犯罪者を即死刑にせよの声も多いように、人は『大勢が悪と認知した他者』を攻撃する群衆心理の影響を受けやすくその時は罪悪感が薄い。いじめも異質な人を悪・邪魔とする『未熟な制裁』が関係しやすい。
<いじめ>「被害者も悪い」小中3割 金沢市教委アンケート
『未熟な正義・制裁』と『幼児的な優越欲求(マウンティング)・集団統制』が絡む時にいじめの集団行動は起こる。大勢がいじめられる子の何らかの異質性(不適応性・弱み)に注目し『悪・不快・邪魔』と認識すると共感・良心のブレーキが効かなくなっていじめがエスカレートする。スケープゴートや集団暗示も影響する。
いじめは個人対個人の関係では合わないタイプの他者がいても起こりにくいが、『固定メンバーの集団・共同生活』ではメンバー構成にもよるが、一定確率で起こりやすい。大人でも警察・軍隊など共同生活・仲間意識の要素が濃い仕事ではいじめ発生率は有意に高い、パーソナルスペースで合わない人と常に接する環境要因もある。
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日本には『法的な身分・階層』はないが、『経済的な身分・階層+政治的・職業的な世襲』はあると言われるが、その典型的な現れの一つが大企業(上場企業)の大株主(平均して創業家は20~40%の株式を保有していて、創業者の子孫は社内の一定のポストと莫大な配当金を得ていることが多い)として陰に日向に影響力を維持している『創業家一族(労働所得に依存しないセレブの富裕層)』であり、日本の名前の知られた大企業の大半には、(株を全て売却して恩顧ある幹部社員に見限られない限りは)創業家の意向が今も働き続けている。
『日経ビジネス』で『出光興産・ベネッセコーポレーション・大戸屋ホールディングス』の創業家と現経営陣の対立や混乱が特集されていたが、『世襲の同族企業・創業家一族の隠然たる影響』というと自由民主主義・形式的な人権の平等が前提の現代ではげんなりしやすいのだが、こういった大企業の多くは株式を公開しているとはいってもいわば『社内統治における経済的・身分的な独立国家』であり、創業家一族には王朝を開いたカリスマの子孫・末裔といったドラマ的なメタファーが『飛躍』するにせよ『凋落』するにせよ効いてくる。
出光興産は激化する石油業界の競争環境に対応するため、現社長の月岡隆氏(非創業家の社内叩き上げの社長)が昭和シェル石油との合併にスケジュールまで組んで合意していたが、創業家・出光家の老総帥である出光昭介(五代目社長・89)の『外資の昭和シェルとの経営統合は創業者である父・出光佐三の精神(社員を最後まで育て面倒を見る大家族主義)に合致しない』の一声によってご破産にされた。月岡氏は一度は合意を取り付けたはずだったが、急な出光昭介氏の翻意・激高に逆らえず再度の合意取り付けを逡巡したといい、本人同士の話し合いも行われていないという記事であった。
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日本では『嫌いな相手と関わらない(口を聞かない)のは個人の自由でいじめではない・意地の張り合いで無視する』の価値観は珍しくない。意図せずして閉鎖集団ではいじめで追い込まれる人も出る。
日本のいじめ、目立つ「仲間外れ」「無視」 海外と比較
水利を分有して共同作業を行う農村共同体では『村八分の仲間はずれ』は、最も厳しい制裁の一つだったが、学校や会社、親族といったものも『同調圧力の働く擬似的な村社会』のようになりやすいのかもしれない。現代はそこに『嫌われる人や不快な印象を与える人が悪い』の免罪が加わり、無視はいじめではないの認識となる。
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現代人に一人が増えた理由は『地縁血縁=義務的な縁が多く失われたこと』と『自分が関わりたいと思う好きな相手としか付き合いたくない人が増えたこと』だろう。
“たまたまひとりでも大丈夫”と思えれば、世間の目なんて気にならない/月読寺・小池龍之介さん(後編)
独りが嫌という人も『誰とでもいいから一緒にいたい人』『色んなタイプのいる大きな群れ・集団の一員にいつもなっていたい人』は、今は滅多にいない。むしろ気が合わない人や魅力・楽しさを感じない人と会うよりも、『一人でやりたいこと(趣味・娯楽・教養・文化)をしたい人』が多数派を形成しているように思える。
一人は嫌といいつつ、家族・地縁血縁を軽んじたり、職場の飲み会・社員旅行を辞退したり、自分が気を遣う場・相手を避け、気になるメンバーのいない集まり、上司・先輩の誘いは敬遠したりしていないだろうか。大勢で賑やかにやる場には『望まない相手・役割・力関係』もつきもの、楽しいばかりともいかないので遠ざかる人もでる。
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○恋愛のプロセスや口説き云々もあるが、男女のエロスのα(新鮮)にしてΩ(充実)は、直接の性行為に短絡するものでなく、『見つめ合って微笑みたくなる感じ・飽きない視線の絡み合いからの相互の衝動の高まり』という知覚と感情の自然な融合にあったりする。冷めれば相手の目や顔をそんなに見たいとは思わなくなるものだ。
恋愛に付随する『目線・知覚・会話・スキンシップ・性行為』などの要素は、人間の心を退行(子供返り)させて脳神経系の本能的な喜びを揺さぶるため、ある種の依存性と破滅性、反社会性を内在しており、時に人生の大きな勇気づけとなり、時に人生の躓きの石となるだろう。中高年どころか老年期でもエロスの問題は残る。
『見つめ合って微笑みたくなる感じ』『飽きない視線と言葉の絡み合い(を経由した相互の衝動の高まり)』というのは、マイミクさんが男側が『一方的な妄想(女性も気持ちいいんでしょう)』を押し付け性犯罪になることがあると指摘したがその予防策にもなる。嫌な相手とずっと見つめ合い刺激し誘い合いたい女性はまずいない。
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中年期になっても主観的年齢は『考え方・努力・美容』である程度若くいられるが、『絶対年齢・老いと死の接近・他者が中年者と見る現実』は変えられない。
中年になって気づいたこと 「野菜がおいしい」「学力よりコミュ力の方が大事」「人生のピークは30歳」
ユングのいう老賢者の元型が通用しづらくなり、現代文明は若さ至上主義(アンチエイジング)やエイジハラスメントの弊害も生んだ。『老』は仏教の四苦の一つで、中年期以降は動物として『衰退・限界』がでてきやすいが、経験・知性・関係を土台にした『中年以降の主観的な意味・目標・楽しみ』には成長発展の余地もある。
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