恋愛と結婚の違いについて。

『反復的な衣食住の生活・協働的な関係』に興味を持っているかどうか、『何気ない生活場面・メンバーが固定された関係性』を楽しめるか否かの違いによって、結婚生活の評価も大きく変わる。

既婚者が語る恋愛と結婚の違い9パターン

『生活そのものへの興味関心』が薄い人(衣食住・家事などは二の次で構わないというような人)だったり、『毎日顔を合わすような生活』への憧れが弱い人(恋愛で月・週に数回会うことさえ面倒に感じてしまう人)だったりすると、結婚生活への適応力は一般に低くなるが、『相手に干渉する度合い(自分と相手にとって心地よい干渉レベル)』のバランスも重要になる。

あまりうるさく構われたくない人(基本的に自分のことは自分でやる人)もいれば、もっと構って欲しい(あれこれ世話を焼いて欲しい)という人もいるわけだが、そのバランスが大きく崩れると一緒に共同生活を送ることが極めて困難になってくる。

昔の亭主関白のように『風呂・飯・寝る』の人は今では滅多にいないだろうが、自分だけが働いて給料を全て家に入れる立場だったりすると、それに慢心して自分が扶養しているのだから何でもかんでも優しくしてくれて当たり前のように思い、『平均的な家事育児・会話内容』に満足できないような人も出てくる。反対に、夫婦共働きだと『自分と相手との家事育児の負担』について、専業主婦(主夫)の人よりもセンシティブな不満感・不公平感を抱きやすくなるという問題もあり、『家にお金を入れている度合い+それに見合う自分への家族の感謝や優しい対応』にこだわることで、逆に結婚生活が破綻することもある。

中長期的にはどちらかが『以前と同じテンション・相手への好意や協力』を維持できなくなってくれば、夫婦関係も悪化していきやすいが、『それぞれの人生・活動・趣味・関係』を尊重する(いつもべったり一緒にいなくても良い・相互の自由時間を確保するために気を遣う)という適度な距離感が開いていくことで安定することもある。

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参院選の論点:第96条・第9条からの自民党の憲法改正の姿勢をどう見るか。

日本国憲法はアジア太平洋戦争(大東亜戦争)の敗戦と総力戦の甚大な被害を受けて制定された国民主権の憲法であり、『天皇主権・国体思想』によって教育した国民(臣民)を皆兵化・道具化したり思想・言論の統制をしていた時代の終焉を宣言する役割を果たした。

無条件降伏を要求するポツダム宣言には、軍事的・統制的(人権抑圧的)な政体の変革、そのための民主的な憲法制定の義務が含まれていたため、GHQの啓蒙主義的・社会契約論的な憲法改正草案を下敷きにして、日本政府が改正草案を完成させ帝国議会で審議し可決した。

戦争被害によって家族や家屋、財産を失って悲惨な状況にあった当時の国民、満州国や戦地からの引き上げの過程で途端の苦しみを味わった人たちの大半は、敗戦によるそれまでの信念・目的の挫折(大本営発表の虚構性への憤り)を味わいながらも、憲法9条の『平和主義・戦争放棄』を好意的に受け容れた。

戦争の被害や危険は、『外国からの攻撃・侵略・謀略』だけによってもたらされるものではなく、むしろそういった仮想敵の危機や難局打開の好戦意識を煽る『自国の支配体制・貪欲な権益追求・教育内容・軍国主義・国民の兵士化(近代国家の戦争機械としての側面)』からもたらされることが多いことを、敗戦時の日本国民は自らの実体験を踏まえて感じ取っていたからである。

国家権力が国策としての戦争を遂行できない、国民が強制的に徴兵されない、勇敢な兵士・忠実な臣民を理想とする軍国主義(戦時動員体制)が再燃しないという憲法9条は、現在では当たり前のものとして恩恵が感じられにくくなったどころか、逆に『平和主義が無抵抗主義のように受け取られて外国に舐められる・憲法9条が国防を危うくして外国に侵略される・軍事力には同等以上の軍事力を持つことで抑止力を形成すべきだ・軍事的威圧を与えられない憲法9条が日本を骨抜きにしている』といった改憲派の批判の標的にさえなっている。

