関係性のない他人を注意する事は難しい時代。犯罪未満の迷惑行為を注意する理由は『公共性・常識感覚』になるが、一般人では説得的な影響力のある立ち位置が概ね定まらない。
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迷惑行為やマナー違反を注意する場合でも、『行為の客観的な評価』だけでは収まらず『注意する人と注意される人との関係性・感情的葛藤』が絡み、大半の人は『注意の仕方・言葉遣い』で迷うもの。幾ら迷惑行為をしていても高圧的・指示的な物言いで注意できるのは関係や威圧感において優位な立ち位置にある人だけとも言える。
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第二次産業(工業・製造業)の現業部門の作業では、労働時間と賃金の相関関係は強くなるが、それは大量生産のモノづくりでは『1時間当たりの生産量・原価を差し引いた利益』を計算しやすいからで、その製品の需要・注文が未成熟な成長市場にある限り、労働者が働けば働くほど製品の生産量が増えて生産性(売上)が上がるからである。
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この場合の、生産管理体制(利益を上げられる仕組み)の責任は経営方針・需要予測・工場稼働率を決定する経営者にあり、労働者は経営陣の決定した方針に基づいて、『時間単位当たりの生産量』を黙々と増やして売上・利益を増やし続ける役割を果たす。第二次産業の労働者は、『基本給』という最低ラインの給与をベースにしながらも、働いた時間に応じた賃金(残業をすれば時間数に応じた割増賃金)を受け取る権利を有する。
製造業・建設業などの現場で主に身体(有限の体力)を使って働く人たちは、労働時間と賃金との相関関係を崩せば、資本家や経営者から『増加した利益の部分』を搾取されるだけではなく、『人生の時間コスト・健康リスク』だけが大きくなって一方的な損失を受けるだけだから、政府の産業競争力会議(議長・安倍晋三首相)が提案するような『労働時間と賃金が相関しない給与制度』に同意する理由がない。
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韓国の大型客船セウォル号(6825トン)の事故原因が、次第に明らかになりつつあるようだ。
事故が発生してしまった直接の原因は『急旋回の運転ミス+過積載(積荷の固定の弱さ)』だが、韓国企業が日本から購入した1994年製のセウォル号を大幅に改修して全高を51センチも高くしたことが、『復原力(ある程度までの船の傾きを自力で修正して姿勢を立て直す力)の大幅な低下』という船舶の構造上の不安定さにつながったと指摘されている。
車に置き換えれば、全高・重心の低いスポーツカーは地面に張り付くような走りで高速運転での旋回性能を高いレベルで維持しやすいが、全高・重心の高いワンボックスカーは高速運転中に急カーブを強引に曲がろうとすると横転するリスクが高くなるというような構造上の弱さがセウォル号にあった。
更に、積荷を違法に詰め込めるだけ積み込む『積載上限の二倍以上の過積載(違法行為)』を行って、船体の不安定さの度合いが高まっていた。積荷の固定も弱かったために、急旋回で過積載の荷物が片方に集積して復原力の限界を越えてバランスを崩してしまい、沈没事故を引き起こした。
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希望すれば(どこの大学でも良いのであれば)ほぼ全員が大学に進学できる『大学全入時代』と揶揄される現代では、『大学に行くことの利点』よりも『大学に行かなかったことの特殊な事情・要因』に注目されて不利益を受ける恐れが高まってしまった。
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つまり、それほど頭が良い人でなくても(平均レベルかそれより下の学力の人でも)それなりに学校に適応して勉強していれば、どこかの大学には入れたはずなのに行かなかったのはなぜなのかという痛くない腹を探られやすいという心情的ハンディがある。単なる形式的な学歴の資格要件というのは『本人の優秀性・有能性』を評価するものではなく『本人の意欲・家庭環境(経済状況)・交遊関係の特殊的な問題点』を勘ぐるような基準を背景に持つ文化階層主義的な趣きを持つ。
