安全保障を外国任せではいけないという論法で集団的自衛権に賛同する人が、海外派遣・自衛戦闘の任務を自衛隊(自分以外の国民)任せにして、一般国民(自分)の徴兵は有り得ない話だとするのは道義的な矛盾はある。
自衛隊(軍隊)に志願しているのだから一定の生命・身体の危険は覚悟のはずだ、自分で決断・選択していない国民と隊員の責任は違うはずだというのはその通りだが、戦後に一人の戦死者も出していない自衛隊の海外活動で死者が出始めれば、志願者・入隊者が減少する可能性はある。
安全保障を外国任せではいけないという論法で集団的自衛権に賛同する人が、海外派遣・自衛戦闘の任務を自衛隊(自分以外の国民)任せにして、一般国民(自分)の徴兵は有り得ない話だとするのは道義的な矛盾はある。
自衛隊(軍隊)に志願しているのだから一定の生命・身体の危険は覚悟のはずだ、自分で決断・選択していない国民と隊員の責任は違うはずだというのはその通りだが、戦後に一人の戦死者も出していない自衛隊の海外活動で死者が出始めれば、志願者・入隊者が減少する可能性はある。
恋人候補者を『同世代の学歴・価値観の近い異性全員(数百万人単位)』に設定した上で、『選び放題・よりどりみどり』というのは非現実的な前提で、街を歩いていれば好みのタイプの異性の一人くらい見かけるからその人と付き合えば良いと同レベルの話だろう。
実際は30代なら『配偶者・恋人がいない人の数』や『恋人を求めている人(恋愛に前向きな人)の数』に変えるだけで相当減る。人間は同時に複数の場所には存在できないので『自分の生活圏・ウェブ活動圏の範囲で遭遇する異性』以上の異性には出会えず、離れた場所にいてネット上の接点もない異性はいてもアクセスできない。
大学課題「女子は腋毛伸ばせ」、10週間ムダ毛処理止め男女の違い学ぶ。
日本でいえば江戸時代以前、前近代的な社会においては、女性であっても腋毛や脛毛を全く見えないようにする形で、剃ったり脱毛処理したりするケアは求められていなかったが、『頭髪以外の体毛=ムダ毛・美の障害物』と見なす美的感覚は、美貌や清潔を貨幣経済によってある程度まで操作できる『近代西欧文明』の先端にあるものと考えられるのではないかと思う。
ムダ毛を処理していなければ『美しさ・清潔・マナー』から外れて、美しくないだけではなく社会常識やマナーのない人間のように見なされかねないという意味では、現代社会におけるムダ毛処理(男のひげ剃り・女の腋や脛の処理)は個人の強迫観念を超えた直接的な社会生活上の要請に近い。
会社員・公務員であれば男でさえ、無精ひげを伸ばし続けたり髭をデザインしてカットしたりすることは許されないし、現代では女性から見た男性の性的魅力さえも『体毛や髭が薄いほうが魅力的に見える(中には体毛が濃いというだけでNGという女性もいる)』方向に変化している。このことは自由・人権が守られた先進的な経済社会が概ね、『女性原理(たくましさ・荒々しさ・豪快さよりも美しさ・優雅さ・清潔さを評価する)』に近づくことと無縁ではないだろう。
資本主義との相関でいえば、『ムダ毛がないほうが美しいという価値観』は、剃刀やシェーバー、エステ・美容外科の脱毛(レーザーやニードルの脱毛処理)などの定期的な消耗を義務付けるものであり、体毛を自然に任せて放置して良い文化よりもたくさんのお金が常に動き続ける。
米国の投資家ウォーレン・バフェットが世界最高水準の鋭利な複数刃の剃刀を開発したジレット社に、『これから世界中の男が丁寧に毎日ひげを剃る時代になるから、付加価値の高い高額な剃刀の需要は安定して伸びる(今は贅沢な複数刃の剃刀がスタンダードな必需品と化す)』という理由で大金を投資した所以でもある。
実際、ジレットの株価はバフェットの初期投資の時点から5倍以上に膨らみ、コカ・コーラと並んで、必需品化するビジネスを愛好するバフェットの長期投資の典型的な成功事例(ブルーチップ株の合理的予測)と言われる。
米・パン・麺の炭水化物は活動のエネルギー源や食事の満足感と関係する主食で、『糖質制限食』でも全く食べないほど減らすのはきついしリバウンドの過食になりがち。腹7分の少食傾向の習慣づけ。
「糖質制限食」副作用リスクめぐり激論、体重・血糖・血圧では改善
1回の食事につき、ご飯を茶碗に1杯、パンを1枚食べるだけで、健康を崩すほどに体重が重くなり、血糖・血圧が上がり過ぎるという事はないはず。タンパク質の過剰摂取は、太らなくても腎臓に負担が大きくなる。食事の満腹感・量的な満足感の閾値が高くなると、基礎代謝・運動の消費カロリーを超えた摂食になってしまいやすい。
自虐風自慢=JJは初めて聞くが女性雑誌みたいな略語。自慢の敬遠は『比較の優越感+劣等感を刺激する当てつけ』にあるわけで『話すべき相手(相手の境遇・気分)』を選べば記事のJJの類は嫌味な性質でもない。
地味にウザッ!! “自虐的になんか自慢(略してJJ)”の華麗なかわし方を考えてみた
不快感を刺激する嫌われる自慢というのは、『相手の不遇・悩み・コンプレックス』などを間接的に指摘するような自慢、あるいは相手のステータスへの皮肉な言及を伴う自慢だろう。自虐風自慢は自分に言及して盛り上げてツッコミを入れているようなもので愛嬌のある自慢の類、相手の触れられたくない要素への言及はない。
児童期の動物虐待は良心・共感性で残酷行為を制御できない行為障害(反社会性人格)の前兆と見なされる事もある。猟奇的な遺体損壊は『自己顕示欲・生命尊重の常識や倫理への挑発』の現れにも取れるが。
神戸市での動物虐待・殺害事件と聞くと、1997年に神戸市須磨区で発生した『神戸児童連続殺傷事件』という異常な猟奇殺人を連想した。『酒鬼薔薇聖斗』を名乗る14歳少年が、2人の小学生を殺害し警察を挑発する文書を送りつけた事件だが、この少年も事件前に多数の猫・鳥の猟奇的殺害をしていたと報じられていた。