『反復的な衣食住の生活・協働的な関係』に興味を持っているかどうか、『何気ない生活場面・メンバーが固定された関係性』を楽しめるか否かの違いによって、結婚生活の評価も大きく変わる。
『生活そのものへの興味関心』が薄い人(衣食住・家事などは二の次で構わないというような人)だったり、『毎日顔を合わすような生活』への憧れが弱い人(恋愛で月・週に数回会うことさえ面倒に感じてしまう人)だったりすると、結婚生活への適応力は一般に低くなるが、『相手に干渉する度合い(自分と相手にとって心地よい干渉レベル)』のバランスも重要になる。
あまりうるさく構われたくない人(基本的に自分のことは自分でやる人)もいれば、もっと構って欲しい(あれこれ世話を焼いて欲しい)という人もいるわけだが、そのバランスが大きく崩れると一緒に共同生活を送ることが極めて困難になってくる。
昔の亭主関白のように『風呂・飯・寝る』の人は今では滅多にいないだろうが、自分だけが働いて給料を全て家に入れる立場だったりすると、それに慢心して自分が扶養しているのだから何でもかんでも優しくしてくれて当たり前のように思い、『平均的な家事育児・会話内容』に満足できないような人も出てくる。反対に、夫婦共働きだと『自分と相手との家事育児の負担』について、専業主婦(主夫)の人よりもセンシティブな不満感・不公平感を抱きやすくなるという問題もあり、『家にお金を入れている度合い+それに見合う自分への家族の感謝や優しい対応』にこだわることで、逆に結婚生活が破綻することもある。
中長期的にはどちらかが『以前と同じテンション・相手への好意や協力』を維持できなくなってくれば、夫婦関係も悪化していきやすいが、『それぞれの人生・活動・趣味・関係』を尊重する(いつもべったり一緒にいなくても良い・相互の自由時間を確保するために気を遣う)という適度な距離感が開いていくことで安定することもある。