グローバル経済の進展による『国家間の貿易・資源・市場の相互依存性』や『文化交流(民間交流)・トップ会談・普遍的人道的な理念による相互理解』によって、日本・アメリカと中国が全面的に軍事衝突する可能性はまずない。だが、『経済・文化・生活のレベル』よりも『軍事・暴力(喧嘩)・理念のレベル』だけで国際情勢や外交を考える人は、仮想敵に設定する中国・北朝鮮が憲法9条があるために(すべての経済利益・国際社会の信任・国民生活の維持・事後の体制の持続性を捨てて)核ミサイルで不意討ちしてくるかのような恐怖心に囚われることもある。

憲法9条に関する根本的な誤解として、現状の解釈改憲でさえも『集団的自衛権』が行使できるという識者がいる状況なのに、9条が外国からの先制攻撃に対して防衛して反撃する『個別的自衛権』までも放棄しているという誤解がある。攻撃されても一切反撃できないとか、無抵抗主義で殺戮されるとかいう間違った条文解釈が為されていることも少なくない。

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高速増殖炉もんじゅの技術面・安全面のハードルと核燃料サイクルの見通しの悪さ

高速増殖炉もんじゅは、『MOX燃料(プルトニウム・ウラン混合酸化物)』を燃やして、MOX燃料の消費量以上のプルトニウム燃料を生み出すことを目的にした原型炉であり、核燃料廃棄物を半永久的に再利用できる『核燃料サイクル』の実現を目指すものである。

『使用済み核燃料(長期にわたり有害な放射性廃棄物)』を再利用できる核燃料サイクルの技術を確立することができれば、『ウラン235の枯渇リスク(資源高騰リスク)の回避』と『使用済み核燃料の処分問題』を同時に解決できる夢の技術であるとして、もんじゅ建設当初は大きな期待が寄せられた。

核燃料サイクルを実現するための施設・原型炉として、青森県六ヶ所村の『再処理工場』と福井県敦賀市の『高速増殖炉もんじゅ』があるわけだが、残念ながら両方とも現時点ではまともに稼働しておらず、当初予算を越える莫大な施設・設備の建設費と維持費だけが積み重なり続けている。

何より2012年11月に、もんじゅは保安規定に基づく機器の点検漏れが9679個あったことを原子力規制委員会から指摘され、更に重要な非常用電源に関する点検漏れも発覚したことから、『もんじゅの無期限の使用停止命令』が日本原子力研究開発機構に対して出されている。財政的にも法律的にも技術的にも、『もんじゅの八方塞がり感』は深刻になっており、無期限の使用停止命令がいつ解除されるのかの目処も立っていない。

原子力規制委員会は原発事故の反省を踏まえて、内閣・国策から独立的に原子力関連機関・装置について調査と指導をする権限を保有しているため、政権が『原発推進・もんじゅ再稼働の方針』を持っていても、原子力規制委員会の根拠法そのものを改正しない限りは、短期間でもんじゅを再稼働させること(使用停止命令の即時解除)はできないのである。

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日本をはじめとする先進国の投票率の低さとシステマティックに運営される民主主義国家の疲弊

自由民主主義で運営される国家は成熟期を迎えると、『国家による国民の権利侵害のリスク』が低下することによって、国民の国家・政治に対する興味関心は落ちる傾向がある。あれほど大統領選挙がフィーバーしているように見えるアメリカ合衆国でさえ、『大統領選と同時開催の国政選挙』で60%の投票率に行くか行かないかであり、単発の中間選挙では40%台にまで低下するのである。

ドイツやフランス、イギリスといったEUの大国が、概ね日本と同じ程度の投票率で40~60%台を行き来しているわけだが、『民主主義の成熟・国家権力の無害化』によって起こる投票率の低下を防止するために、イタリアやオーストラリア、シンガポールのように『投票の義務化』を行っている国もある。北朝鮮・旧イラクのような独裁国家も国際社会に民主主義をアピールするため、『選択肢のない信任選挙(武装警官に監視された投票所での実質的な一党独裁体制・独裁者肯定の追認選挙)』を行っているが、これは結果ありきの形式的な投票で意味はない。

罰則・罰金つきの義務化を行った国であれば90%以上の投票率にはなるが、『イタリアの財政内政・国際的影響力』が低迷しているように、投票率が高くなればなるほど国民生活が良くなったり国家の基盤が強くなったりするわけではないので、単純に投票率が上がれば政治の諸問題が片付くとは言い切れない面は残る。イタリアでは積極的に投票する『フリーライダー層』の増大が問題視されているが、フリーライダーというのは公共投資や福祉政策といった税の再配分を求めつつも、自分自身の負担増加には強く反対する層である。

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広島県の女性集団暴行死事件と『家庭機能・学校‐就職の経路・共同観念』を喪失した少年少女の集団心理:2