例えば、パチンコ屋のホール作業であるとか営業事務・警備員・工場作業であるとか、その仕事内容そのものに学力・知性の高低が何ら影響しないと思われる仕事の募集であっても、応募資格に『高卒以上』と書かれていて中卒者の応募を未然に排除しているケースは少なからずある。中卒者でも真面目に働く意欲があって素直に学ぼうとする性格であれば、こういった仕事への職業適性は相当あるはずなのだが、なぜか企業の多くは門前払いを喰らわす。
それは現代では高校に行くのは当たり前という価値観が極めて強いために、『敢えて高校に行かなかった(行けなかった)理由』を様々に推測するためで、高卒者のほうがより無難な採用に感じられるので、『人物評価のコスト』を節約したいからである。
中卒者と高卒者の双方を比較して、その具体的な人間性までは到底面接で評価しきれないが、高卒者のほうが『社会の平均的な価値観・常識』に沿った性格・生き方である蓋然性が高いと推測すること(9割以上が高卒以上でありそれに合わせているから)で、そこに足切りの意味での資格要件が設定される。高卒者の割合が5割を切っていた1960年代頃までは、それなりの規模の一般企業でも学歴による足切りはなく、中卒ですぐに都市部に出て就職し、それなりの昇進ができた者も少なからずいる。
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『憲法9条』をノーベル平和賞に推薦することは、日本国が政策的・侵略的な戦争(武力による威嚇)を遂行しないと決めた最高法規を持つ立憲主義の国であることを世界に改めて示す効果はあるが、仮にノーベル平和賞を受賞したとしても『日本以外の国』に憲法9条のような平和条項を導入させる働きかけをしなければ、国際平和への貢献にはつながりにくいだろう。
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憲法9条に対する誤解として、9条の平和主義(戦争放棄)は無抵抗主義で平和ボケだという誤解があり、外国から攻撃されたり侵略されたりしても無抵抗でやられるだけなのかという反論があるが、憲法9条の規定があっても自然権に由来する『個別的自衛権』までは放棄できない。
9条があっても、日本側の交渉・対話・検証の求めをあくまで拒絶する一方的な外国の攻撃・侵略・テロを排除するための自衛目的に限定された反撃は当然に許される。日本の領土を直撃しない北朝鮮の国威発揚のミサイル発射実験に対して、現状でも破壊措置命令は出されているが、9条の規定によって日本の側から『戦争・武力(軍拡・核武装)・集団安保』を盾にした要求・交渉・威嚇はしてはならないという国家権力の歯止めが効かされている。
戦後日本の平和と安全は『憲法9条』によってもたらされたものではなく、平和主義と戦争放棄、軍隊の不保持のお題目を唱えているだけでは平和・主権は維持できないという意見もある。
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親の学歴・収入が高いほうが子供の学力(学習成績)が高いという相関関係は、『教育格差の世代間連鎖』や『格差固定(階層分化)の要因』として取り上げられることが多く、そういったことから生まれた家庭・親が悪ければ努力しても無駄だという極論にも行きやすい。
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だが、教育格差の根本的な原因は『子供に対する学習の動機づけ・親も一緒に学ぶ姿勢』や『学習環境や対話環境の整備・科学や教養の世界への自然な導入』にあり、教科の成績のみに関して言えば、必ずしもお金があれば塾・学校・家庭教師などに多額の教育投資をできるから有利だという話ではない。
学歴・収入が高いほうがより多くの教育投資をしやすいから学力の格差が開くのではなく、『人生における勉強や教養の必要性・有効性・面白さの認識のレベル』が高い人が高学歴者・高所得者には相対的に多いため、小さな頃から子供の学習・知的好奇心の動機づけが自然に高められやすいという有利さがある。
それは、単純に遊ばずに勉強しろとガミガミうるさいだけの親というわけではない、それぞれの年代に見合った『学ぶことの面白さ・問題を解ける楽しさ・幅広い分野の知識を増やしていく好奇心』を普段の何気ない会話や家に置いてある本(読み聞かせする本)などから伝えられる親ということであり、学者の子供が同じ分野の学者になりやすい世代間連鎖の要因なども、『家庭環境における親との会話内容や家にある本のゆるやかな専門性』に影響されているとも言われる。
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