一時停止できるような非常事態宣言)』というのはイデオロギー的にはそれほど飛躍したものではなく、世論喚起の効果も兼ねて取る可能性のある政策オプションの誘惑(ブラフ)というのに近いだろう。
首相が現代と20世紀初頭の国際社会(侵略禁止の国際法)や国家体制、国民一般の倫理・教養・発言力の水準、憲法理念、利害関係を軽視して、現代と第一次世界大戦時の外交関係(戦争の可能性)を並列に並べて比較するのは、『戦争は通常の政治とは異なる方法による政治の継続である(戦争は外交の一手段である)』としたクラウゼヴィッツだとかマキャベリだとかの時代の非民主的な国家観・権力観を引きずっているような印象も受ける。
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昨日書いたドラマ『明日、ママがいない』の記事では、『他者の不幸・苦痛に対する想像力や同情(共感)』の弱さによって、新たないじめ・差別が誘発されるのではないかという危惧について触れた。
だが、コメント欄において、『自分よりも不幸な者を見ることによる安心感』『伝統的な日本の階級社会(身分の違い)の名残と意識』『キリスト教の博愛・弱者救済の倫理観』『人間社会の個人差や自意識に基づく差別・いじめの普遍性』について読み、ふとニーチェの同情否定の思想をイメージしたので書き留めておく。
F.ニーチェの実存主義哲学は、『反キリスト教(弱者貧者の道徳的地位の否定)・反社会福祉・自己肯定の超人思想』に象徴されるように、『ストレートな強さ・美しさ・豊かさ』を賛美する真の貴族主義を掲げた文学的・美学的ロマンスの思想である。
弱くて貧しいが故に正しい(強者・富者は道徳的価値は低い)という大衆の数の論理に裏打ちされたキリスト教道徳を反駁して、強くて美しくて豊かであるが故に正しい(それはあまりにも自明であるが故にそうではない者のルサンチマンを刺激する)という人間の本能・知覚・直観に裏打ちされた古代ギリシアの貴族主義に回帰するかのような『超人思想』を喧伝した。
私は強くて美しく豊かであると思える『超人(ツァラトゥストラ)』を目指し、自分の弱さ・不遇に押しつぶされるような『どうせ自分なんて・今とは違う人生があれば・誰かが助けてくれれば』という自己嫌悪や道徳の逃げ場を閉ざしたニーチェは、ナチズムとも接合した優生主義者(権力志向の反ヒューマニスト)として批判されることもある。
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