『突然ですが、明日結婚します』の視聴率が低迷しているという。『突然ですが、明日結婚します』は今の若い男女の恋愛にも結婚にも接点(リアリティ)が薄い脚本で、西内まりやか山村隆太のファンでもないと次のストーリーを見たい要素が少ないのが問題かもしれない。
男女の結婚願望のズレのテーマは時代性があるのだが、ちょっと浮世離れした職業・生活など設定が悪いように感じた。
西内まりや月9「明日結婚します」急降下6・9%
内容はおとぎ話風のキラキラストーリーなのに、各種設定に中途半端なリアリティを持たせてる為、逆に『視聴者の誰にも関係ない世界+美人とイケメンのナルシスなドタバタ劇』になった。勝手にやってろの感想になりやすいのではw西内まりやが古風な結婚・専業主婦を希望しても次々と男に振られ…わけないだろう的な。
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仕事を早く解放されたい軛(くびき)のように捉える人はいるが年収1000万の人と結婚でその軛が簡単に外れフリーになれるはずもない。子やローンで働く必要が増したり、一度失った稼得力を惜しむも多い。
「仕事がしんどい」だから専業主婦に逃げようとしている貴女へ
稼ぐ人と結婚すれば、労働から解放され自由な人生をエンジョイできる甘い話はまずない。生涯賃金以上の資産(適切に運用されてインカムのある金融資産)があるケースを除き、仕事から中途半端に逃げようとすればするほど資本主義社会の労働者は後で苦しみやすい構造がある。相手の収入全額が自分の管理下に入る保証もない。
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○トランプ大統領の政治理念を象徴するのが、アメリカ人(特に白人労働者層)を保護し敵(不法移民・ムスリム・外国製品)を米国から隔離・排除する『壁』だが、この壁は『移民国家・人種の坩堝』の熱量で発展した米国の自己否定でもある。
米国の入国制限に国際社会が反発、中東同盟国からも批判
トランプ大統領やその熱烈な支持層にとって、現在のグローバリズムや移民国家(人種の坩堝・非白人の影響力増大)、イスラム過激派の潜入は、『アメリカ合衆国の純潔性の濁り』として受け取られている。国境や自由貿易やムスリム入国を阻む『壁』が、リスクを濾過する装置のようにメタファーとして求められている。
だが米国の活力と拡大のエネルギー源になってきたのも『移民の労働力・ハングリー精神・人口増加』で、独立戦争以降、必ずしもアングロサクソン系の勝利・発展の歴史のみに一元化できるものではない。黒人もアジア系もヒスパニックもムスリムも移民から米国市民としてのアイデンティティを得て社会貢献した者が無数にいる。
トランプ政権の『難民の入国拒否』は国際条約・人道的責任の履行に反し、『特定国家のムスリムの入国制限』はイスラム圏に対する相互の怨恨や偏見を助長する恐れもある。『壁による国境・セキュリティ強化』は現代の先進国が対応を悩む(自国の価値と合わない)異質異端・(恩を仇で返される)懐疑心と絡んで賛否が割れる。
トランプ大統領のムスリム・難民の米国入国制限の政策の趣旨は、『永久に中東の特定国家の市民の入国を認めない』のではないようだ。入国制限には期間設定があり、永住権(グリーンカード)保持者は入国可能。目的は『入国審査の厳格化(履歴照会等で潜在的な反米主義者・テロリストの入国拒否)』にあるとしている。
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いじめは『成育環境・性格・目的意識』の異なる多様な人が集まる学校等で起こりやすい。小中学校での事前抑止は困難、面接指導で解決しなければ『合わない相手』と物理的な接触頻度を調整すべきかも。
いじめ相談に担任「超能力あれば…」 翌日から不登校に
『超能力があれば云々』という教師のいじめ問題を直視せず煙に巻くような対応は無責任だが、『対人トラブルの調整』は警察・弁護士・警備員でもリスクをゼロにし被害者を守り抜くのは難しい。ストーカーやDV、隣人トラブルを警察に相談しても殺人に発展もあるが、いじめも加害者が納得しなければ再発不安は消えない。
警察のような強制力発動の法的根拠がありストーカーやDVの証拠があっても、その場ですぐ容疑者の身柄を拘束して長期にわたって自由を奪い被害者を守り安心させるなんて事はまずできない。また警察の前でだけ反省(もうしませんと誓約書に署名)の素振りを見せてより悪化することも多い。いじめも同様の問題構造はある。
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○仏教の存在論は『アビダルマ(上座部の有部)』と『唯識・中観(大乗)』に分けられる。アビダルマは『思惟』を、唯識は『知覚』を『モノの本体』として『モノの実在』を考える。哲学史の『主客論争』に似る。モノに実在なしとする諸法無我は、『知覚するモノは無常・思惟するモノは知覚できない』で論証される法印である。
唯識の祖である竜樹(ナーガールジュナ)は特に、人間の頭(意識)の中のみにある知覚対象を持たない思惟の世界を『非実在』として『思惟=頭の中の意識による構想=非実在の虚構(モノは現象として過ぎ去る』とした。一般常識では、他者と共同で知覚されたものは『モノの実在・事実の確認』とされるが仏教は唯心論に近い。
仏教は一神教のような神を持たないとされるが、諸行無常・諸法無我・一切皆苦・涅槃寂静など『超越論的な世界・人間のメタ観察者の視点(四法印認知の視点)』そのものが『神の視座(無常な実在なきモノの生死・流転をただ現象面の様態変化としてフラットに見続ける非人格的視座)』として仮定されているように思われる。
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東京足立区で起こった3歳児を『兎用ケージ』に監禁して殺害した事件のルポ記事を読んだ。無知・貧困・虐待・捨て子の世代間連鎖とでもいうべき加害者父母の劣悪な生育歴(善悪・常識・愛情・社会性を学ぶ機会の剥奪)が詳細に書かれていた。現代日本における『理性・愛情のない格差の底』は大半の人の視界にも意識にも入らず想像に限界もある。
どんな劣悪な家庭環境や異常な親子関係でも、犯罪を犯して良い理由にはならないし、類似の親でも犯罪・虐待をしない人もいるの正論も分かるが、まともな知性・愛情・良識を持つ両親のいる中流家庭で育てられ大学なり専門学校なりを出して貰った人が『機会の平等・罪刑法定主義』を盾に正論で叩くのにも違和感はあるな。
子供は親・環境を選んで生まれるわけにいかず、全ての親に最低限度の知性・愛情・良識・判断力(責任能力)があるとも期待できない、どうにもならない要素は多い。生まれながらに人格形成や愛情獲得、学習にハンディを負い、本能に動かされ負の連鎖は続く、『法の下の平等・機会の平等・義務教育』の建前の虚しさも響く。
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