訪日外国人患者の医療費問題は、日本人が外国に旅行に行った時にも起こり得る問題だが、海外旅行の際に免責金額設定の簡易な医療保険加入を義務づける等すべきなのかも。
訪日外国人患者、治療後に帰国し“失踪”踏み倒し後絶たず…旅行保険に未加入、カード持たず
踏み倒す外国人が確かに悪いが、海外旅行に行って環境変化や生活リズムの乱れで体調を崩した時、我慢できず病院に運ばれて何日間か検査入院をして、楽になってきたら『数十万円以上の請求』は、確かに合法的な請求だけどやはり大半の人は支払い金額で顔が青ざめるだろう。海外旅行のリスクとして知っておくべきことだが。
体調管理を万全にすることが何より大切で、旅行中に一定の苦痛があっても意地でも帰国便に乗り込んで帰るべきとも言えるが(よほど重病でない限り)、国内旅行とは違って海外旅行は『帰るまでの待ち時間』が長く『航空機内の窮屈さ・閉塞感』もあるので、一定以上の気分の悪さや体調の異常があると不安にはなる。
海外旅行が好きでよく行く人は、海外の医療機関でも使える医療保険に加入しておいたほうが良いが、たまにしか行かない人で普段は元気な人だと『数日間くらいの旅行で病院に行かなきゃいけないほど体調悪化はしないだろう』という楽観的予測にどうしても傾く。水・食べ物も違うから、重病でなくても急性胃腸炎等はあり得る。
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長期間親密な親友であれば介護も可能かもしれないが、知人レベルの他人では無理だろう。『親族の情緒・恩義の結びつき』か『職業的な職務意識・勤務時間・役割分担に基づく責任感』がないと難しい。
熱湯かけ知人を死なせた疑い 男を逮捕 「失禁に立腹」
自立能力のなくなってきた人一人を長期間世話して面倒を見るのは本当に大変なことで、特に自意識や潔癖症、他者への無関心が強まっている現代人には相当難しい。成長して未来のある我が子(赤ちゃん)にだってストレスを溜め込んだりすることは多い。過去に恩義も好意もたいして感じてない高齢者の介護なら尚更に。
人間の尊厳を守りながら相手を献身的に世話するのが真の『介護』かもしれないが、介護する高齢者は認知症の知能・記憶の低下や生活技能の低下、排泄物の垂れ流し(不潔行為等)でその尊厳を自ら捨てるような行動・外見を示す。仕事のように決まった時間の世話でなく、共同生活する形の長期介護は家族でも困難になりやすい。
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現代は見た目で露骨な差別・排除をしない倫理観を多くが持ち心ない言葉をぶつける人は少ないが、見た目問題は他者との距離にこだわれば深刻化する。
「見た目問題」息子も当事者…記者として、親として「心ない言葉」への葛藤 それでも「まず知ってもらう」
容貌が大きく変わってしまう先天性・遺伝性の疾患・奇形(本人ではどうしようもない見た目の特徴)について知ってもらい、差別や偏見を無くしていく啓蒙はできるし進めるべきだが、『他者が自分とどのような距離や関係を選択するか』にこだわれば、見た目に大きな変形がない人もある種のコンプレックスを形成しやすい。
結局、他者がどう反応し評価するかにこだわれば、見た目問題の深刻さの程度によっても変わるが、『見た目・美のヒエラルキーの複合感情』に絡め取られる危険性が誰にでも(よほど見た目に自信がある人は別だが)ある。『見た目で差別・侮辱しない』は可能な目標だが、『見た目・私生活で人の好き嫌いがない』は至難だ。
見た目とか容貌とかいうのは骨・皮・凹凸が織り成す『表層的な知覚印象』に過ぎないのだが、人間は本能的に『顔認知(顔の個人識別)』を特別に重視して早くに発達させることが乳幼児期の心理実験からも明らかで、顔(見た目)などどうでもいいという倫理はあっても、本音での分別・欲求・関心がゼロにまではなりにくい。
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近代化による『経済成熟・自由主義・個人主義・市場原理(資本主義)・男女平等』の進展は、個人の幸福追求と他者との比較競争を煽ることによって、動物的な生存・生殖の本能やコミュニティの互助・平等の意識を衰退させ、半ば必然的に高度経済成長期後の少子化トレンドと階層社会の固定化を生み出す。
昭和中期までの人口が増加を続けていた時代というのは、個人やその人生が長期に所属する『家族親族・地域・会社(役所)・社会・国家』の共同体(コミュニティ)にすっぽりと埋め込まれていた時代である。
その時代、人生は『自由意思や自己責任』で個人がそれぞれに選択するものというよりは、『同調圧力・社会規範(所属階層の常識)』によって就職・結婚・出産など『社会や世間でやるべきとされていることをやっていくプロセス(やるべきことをやらない人への偏見・差別が強く大半は道を外れられないし周囲に干渉される)』に近かった。
結婚のかなりの部分は『適齢期・世間体・家格』の関係したお見合いであり、出産は概ね女性の義務に近いもの(女性が一人で自立して結婚も出産もせず生きることは現実的にも差別の圧力的にもほぼ不可能で、生活を庇護してくれる旦那を見つけられるかが生きるか死ぬかに近い問題)だった。
一方、男性はハードな仕事や戦争で死ぬことも少なくない『労働力・兵隊』として社会システムを維持する部品に近く、女性だけが苦労や我慢を強いられていたわけではない。高度経済成長期の会社の働かせ方は、現代のブラック企業を凌駕するものである、炭鉱・港湾・工場・土木建築のハードな肉体労働では頻繁に労災が起こり事故で死人が出たり深刻な身体障害を負うことは珍しくなかった。
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