文系博士(文系の高学歴)になっても稼げないのはなぜか?学歴社会・公務員的雇用・稼ぐ能力などについての考察

○文系学部廃止論もあるが、経済活動と連携しない教養主義的な学問を国家が保護しなくなっているが、文系博士は民間では学校・塾等の教育分野くらいしか実需がない。院の入口部分で十分な説明が必要。

文系の博士課程「進むと破滅」 ある女性研究者の自死 (朝日新聞デジタル – 04月10日 07:32)

文系博士でも分野・内容・本人の資質(性格)によって、博士号を間接的に何らかの収入源として活用できるかどうかは変わってくるが、文系博士は職業直結の学位ではなくアカデミックポストを確約するパスポートでもない。大学院で博士号まで取得する人は、大学・研究以外の一般的な仕事を選択できない自己規定が枷になる。

根本問題は、大学でなくても何らかの公務員的な雇用(非市場的な分野の仕事)を得られなければ、文系博士の持つ知識・ノウハウ・経験などは直接にはお金になりにくいということであり、その認識を持った上で修士・博士まで取得する意義と潰しの難しさ(専門や学術を仕事にできない恐れ)を自分で理解していなくてはならない。

人文学の専門家も必要だが、公務員的なポストを得られる専門家の絶対数はかなり限定されるということである。特にマイナーな専門分野で一般国民の知的好奇心・読書範囲からもズレている場合には、アカデミックポストも公的機関のポストも採用人数が極端に少なく、わずかな椅子に高齢の権威が居座り続けて空きもでにくい。

学問・研究にこだわりすぎれば経済的には追い詰められやすく、最悪、年齢要因によって単純作業的なアルバイトのような仕事しかなくなることも多い。勉強が得意でそれなりのコミュ力・説明力もあるなら、専門分野はサイドワークとして学校教員・地方公務員などを本職とした方が経済的には救われる。

人文系の素養や文章力を活かし、作家として成功するような人も少なからずいるし、広義の物書きで糊口を凌ぐ人も多いようには思う。今はネットで大勢の人が読みたいコンテンツを書ければ広告収入なども得られる。「自分の知識・情報を換金できる方法」にも頭を使わないと、市場の需要・雇い先がない研究だけでは危うい。

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古代の日本と朝鮮の歴史的つながり、「妻のトリセツの処世術」と脳科学的な正論など

○古代の日本史と朝鮮史は繋がっていて、加羅(任那)という地域で倭人と朝鮮人が混住していたとされる。なぜ古代の朝廷に朝鮮の渡来人が官僚や技術者としてやって来ても、言葉の意志疎通で困らなかったかの理由は、加羅には日本人と祖先を同じくする集団がいつからかいたからで戦中の日鮮同祖論・日韓併合の根拠にもされた。

任那とは何かの古代史の議論は色々あるが、大きく分ければ日本側の植民地とする出先機関説と朝鮮側に有力士族がいてそこから近畿地方に血族がわたってきたという説、ただ倭人が分かれて住んでいただけとする説である。ただ当時の日本は大化の改新前で半島に明確な意思を持って植民地を維持する中央集権的な主体はなかった。

一方、半島の加羅(任那)にいる人たちは明らかに、ヤマトの有力豪族と定期的な連絡があり、言葉が通じて仲間意識を持っていたことは確かである。日本から渡ったのか、朝鮮から渡ったのかの経緯は不明であるが、新羅などは別だが、加羅と百済は当時の日本に対するある種の近縁性があり、その後の白村江の戦いにつながる。

古代朝鮮の三国時代は、高句麗・新羅・百済の拮抗した時代だが、660年の義慈王で滅亡する百済は、軍事を軽視した抑制的な仏教国家として半ば自滅するかのように滅びた。高句麗前に百済を狙った唐・新羅の連合軍に滅ぼされる。王子の豊璋を担いだ百済遺民を支援して、中大兄皇子と斉明天皇が白村江の戦いに臨んだ。

豊璋を補佐していた武将に鬼室福信がいて、百済復興運動で大きな活躍をしたが、鬼室福信の勢力拡大でクーデターを恐れた豊璋が自ら鬼室福信を処刑したことで、白村江以前に百済の滅亡は不可避になっていた。半島を狙った唐の登場によって、日本も統一国家としての意識や朝廷・律令が急速に整っていくことになった。

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