現代から見れば『間違っていた戦争・回避可能な戦争』だった側面はあるが、その間違いの根源がどこにあったのかを突き詰めれば、『日本(諸外国)が自国のまっとうな経済活動で充足できるほど豊かではなかった・個人の生命の価値が低く人権が守られている国もなかった・国家権力が国民を道具(兵力)として活用するための教育や道徳が普及していた』という時代背景にある。
戦争あるいは軍事的野心や歴史的正当性(物語的正統性)といっても良いが、それらの価値が持ち上げられて称揚される時というのは、『国民が現在の生活に満足していない時・現在の政権に対する不満が高まっている時』である。
自分や自国に対する不平不満の原因が、『外部(仮想敵)』にあるとして教育・扇動されたり、『有事の国防危機(やらなければやられる)』がマッチポンプで誇大に伝えられることによって、『私(個人)の存在意義』と『国家の歴史的・物語的な正当性』が接続される感覚が生まれ、“戦争・安保”に精神的な高揚感や正義感を感じてしまう。
日本と連合国軍の最大の違いは、『戦争に勝ったか負けたか』だけにあるのではなく『実力を伴う新たな時代の価値観外交(理想呈示)の勝ち負け』にもあった。