麻生太郎財務相は今の円安株高で儲けられない企業は経営者が無能か運が悪いとおっしゃるが……円安は『輸入企業・国内消費にメリットがない』、株高は『非上場企業の方が多い・官製相場で持続性が怪しい』ので、利益を出しづらい企業・業種もある。少子化と高齢化の問題・責任を比較しても意味がない。
「産まない方が問題だ」発言、麻生財務相が釈明
文明社会の発達段階において『多産多死→多産少死→少産少死』の必然的プロセスがある。このプロセスを通して『個人の自意識・生活水準の要求』は高まり、子の人権も承認されて『子孫を家・親が道具的に扱う社会システム』が禁圧され『親のための子の孝行(儒教原理)』が『子のための親の献身(近代教育原理)』に変わる。
成熟経済・先進国の少子化の原因はある意味では極めてシンプルで、『子沢山であるほど家計・老後の助けになる前近代的な農耕社会・家内労働のシステム』が崩れたからである。近代中期までは『学歴・技能を問わない労働力』の需要が旺盛であった為、農村経済が疲弊しても意欲・素直さがあれば『金の卵』として重宝された。
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給食から牛乳を完全に除くと『牛乳を飲む食習慣・味覚発達』の形成機会がなくなる子も増えて、減少・廃業が続く日本の酪農が更に消滅速度を速めるかも。牛乳は美味しいし、小学生には栄養学的なメリットも大きいと思うが。
<新潟・三条市>「牛乳なし給食」賛成は9割超 反響メール
現在の食卓では『食品・食材のバリエーションが豊富な家庭とそうではない家庭』で、味覚形成(生物・珍味も含め受け容れ可能な味)の格差が拡大傾向にあるともいう。端的には『一度も食べたことがない料理・食材』が沢山ある好き嫌いの多い子供を減らす観点から、牛乳に限らず和洋の多品目な食材を色々取るようにすべきではないだろうか。
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麻原彰晃には妻松本知子との間に6人、婚外子が6人で計12人の子供がいるが、オウム真理教という『反社会的な閉鎖世界』で生まれ教育された影響は大きく、オウム外の一般社会に出ようとする子は少ない。
特に3女はオウム真理教がサリン事件で強制捜査される以前から、アーチャリーというホーリーネームを与えられて麻原彰晃の後継者のような処遇と教育をされていたという。その分、閉鎖的な宗教団体における価値観の刷り込みの影響もあったのではないかと思われる。
松本死刑囚の三女が国を提訴 「教団の役員」認定で
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総合評価 85点/100点
原作のアニメ版とストーリーの展開はほぼ同じだが、ミギーに右腕に寄生された主人公の泉新一の家族構成が、映画版では母親が一人で子育てしてきた母子家庭に変更されている。母親がパラサイト(寄生生物)に脳を乗っ取られて、新一が最愛の母親と戦うことになり、寄生した頭部を切り離すという物語のあらすじも共通であるが、原作では旅先で妻をパラサイトに殺された新一の父親がショックで廃人のようになっている。
“パラサイト”という透明な蛇のような形をした小さな寄生生物が海から上陸してきて、次々と人間の脳へと寄生し身体と人格を完全にのっとってしまう。泉新一(
染谷将太)はたまたま音楽をイヤホンで聴いていたので、パラサイトが耳の穴から脳にまで侵入できず、掌に突き刺さるようにして侵入してそこで幼形が成熟してしまった。
成熟したパラサイトは脳に寄生する初期の能力を喪失してしまうので、新一に寄生したパラサイトは右腕部分を変形させるだけの支配力しか発揮できなかった。“ミギー”と名付けられた不気味な寄生生物は、新一と会話を交わす友人のような不思議な関係を築いていき、同種のパラサイトの接近を感じ取る能力を使って、宿主の新一を殺そうとするパラサイトを倒していく。
パラサイトは『人肉』を主食とする『自己保存の本能』のみに従う生物で、普段は人間の姿に擬態していて人と見分けがつかないが、その本体は複数の目を持ち自在に肉塊を変形させることができる。寄生されている人間の顔面がバラバラに捲れ上がっていったり、花のように開いて内部のグロテスクな肉が露出することによって本体が姿を現す。『寄生獣』のCGを駆使した特殊映像技術(VFX)のクオリティは高く、それほど作り物めいた違和感なく寄生生物を見ることができる。
