本気で行こうとすれば誰でも一人で行ける所ばかりだが、『一人でどこまで行けるかどうか?』より『一人でそこに行って楽しめるか?』や『現在の状況や関係に悩んでいないか?』の方が重要だろう。
焼肉、カラオケ、遊園地……「お一人様」どこまでいけますか?
一人でどこにでも行ける人、一人でどこに行っても楽しめる人は、確かに精神的自立度が高く、自分の世界や指針を持つ人である可能性が高い。だが一人で行けないというか行きたくない人(一人なら極力出かけない人)も、精神的自立や行動力は低いかもしれないが『集団協調・社会適応・もてなし』に優れている事もあるだろう。
一人行動の最大の魅力は『自由・気楽(他者の反応や都合に振り回されない)』なことであり、決まった同行者がいないことで『現地でのふれあい』もしやすい。一人が好きな人の中には『他人に対する興味・情の薄さ』がある事も多いが、逆に他人と一緒の共同・共感を求めているのに無理に一人で行くと、行けても楽しみづらい。
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資本主義と共産主義のイデオロギー闘争は『自由・個人の原理』と『平等・共同体の原理』の闘争でもあったが、競争力・豊かさと文化の洗練、プライバシー(ムラ・家からの解放)によって資本主義が勝利した。だが成長と流動性が止まると、資本・既得権・競争力を持たない層にとって資本主義の副作用や企業の強制が苦となる。
日本は高度成長期以後は、ムラ・家から解放された資産・既得権・学歴のない労働者の勤勉かつ献身的な労働によって成長率を高めた。『成功した社会主義』とも言われた日本の経済社会を支えたのは社員を解雇せず年功賃金で処遇した『企業』である。企業はムラ・家の相互扶助を失った現代人にとって擬似共同体機能を提供した。
資本主義でありつつ、多くの日本人はある程度の企業・組織に所属している限りは『個人単位の競争原理』を回避して『中流階級の所得水準・年金額の保証』がある成功した社会主義要素に守られた。資本主義が企業の共同体性を侵食し、企業労働に人生の大部分を捧げたくない人が出るにつれ、バラバラの個人の相対格差も開いたが。
『自由原理・個人主義』と『平等原理・集団主義』との矛盾なき両立は元々困難だ。日本の企業の多くは創業家が実質オーナーであるファミリー企業で、終身雇用・年功賃金の恩恵が失われれば(非正規・昇給なしだと)日本で個人で中流階層の収入・生活を維持できる層は薄い。生産手段の所有権の偏りは格差・階層とつながる。
ファミリー企業・ポストや財産の世襲は、一面では確かに『格差・階層の原因』であり、持つものと持たざるものとの決定的な差だが、視点を変えれば『企業の長期存続・長期経営戦略・雇用保護(家族主義)』においては世襲の同族企業のほうが『自分たちの会社の事業・名前・社員・理念を守る動機づけ』は格段に強くなる。
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君主の原点は支配者だが近代の立憲君主は常に模範的・倫理的である事を強いられる、天皇は『崇高かつ完全な人格・考え』を国民に想定されるために自らの意思(真意)を明確には語れず補足説明もできない。
<退位>学友ら、一代限りに懸念 「陛下の真意置き去り」
歴代天皇には、伝説的暴君として権力を悪事に濫用した武烈帝・雄略帝、粗暴で殺人歴もある陽成帝等もいるが、近現代以降の立憲君主たる天皇は形式的にも教育的にも『暴君(倫理的・人格的に問題ある君主)』は存在を許されない。国民統合・模範人格の象徴としてメディアもある現代で天皇の役割を終身こなす苛烈さが増した。
英国王室や皇室の継承権のない皇族では、マスメディアの監視網の中で模範的な人格や倫理的な生き方に『ほころび』を見せた人も出ているが、明治天皇以降の天皇と皇太子は、過去の天皇にはないほど『瑕疵のない模範性・倫理性』を体現する努力を続け、国民も暗黙の了解で理想の名君・ぶれない人格者を求めている。
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○働いた分だけ生活保護が減額される仕組みも不正(所得未申告)を誘発しやすく保護離脱を困難にするが、未申告は金額・雇用形態にもよるが『働けない状態を装う不正受給』とは質が異なる部分はある。
生活保護の不正受給が過去最多 15年度4万3938件
原則貯蓄ゼロでなければ保護が受けられないとか、臨時収入が何回かあってもその後に途絶えたらどうする等も、『継続的な自立(生活保護離脱)』を図る上の障害になるが、心身の健康問題だけでなく『仕事能力・貯蓄・適性と経験・コミュニケーション力・勤労意欲』のどれかがゼロなら元の才覚もないと大変な状態にはなる。
日本は再チャレンジ困難と言われるが、職業経験・資格や学歴・学習能力など何も持たない人でも、『愚直な勤労意欲+人並み以上の体力(肉体労働適性)あるいは愛想・見栄えの良さ(サービス適性)』があれば何とか食える程度の収入は得られるはずだが、年齢を重ね挫折・辛酸を味わい愚直・関係性を失うと心折れる人も出る。
生活保護と最低賃金のバランスの問題、本人の人生設計・モチベーション・学習能力もあるが、『仕事』にせよ『労働』にせよ、安定して稼ぐための雇用基盤をいったん失うと、再就職に何度か躓いたり蓄え・支え(お金・意欲・関係)を失えば容易に厳しい状況に追い込まれやすい。
生活保護の不正受給に対する厳しいバッシングが起こるのは、それだけ現代日本では生活保護前後の所得水準の働き方や雇用が増えており、『懸命に働いても最低限の生活だけで精一杯の層』が増えて中流階層が崩れてきている事の現れである。超高齢化・年金未納率・単身家庭・非正規率など生活保護増加の要因も減りづらい。
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実際に脳機能(自意識)を維持して蘇生できる可能性の低い人体冷凍保存(クライオニクス)に1000万以上のお金を支払う人もいる事を考えると、『不老不死の夢』は科学技術依存の形で古代王のミイラ・巨大陵墓から続いているのだろう。
頭部940万円、全身1760万円 人体冷凍保存で未来蘇生目指す
人間は死ぬからこそ価値があるのだというのは、『変更不可能な現実』から運命として帰納され納得されたものだから(どっちにしても最後は死ぬ以外の選択がなく選べる立場にない)、『技術的に不老不死(健康な超長寿)が可能な新たな現実』が生まれれば、人間は終わりがあるから尊いという『現時点における標準倫理』が急変する事は有り得る。
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好かれやすさと嫌われやすさの傾向的な特徴はあるが、大人になれば『浅い付き合い』なら礼節のある相手を一方的に嫌って傷つける人は、まともな人には少ない。『深い付き合い』というのも、『相手の選択・相手との相性・時間や気持ちのキャパの問題』であって、『単純に人から嫌われる』というのとは異なることが多いものだ。
例えば、恋愛や結婚は『まずまず好きな相手』がいても、『ひとりだけを選ばざるを得ない関係』であり、嫌われていなくても誰かひとりに相手を決めれば、その異性とは疎遠になっていかざるを得ないところがあるわけである。
「嫌われ恐怖症」と脳の関係。嫌われたくない心理は恋愛にどう影響する?
全員に好かれることは不可能だが、『自分から意図的な不快感や傷つきを与えない常識的な配慮』ができていれば良い(嫌なことを指摘されて改められることなら改めて)。親しくなれそうな人とは親しくして、攻撃してきそうな人とはやや距離を置いて牽制・融和し、離れていく人はまたいつかねで送る自然なスタンスが心地よい。
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