自分と正反対の生き方をしている人に感じる“影(シャドウ)”の元型・タトゥーに対する偏見はなぜ強いのか?

自分とは正反対の生き方や考え方をしている他者に、人は強い“反発心・優越”と同時に“ずるさ・憧れ”を感じやすい。この無意識の元型をユングは『影(シャドウ)』と呼んだが、『人の好き嫌い・類は友を呼ぶ・異質性排除やいじめ』を理解する時に振り返りたい概念。影となる他者を受容できない自我の未熟さを人は抱える。

なぜ無意識領域に、自分と異質な他者を寄せ付けず排除・非難したくなる『影(シャドウ)』が生み出されるのか。理由の一つは、人の人生は『あれもこれも』ではなく『あれかこれか』の選択的淘汰であり、自分と極端に異なる生き方や考え方をしている他者は『自分が捨てて生きられなかった反面の要素』を必ず伴うからである。

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先の日本の戦争は間違っていたのか?米英中ソと戦った“武力・道義(国際秩序原理)の戦争”

現代から見れば『間違っていた戦争・回避可能な戦争』だった側面はあるが、その間違いの根源がどこにあったのかを突き詰めれば、『日本(諸外国)が自国のまっとうな経済活動で充足できるほど豊かではなかった・個人の生命の価値が低く人権が守られている国もなかった・国家権力が国民を道具(兵力)として活用するための教育や道徳が普及していた』という時代背景にある。

「間違った戦争」47% 毎日調査

戦争あるいは軍事的野心や歴史的正当性(物語的正統性)といっても良いが、それらの価値が持ち上げられて称揚される時というのは、『国民が現在の生活に満足していない時・現在の政権に対する不満が高まっている時』である。

自分や自国に対する不平不満の原因が、『外部(仮想敵)』にあるとして教育・扇動されたり、『有事の国防危機(やらなければやられる)』がマッチポンプで誇大に伝えられることによって、『私(個人)の存在意義』と『国家の歴史的・物語的な正当性』が接続される感覚が生まれ、“戦争・安保”に精神的な高揚感や正義感を感じてしまう。

日本と連合国軍の最大の違いは、『戦争に勝ったか負けたか』だけにあるのではなく『実力を伴う新たな時代の価値観外交(理想呈示)の勝ち負け』にもあった。

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映画『日本のいちばん長い日』の感想

総合評価 89点/100点

『昭和天皇独白録』でもっとも印象的なのは、天皇自身の言葉で『国民は私のことが非常に好きだが、私があの戦争に反対してベトー(拒否権)を行使し平和のための努力をしていたならば、私は戦争が終わるまで精神病院に監禁されていたか、あるいは内戦が起こって日本は大混乱に陥り私も側近も殺されていたであろう』という趣旨の言葉を、米国全権ダグラス・マッカーサー元帥に語っている部分である。

半藤一利原作の映画『日本のいちばん長い日』は、昭和天皇のこの言葉を裏付ける事件、大日本帝国最後の日に陸軍主戦派・過激分子が起こした反乱劇である『宮城事件』を畑中健二少佐(松坂桃李)を中心にして取り扱っている。

宮城事件は大日本帝国がなぜ勝ち目のない日米戦争に踏み込んでいったのか、どうして満州事変以後の中国大陸における軍事的野心の肥大を誰も止められなかったのかを象徴する大日本帝国末期の陸軍過激派のクーデター事件であり、5.15事件、2.26事件と比較しても天皇の直接的な意志表示にさえ従わない『戦争と癒着した国体思想』の現れとして考えさせられる事件である。

残念ながら、日本の歴史教育では、ポツダム宣言受諾と敗戦・武装解除の玉音放送を武力で阻止しようとした『宮城事件(昭和天皇に対する実質の反乱)』はまず触れられることがない。

だが、この事件は天皇主権体制において天皇自らが示した明確な『聖断』にも従わない青年将校が国内にいたこと、天皇・軍の大将や参謀でさえ戦争をやめるといえば殺されかねなかった現実を示唆しており、『軍国教育』が純粋・愚直・真面目な青年の精神に与える方向転換できない洗脳効果・集団心理(セクト主義)の恐ろしさを物語っている。