現実社会の法律や常識、職業選択と対立する『不良集団(非合法活動に関与する集団)』は、一般的に『仲間の大切さ・裏切りへの制裁』を絶対的な規範にすることが多く、『仲間内でのルールや貸し借り』を『一般社会の法律や常識』よりも優先してしまうことが多い。

この記事の内容は、前回の『広島県の女性集団暴行死事件と『家庭機能・学校‐就職の経路・共同観念』を喪失した少年少女の集団心理:1』の続きになっています。

自分の行為が社会においてどのように認識されるのか、法律によってどのように判断されるのかを考えるのではなく、『仲間集団においてどのように認識されるか・仲間の価値観やルールに合っているか』のほうにより上位の価値観を与えてしまうということだが、こういった心理は極端な違法行為の免罪や認識する視野の狭窄を抜きにすれば、『身内・仲間・知り合いの言動に配慮する,その場の支配的な空気に同調してしまう』という形で誰にでも見られやすいものではある。

本来であれば、親とのコミュニケーションや学校で教育される社会の仕組みにまつわる知識・情報、他者と意見を取り交わす体験を通じて、『社会構成員に一般的に通用する共同観念』を形成していくものである。

しかし、上記してきたような『家庭機能の低下・学校教育からのドロップアウト・早い段階での経済的自立の圧力(親・教師の保護や指導の欠如)・スキルや資格による就職の選択肢の放棄』などの要因があると、『法律・倫理・政治・常識・慣習といった社会全体で通用する共同観念』を身につけることができず、『自分の周囲にいる仲間との関係性・利害関係』の中だけで生きているような『現実認識の視野狭窄(広い社会や一般的なルールが全く目に入らない友人関係の生活様式にはまり込む)』が起こってしまう可能性が非常に高くなる。

現代日本ではかつて浮浪児と呼ばれたようなストリートチルドレンを見かけることはまずないが、『家庭・学校・職場における居場所や自分の存在意義(まっとうに働く意義)』を見つけられない少年少女が社会を漂流し始めている状況が生まれている。『お互いの必要性・役割分担を認める仲間』に経済的・精神的に依存することによって、『集団内の力関係・ルール違反・同調圧力』に異常にセンシティブにならざるを得なくなり、『集団の外部の立場・目線』からすれば、たったそれくらいのことで(そんな仲間なら切り捨てれば良いのに)という馬鹿らしい理由で集団暴行・殺人(粛清)に及んでしまうこともある。

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広島県の女性集団暴行死事件と『家庭機能・学校‐就職の経路・共同観念』を喪失した少年少女の集団心理:1

広島県呉市の灰ヶ峰で若い女性の遺体が発見され、16歳無職の女性が自首してきた事件は当初から『車を運転したり遺体遺棄を幇助した共犯者の存在』が疑われていたが、出頭してきた6人の友人知人が逮捕されたことで新たな展開を見せた。報道では、『LINE』を通じて少女が友人たちと殺害事件に関連する情報・意見のやり取りをしており、警察にその情報の履歴を詳しく解析されれば『共犯者(自分たち)の存在』を隠し通すことはできないと観念したのかもしれない。

『殺害の動機』については、少年少女のグループが仲間内で営業していたとされる『違法な接客業・(私営の性風俗業か)』から上がる『利益の配分』を巡って被害者女性と揉めていたとも伝えられる。

加害者の女性が、昔からの友人だった学生の被害者を私営デリヘルに誘ったことが事件の発端ともされる。『ドロップアウト型の不良集団・違法ビジネス』での金銭が絡んだ仲間割れ(信用崩壊)が、『加虐と同調の制裁的な集団心理(仲間を裏切ったのだからこれくらい罰せられても当然とするローカルルール)』によって殺害までエスカレートしてしまったケースのように見える。

価値観や生き方、利害、仲間意識の共通点で結ばれた反社会的・カルト的な小集団が、『集団の規律を破った仲間・集団から離脱しようとした仲間』を殺害(粛清)してしまう事件は、連合赤軍事件(山岳ベース事件)やオウム真理教事件、暴力団・暴走族関連の事件をはじめとして過去に多く起こっている。性風俗やドラッグ、振り込み詐欺などのアングラビジネス(違法ビジネス)で金銭トラブルの仲間割れを起こして、今回と同じような図式で『利益配分に納得しない仲間(役割を果たさなかったり不正に多くの金銭を盗んだ仲間)』を殺害して遺棄するような事件も過去にあったりした。

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