昭和は64年の長さがあり、昭和20年までは戦争の時代、昭和30年までは貧困と混乱の時代、昭和30~50年は高度成長、昭和60年末期はバブル景気と崩壊、失われた経済成長の始まりだ。昭和と一括りにできない長さがあり、貧困からの上昇の価値で動いた。
今では信じられない!昭和の常識ランキング(http://mixi.at/aeVctcF)
昭和20年、戦争で東京と地方の主要都市、広島・長崎は焼け野原となり、大勢の男性が戦争で死んだが、「何もない所から始める」という平等なスタートラインと貧困前提の助け合いの意識が強かった。昭和20?50年代にかけての経済成長期、じわじわ世帯間の経済・資産の差が積み重なり、都市・社会インフラも整備された。
昭和50~60年代というのは、終身雇用制が担保した一億総中流意識が生き残っていた最後の時代、この辺りで庶民の間の緩やかな階層分化も進み、「社宅・寮・団地の文化による平等意識(会社員・公務員の勤続年数と所得が増えて持ち家購入数が急増したがそこから脱落する層も多く出た)」も失われやすくなった印象がある。
平成に入る頃には、戦前・戦中世代の政治経済・起業者の陣取りゲームは概ね終焉して、日本経済のボーナス期間も終わっていた。戦後日本経済の富の蓄積と社会インフラの高度な整備、小売・外食・娯楽のサービスの増加もあって、平成は失われた数十年とされるが、昭和以前も含め過去の日本で最も物質的に豊かな時代となった。
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男女は究極的な思想・生き方は合わない事も多い。「協調・真面目・適応・規範・仕事好き・自分が折れる・孤独回避の優先」が結婚向きな男の特徴ではある。男と女は言葉の用い方が違うだけ。
「男は言葉が不自由で近視ぎみ」と思えばいい。“男女の戦争”の終え方(http://mixi.at/aeTOh8R)
男は感情を言葉にする力が女性に比べて低いというより、男女の性選択の進化プロセスで、男性は感情を言語化して女性に要求するメリットがなかった事が大きい。女性は年代や関係性によっては、感情を言語化して要求・警告したりする事によって、近しい男性の行動を変化させてメリットを得られる歴史が長かった違いがある。
現代でも男性は感情を言語化して「こう感じているからこうしてくれ」などあれこれ訴えるよりも、実際に行動したり適応したりで稼いだり影響力を持つ役割の履行に重きが置かれる。「男も泣いていい」のジェンダーフリーはあるが、年齢のいった男性に泣き喚かれて助けや癒しを求められても、大半の人は困るのが現実だろう。
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○どんな親でも子は孝行すべきの儒教道徳の時代ならばともかく、現代は「親を尊敬か軽蔑か・親に感謝か憎悪かの成育歴の違い」でその人が想定する親子のイメージが180度違い、相互理解もかなり難しい。
75歳父を数十回蹴って殺した疑い、同居の42歳逮捕 (http://mixi.at/aeVDMvS)
子に責任を多く求める人もいれば、親に責任を多く求める人もいるが、「数十年以上に及ぶ親子関係の内容」や「親の子に対する育て方や干渉の仕方・子の親に対する接し方や価値観」などが分からないと、殺人自体は犯罪の悪事であるが、責任配分や善悪の程度を含めて一方だけを責めても実態と食い違っていることは多いだろう。
そもそも、男同士は親子であれ兄弟であれ親友であれ、「密着的な同居(生活空間の共有)をするとトラブルが多い傾向」を理解しておいたほうがいいかもしれない。男の同居のストレスは、遺伝的・進化的な原因もある。ゲイの人など個人差はあるが、単純に「縄張り意識・主導権争い・力での抑圧」になりやすいのだろう。
中年以上の兄弟の同居も、収入の格差や就労状況などによって、お互いのプライドを傷つけ合う非常に激しい喧嘩は珍しくないようだが、男同士が嫌々ながらも同居する状況というのは、端的に「お金がなくて同居せざるを得ない・仕方なしに一緒にいる」が多いので余計にちょっとした生活態度の不快感などでトラブルを誘発する。
殺人まで発展したこの父子関係でも、ここに温和な調停役のお母さんなりお姉さんなりがいて、介護的な役割を代理していたならば、この40代の息子も「まあまあ、ここは私たちに任せて」とでも言われて、殺人に至るまで蹴り続けなかったかもしれない。男所帯は貧困になって追い詰められれば、暴力の支配が前面にでやすい。
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国語のリテラシーの学力調査についての記事があった。新聞や教科書などを読み取る基礎的な読解力を身に付けられないまま中学を卒業する生徒が25%にのぼるとあった。確かに大人でもテキストである程度の分量と難易度のコミュニケーションをすると、大卒でも意味や内容を捉え損ねる人は多い。論理的・修辞的なアウトプットができる人も限られる。
特に『1000文字前後』の文字数でも、文章が長すぎて理解できないという人、『語彙の範囲』が狭く限られ漢字や基本的な熟語・故事成語を元々知らないという人も少なからずいるわけで、『話し言葉の短い日常のやり取り』だけでは分からない文章読解力や文章記述力の差違が学力・スキル習得の壁になっている可能性がある。
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