福岡県筑後市のリサイクルショップ連続殺人事件:閉鎖的な環境・関係で起こる悲劇的な事件の構図

閉鎖的環境で異常な命令を強制するサディスティック(嗜虐的)な犯罪者の多くは、『被害者家族間の協力』をさせない為に『相互の罵倒・暴力・懲罰』をけし掛けた上で、自分が『争いと罰則の裁定者』の立場に立って支配することが多い。自分自身の手は汚さずに、被害者同士で争わせて罵倒の応酬や殴り合いをさせて、正常な倫理観や判断力を麻痺させていくという意味ではかなり卑劣で悪質である。

<リサイクル店連続殺人>暴行は命令されて…栄江容疑者主張

北九州一家殺人事件の松永太、尼崎監禁殺人事件の角田美代子なども、『家族間・夫婦間での罵倒・殴り合い』をさせて、『集団のルールを守らなかった為の罰則(電気ショック・殴打・不眠・排泄の制限等)』を自分ではなく被害者の誰かに代わりに実行させている。

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大阪維新の会の山本景府議、『中学生とのLINEトラブル』で府議団を除団される処分

LINEのグループから外されたからといって、女子中学生に怒って脅迫メールを送りつけるのは、府議という公人ではなくても、一般の30代男性でもかなり稚拙な行為である。LINEのグループの設定権は本人にあるので、誰を外すのかは本人の勝手である。また中学生は本格的な支持者でもなく、ずっと山本府議とコミュニケーションを取りたいと思う動機づけは弱いだろう。

<大阪維新>山本景府議を除団…LINEで中学生とトラブル

mixiでマイミクを外されたからといって怒る人やfacebookで友達から外されたといって不機嫌になる人とも似ている。しかし、『コミュニケーションの相手・情報公開の範囲』を設定したり選択する権利は誰にでもあるし、一度追加した友人を絶対に削除してはいけないと言われたら息苦しくてとてもやっていられない。

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土居健郎の『甘えの構造』からの考察:『母(妻)・芸者(娼婦)・妾のマトリックス』と日本文化における男女関係

精神分析医の土居健郎(どいたけお)は、『甘え』の感情を世界の国々にも普遍的に見られる感情だと前置きしながらも、『母子関係の密接さ(父性原理の弱さ)』のある日本において特に強い感情だとした。

土居の語る『甘え』とは、『他者の自分に対する好意や手加減を当てにして振る舞うこと』である。ここでいう他者とは『母親代わりであることを期待する人物の表象』であり、甘えは発達早期の乳幼児期の母子関係の中で『赤ちゃんの微笑・泣き・排泄などに的確に応えてくれた母親の行動』が原型になっている。

従来、日本では恋人・妻を『母親の代理表象』にしてしまって、無償の愛情・献身が継続することを信じていたり、身の回りの世話を焼いてもらったりする男性(亭主関白・マザコン・アダルトチルドレン)が多かったが、その根底にある感情は『甘えられる女性(好意や配慮を無条件で期待できる女性)』を求める欲求であったと言えるだろう。

日本文化と『母性・ママ・おふくろの言葉』は多義的な結びつきやメタファーを持っており、実際の生みの母親だけを指示するものではなく、飲み屋・料理屋の女主人をママと呼んだり、典型的な昔ながらの家庭料理をおふくろの味と呼んだりもする。そこには、男性の社会的・外面的な体裁やプライドを外して接することができる『甘えられる対象・懐かしさ(帰れる場)を味わえる対象としての語感』が織り込まれていると解釈できる。

人権意識と産業経済が発達して農村(大家族)が衰退した先進国の多くでは、晩婚化・出生率の低下などが必然的な傾向として現れ、女性は必ずしも母親になるとは限らなくなったが、この事は『(農業経済段階・イエ制度の)母性神話の解体』であると同時に『女性の個人化(イエ・母性からの解放)』でもあった。

それが現代では更にねじれて、『労働市場での女性の自立(キャリア構築)の大変さ』から『母性神話・家庭の中の居場所へのバックラッシュ』も起こっており、若年世代では、企業社会で競争するキャリアウーマンよりも専業主婦(+短時間労働)に憧れる人の割合が増えたりしている。

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道徳の教科の格上げ:『権威主義+綺麗事(徳目主義)+点数評価』に陥らない工夫を。

道徳とは何か。道徳とは、人として踏み行うべき道、善と悪の判断基準であり、徳を身につけた人物の行動理念である。『道徳』を授業で正解のある知識として教えたり、覚えさせた正しい振る舞いや意見を先生の前で再現させたり、ペーパーテストで確認することに意味があるかといえば恐らくない。

道徳の教科格上げ、「公平」「正義」指導へ 心配の声も

道徳は、『知識として知ること・語ること』は極めて簡単だが、『行動として行い続けること』が極めて難しいという性格を持つ。古代ギリシアの哲学者や古代中国の儒家たちが、『知徳合一(正しいと知っていることと実際に行うことを一致させよ)』を道徳の根本とした所以でもある。

道徳の本質は、社会生活を営む人間が他者とお互いを尊重して共生できるようにすること、あるいは人間が他者からその人格的価値を認められて慕われるようなヴァーチュー(美点・卓越)としての徳を高めていこうとすることである。

道徳教育について、教育勅語を懐かしむような復古的な意見もあるが、教育勅語の最大の欠点は『人間一般としての徳』ではなく『天皇・国体を支える臣民としての徳』であるため、ローカルな忠孝の規範性が優位に立っており、ローカルな規範の外部にある国・異民族に対しての共感的な徳性に配慮されていないこと(人間より国家を優先する道徳の道具化)である。

