○「容姿コンプレックス」の根底にはトラウマと階層競合があり、現代では「美への欲求・美の欠如」を男女共にゼロ化しにくいが執着すれば多くは不幸になる。
25歳女性が苦しんできた容姿コンプレックス… 鴻上尚史が分析した、「自分は見る側」という男達の思い込み (AERA dot. – 06月04日 16:00) http://mixi.at/a9KiEbJ
昭和期以前の「女性に仕事も学歴も選択権もない時代」なら、男は「見る性」に安住できたが、今では若い男ほど「見られる性」にもなり不遇感・競合性(女性が自分より見た目の良い誰かを選ぶ)もあると思うが。実際の関係抜きで「容姿の品評」があるにせよ、直接的な恋愛・異性選択では20代なら圧倒的に女性が優位だろう。
男性が「女性の容姿」で態度を変えるは、現実の男女間コミュニケーションの一面だが、それは男女を裏返しても「女性がある程度見た目・雰囲気が気に入った男性としか話さない」も現実には多い。男性の態度は「女性の反応(返事)の良さ」でも大きく変わる。発語や表情、質問、良い反応が少なければ相手の反応も悪くなる。
「容姿コンプレックス」のレベルや過去のトラウマの強さにもよるが、容姿・美貌で劣っていれば恋愛や結婚ができないわけでは当然ないが、見た目だけを理由に恋愛・結婚の不満・悩みを募らせる人は、「自分と見合うような相手は排除している(自分も美の階層に囚われる)・自分を受け入れない人に近づいている」も多い。
経済・生活との交換条件の重要度が相対的に下がる20代?30歳前後の恋愛であれば、基本的には男性の方からアプローチして断られたり、付き合った後に振られたり(離婚したり)も多いが、女性も「自分から強くアプローチしないと来ない男(相対的に男性優位で機嫌まで取る)」に行くと恋愛・結婚では悩みや苦労は増える。
男性も「女性の容姿や言動、雰囲気を褒める方向」の言動はしても、よほど非常識か礼儀知らず、性格が悪いかでもないと「女性の容姿や言動、雰囲気をけなす方向(馬鹿にしたり悪口を言ったり)」の言動はしないだろう。自分を受け入れてくれそうな相手の見極めと自分・現実の受容がコンプレックス克服の鍵になる。
生存(衣食住)・生殖中心の人生に満足できなくなった現代人に残された領域の一つが、「マスメディアやネットが煽る美・性の階層序列的な快楽主義」である以上、広義のビジュアル主義・ルッキズムの悩みは続く。優生思想・貴族主義とも相関するが、経済補正が無ければ似た者同士を選ぶ人が多く、不満は自己像の鏡映となる。
「見るー見られる」や「声をかけるー声をかけられる(応答する)」は、古代から続く権力構造の図式でもあり、天皇・皇帝は「直接自分の姿を見られること(評価されること)」を回避した。天皇に至っては御簾をかけて拝謁者が直接天皇の顔かたちを直視できなくしていた。「表を上げよ」などの権力者の言葉遣いも相関する。
「見る人」は「見られる人」よりも強く、「声をかける人(質問したり要求したりする人)」は「声をかけられる人」より強い権力図式があるが、「声をかける」は「相手に選択権・拒否権がある場合」には力関係は逆転する。ただサルでさえ、自分の目を直視されると攻撃本能を刺激され威嚇してくるのは面白い現象かも。
続きを読む 現代社会における「男女の容姿コンプレックス」の考察、元農水事務次官が長男を刺殺した事件とひきこもりの心理状態の分析など