日米戦争が熾烈さを極め、ミッドウェー海戦の敗北以降は戦況がますます劣勢・悲惨になる中、大日本帝国の大本営は一貫して『徹底抗戦・一億玉砕・本土決戦』のスローガンを愛国心の踏み絵として唱え続けた。国民に対しては国家・天皇のために生命をも惜しまずすべてを戦いに投げ出し、一丸になって団結すれば鬼畜米英を撃破することができるという『国民精神総動員』を呼びかけ、大政翼賛体制下の戦争に反対したり協力しないものは非国民として規制・弾圧の対象となった。

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レイ・カーツワイルの“Singularity is Near”:人工知能が人間の知能を超える時。

レイ・カーツワイルは著書“Singularity is Near”で、人工知能が全人間の知能を超えて労働や社会を劇的に変化させる時点をSingularity・特異点と定義した。カーツワイルの想像力豊かな特異点予測は2045年、『自動運転車・遺伝子工学・機械自己複製』もプロセスに含むが、科学技術の極端な進歩には『光・影の両面』がある。

幸いにも病気・事件事故に巻き込まれて早死にしなければ、2045年の景色は何とか眺められる年代。その時は僕も高齢者の一員、その時代の技術・道具・システムなどを素早くキャッチアップできてるか分からないw現代は厳しい未来予測が多い一方、科学知の先端で研究できるような人にとっては面白い材料が増え続けている。

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現代の先進国における少子高齢化・未婚化・育児コストと“親と子の力関係(道徳的関係)の逆転傾向”

現代の中流以下の層において、子供の数が減る最大の理由は『社会の高学歴化(大卒平均化)』と『子供の権利拡大』で、昔の家父長制・家族道徳は大きく変質してしまった。年をとってからも子供の迷惑になるような親になってはいけないという『子の為に準備して生きる親(親孝行の道徳規範の自明視の否定)』という逆の図式が道徳化して普及してきた影響も大きい。

多子・低所得世帯の負担軽減強化=幼児教育無償化で―政府・与党

第一次産業が主流で平均学歴も低かった昔は、子が沢山いればいるほど『将来の親(家族)を道徳的・献身的に支える労働力』が増し、将来も安心の感覚を持てた為、貧乏人の子沢山は当たり前の現象だった。少子化対策をしなければ子供を産まないというのは、子の財産性が減り負債性が高まっている時代状況の現れでもある。

時代状況という意味では、現代人の親の倫理は『子の労働力化・道具化』を好ましくないものとして退け、『子に対する無償の愛情』をできるだけ努力して実践したいとする過去の時代には殆どなかった純粋で禁欲的なものである。この倫理がそもそも国の『子供=労働力・財源不足を補うもの』という発想に対し拒絶的なのである。

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高齢者はなぜ信号や横断歩道のない道路を渡ろうとするのか?:車も歩行者も安全意識の向上を。

高齢者はなぜ信号・横断歩道のない所で道路を横断するのだろうか?横断歩道までの数十メートルを歩く体力・気力の低下、車の速度・歩行速度・距離を認識して間に合うか否かを判断する能力の低下、運転手の判断能力の過信などが想定されるが。

運転手が歩行者(自分)を認識していれば、歩行者が渡り終わるまで速度を落とすか止まってくれるはずという過信は、車の運転なら危険性の高い『だろう運転』である。9割以上の車は見通しの良い道路なら歩行者がどこを渡っても速度を十分緩めるか止まってくれるだろうが、『見落としやよそ見・極端な高速』のリスクは常にある。

高齢者・子供の急な飛出し、ふらつきながらの自転車の車道走行は最も危険だが、高齢者の信号・横断歩道なしの車道横断は、特に日が落ち始める時間(夜中・早朝)から事故率が上がる。ドライバーが『こんな時間にこんな道路を歩行者は横断しないだろう』の予断で飛ばし、気づいても止まれず死亡事故になるのは早朝に多い。

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