近世以前の日本の道徳の淵源としてある孔子の儒教でさえ、義・忠・孝にも優越する普遍的な徳目として『仁(他人に対する愛・思いやり)』を掲げ、仁はあらゆる望ましい人間関係(他者を自分と同じように大切にしようとする心がけ)の根本にあるものだとした。

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アメリカの原爆投下は、なぜ日本人の怨恨・屈辱を長引かせなかったのか?:戦後日本の幸運なサクセスストーリーと90年代からの停滞ムードからの国民意識の変化の兆し

こういった疑問を抱く人も近年は特に増えているようだが、この答えは『終戦前後の大日本帝国の支配体制及び生活状況が悲惨であり既に厭戦気分が強かったから・自国の政治家や軍人が統治しているからといって必ずしも日本人の生命及び権利が大切にされていたわけではないから・アメリカの占領統治が日本人の反感を買わないことに腐心したから』ということになるだろうか。

何より、戦後日本の実際の歴史的な歩みには、敗戦のショックや屈辱(暗い見通し)を打ち消すだけの焼け野原からの復興・前進・急成長による明るさがあり、それは大勢の日本人にとって日本がアメリカと同等の豊かさを持つ先進国に成り上がっていくというサクセスストーリー(非軍事的な経済競争・技術開発での勝利)として受け取られた。

血も涙もない『鬼畜米英』と教育されていた日本人は、戦争に敗れれば男はみんな殺害されたり奴隷にされ、女は強姦でもされるものと思って決死の総力戦に奮戦したが、いざ実際の占領統治が始まるとアメリカ軍は暴力的・虐待的な支配や使役を行わず、むしろ日本人の飢餓・貧困・不自由に配慮する焦土からの復興支援プランを示したことで、日本人の大多数は肩透かしを食らった。

日本政府は配給を滞らせて飯を食わせてくれず、逆に食糧をすべて軍のために徴発していったが、メリケンは庶民でも飯(パン)が食えるような食糧支援プランを講じてくれた、戦後すぐの荒廃し尽くした焦土における飢えと不安、そこに与えられた米軍からの配給食糧の恩恵は、長年の教育で刷り込まれた日本人の欧米憎悪(白人の鬼畜視)を緩やかに崩すに十分な効果を持っただろう。

アメリカから流入する華やかな文化文物・娯楽・映画・ファッション・進んだ機械は、『日本の後進性』を第二の黒船ショックのように刺激して、大日本帝国時代に持っていた、日本はアメリカやイギリス以上に先進的な素晴らしい国(日本人はアメリカ人やイギリス人よりも皇国・天皇から赤子として大切に処遇されている)という幻想があっという間にかき消されてしまった。

軍事的な総力戦で敗れただけではなく、国民の自由や幸福、娯楽、政府の社会福祉や人権保護、男女平等の領域においても、日本はアメリカやイギリスに及んでいなかった現実を突きつけられる格好になり、『明治維新以降の殖産興業・自由民権・物質文化の向上』が昭和初期に頓挫してしまったことで、日本人は『国・天皇のために全てを捧げなければならない臣民(命・身体さえも拘束され得る非自由民)』にとどまっていたことに気づかされるのである。

結果、日本人は『初めから勝てない戦争(圧倒的に経済・物量も軍事も文化娯楽も進んでいる米国との無謀極まる戦争)』に政府や軍から騙されて駆り出されたという被害感を持つことにもなった。これは半分真実、半分捏造とでもいうべき被害感である。

当時は戦争(外国嫌悪)や国家主義(天皇崇拝)に賛同して貢献するような国民になるように教育されていたのだから、『戦争反対・個人主義・平和主義』などの価値観を持つ国民は殆どいなかった。

満州事変や国連脱退、三国軍事同盟、真珠湾奇襲など、英米との軍事的緊張が高まり衝突していくイベントに際して、日本人の大多数が興奮して拍手喝采したというのも事実である。日本の帝国主義や国体思想は『国民教育の前提』なので、日本の支配圏の拡大やアジアでの軍事的プレゼンスを押さえ込もうとする英米が嫌いな国民が多いのは当然といえば当然であった。

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三鷹ストーカー殺人事件の池永容疑者が控訴:交際相手のストーカー化・加害者化の回避と独占欲の危険な変質の恐れ

リベンジポルノ問題も提起した残酷かつ卑劣なストーカー殺人事件だったが、無期ではない懲役22年は元交際相手という要素もあるのだろう。『男女間の痴情の縺れ・未練と執着』への対処の仕方は未成年では難しい部分もある。

元交際相手が控訴=三鷹ストーカー殺人

『相手の執着心・嫉妬心・攻撃性の度合い』を見誤れば、ストーカー殺人までいかなくても別れ際のトラブルは免れない。恋愛が上手くいっている間は、執着や嫉妬も『愛情・誠実』と誤解されるが、相手と別れたい時には『話し合いや常識が通用しない執着心・独占欲』は時に狂気的なしがみつきや加害性に変質し得る。

男は女と恋愛感情ありきの肉体関係を持つと、割り切った関係でもない限り、一定の『所有感覚・独占欲』を持ちやすく、『別離や自分以外の男との関係』に嫉妬や苦悩を抱くものだが、『ダメなものはダメと最終的に諦められる性格・嫉妬を悪意とリンクさせない潔い性格』かどうかという見極めは困難な部分もある。

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