パラサイトは自らの肉を瞬時に鋭い刃物に変形させて超高速で動かせることから、一般的な人間の運動能力では対抗することはできない、パラサイトが作る鋭い刃物は鋼鉄をも切断するほどの脅威的な威力を持ち、人体がその刃物に切られれば容易に切断されたり貫かれてしまい絶命する。殴ったり蹴ったりする人間の殴打による攻撃はすべて無効であり、拳銃を持っていても急所の心臓に命中させなければ死なない。
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外国に占領された国・地域の、占領軍の男性(軍人)と占領地の女性との関係というのはいつの時代も似たような構造を持つが、ナチスドイツや大日本帝国の将校・幹部たちも占領した土地の女性を、形式的には合意の上で『愛人・現地妻』のようにして囲い込むことが多かった。
映画『フューリー』の感想1:戦争の現実に適応するために変容するノーマンの人格
ノーマンとエマの関係はそういった戦勝者の庇護による愛人関係・現地妻とは違うように見えるが、エマとノーマンの二人の関係ができあがる前には、占領したばかりのアメリカ兵に媚態を振りまくドイツ人女性とその女の腰を抱き寄せて「心配するな安心しろ。俺が守ってやるからな。こっちに来いよ」とボディガード気取りで語りかけて戦車内の密室に消える米兵が前置きのようにして描かれる。
あるいは、勝者である俺たちは食糧やカネなら持っているぞ(敗れて奪われ殺されたドイツ人の男たちはもうお前らを守れないし食糧もカネも持っていない)という羽振りの良さをアピールして女をベッドに誘う兵隊の姿がある。
露骨な力の原理と男女の性の悲哀(近代中期までの歴史的な女性の庇護・扶養の観念と女性を巡る男性のマッシブな競争原理)が、ノーマンとエマの出会いと結びつきではかろうじて上品に目隠しされているのだが、コリアーの無頼を気取った部下たちがその目隠しを力づくではぎとりにやってくるのだ。
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総合評価 91点/100点
ブラッド・ピットやレオナルド・ディカプリオなど、若い頃に端正な容貌でアイドル的な人気を得ていた俳優が、30代後半以降になってから深い人間性を問うテーマや歴史的社会的な問題意識を感じさせる良質で重厚な作品に恵まれ始めた。
第二次世界大戦のナチスドイツとの熾烈な市街戦を題材にした『フューリー』も、戦争もののハリウッド映画の中では出色の出来栄えではないかと思う。
戦闘に参加する意思・覚悟がないままに前線に送られてきた18歳の新兵ノーマン・エリソン(ローガン・ラーマン)の急速な人格の変容を描くことで、自ら人間性と良心を破壊して捨てざるを得ない戦争の倫理的問題が、“生々しい現実への適応(生きるか死ぬかの選択)”として示される。
戦争の前線が人間の心理と行動をどのように変えるか、敵と戦う軍隊とはどのような組織なのか、人を殺せなかった良心的で信仰心の強い臆病な人間がなぜ大量の死体を容赦なく作れるようになるのか、下品で粗野な人間性(獣じみた暴力と性の欲望)を表層に出さずにはいられない戦争の狂気とは何なのか、戦争と人間性の喪失・心理変容を巡るテーマが『フューリー』の全編にわたって通奏低音として流れる。
戦争の倫理的・人道的な脅威だけではなく、ナチスのタイガー戦車(最後の一台として実在するティガー131をレストアして撮影に使用)との戦闘場面もかなり迫力があって面白い。
フューリーをはじめとするアメリカのシャーマン戦車(M4中戦車)は、主砲の火力と装甲の強度、機動性・旋回性のすべてにおいて、ナチスのタイガー戦車より性能が劣っており、米軍は4台でタイガー戦車に立ち向かうがあっけなく2台が破壊される。コリアーが指揮するフューリーは、巨体のタイガー戦車を左右に揺さぶるトリッキーな動きの操縦と装甲の強度が弱いポイントに集中砲撃する作戦で立ち向かうが、戦争のアクション映画としても楽しめる要素が多く散りばめられている。
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