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戦後71年、アジア太平洋戦争の反省を語りながらも風化していく記憶・感情:なぜ国民国家は戦争に向かうのか?

日本やドイツは『遅れてきた近代国家』で、『民間市場の小ささ(国策の工業依存)・国民の貧しさ・国民教育(国家の為の人)・対欧米列強』で強い政府・権力が推進する帝国主義・戦争が不可避になりやすい面はあった。

天皇陛下、「深い反省」再度表明=終戦記念日 (時事通信社 – 08月15日)

平均的な現代人からすると、なぜあそこまで国家・元首(天皇)・戦争に一般国民があれほど熱狂し賛同したのか分かりづらい。国民教育やプロパガンダの影響もあるが、根本にあったのは『世界恐慌・アイデンティティ固定・国民の貧苦と格差』で、富国強兵・帝国主義の夢と一体化で自己イメージ・存在意義を拡張しやすかった。

貧しさや孤独、将来悲観は人間を惨めに弱気にする。近代国家の国民を一つに束ね外敵と権益を奪い合う戦争機械の役割は、『正義・強大・理想を体現する国家』に自己アイデンティティを重ね合わせることで『国民の平等・目的の意識』を高めてくれた。国の大きさ・強さが我の大きさ・強さとなり、個人は差異化せず同一化した。

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相模原大量殺傷事件の植松容疑者『自分は死刑にならないの発言』と現代の刑法における法的責任能力(心神喪失・心神耗弱)の争点

大量殺人のテロ事件が死刑廃止後のノルウェーの世論を揺らした事があったが、相模原事件も『刑法39条』が思想的大量殺人に適用され得るか問う判例になる。対話能力あれば心神喪失に当たらないとすべきだが。

<相模原殺傷>容疑者「自分は死刑にはならない」発言も (毎日新聞 – 08月15日)

人が人を殺してはならないの人権・殺人禁忌を例外なく適用すれば『死刑廃止』『戦争放棄(EU的な地域共同体拡大)』に行き着くが、『個人の感情・利害・思想(世界観)の動機に基づく殺人』を全て事前抑止はできない。相模原事件や海外テロのような『大量殺人事件』に死刑以外の刑罰が妥当かの倫理的判断は現代の課題だ。

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死刑制度の廃止論・存置論の『人間観・刑罰の意義』について

歴史的に先進国とされてきたEU加盟国はすべて死刑を廃止しているが、死刑廃止論が沸き起こってくる必要条件は『経済成長・教育水準向上・人権思想・平和な環境・殺人の減少(殺人禁忌の規範順守の拡大)』である。

■日弁連、「死刑廃止」宣言へ 冤罪事件や世界的潮流受け

死刑廃止論は啓蒙思想・教育水準を背景として『理性的な言語が通用する人間(適切な環境で教えて話し合えば分かる人間)』が圧倒的多数派となった時に、野蛮(本能)に対する文明(理性)の優位性の証明として強まってくる。

反対に、死刑存置論では殺人者は『文明・理性・教育の啓蒙の及ばない野蛮人(理性の言葉が通じない教育するだけ無駄なディスコミュニケーションの反社会的主体)』とみなされる。死刑の判決を執行することで、被害者・世の中に対する応報刑の償いをさせて見せしめにし、決定的な再犯防止(息の根を止めれば二度と犯罪は起こしようがない)によって社会防衛を図るべきだとされる。

死刑には統計上の犯罪抑止効果はないとされるが、それは過去においては『貧苦による生きるためのやむを得ない強奪・殺人』が多く、現代の先進国においては『死刑があってもなくても殺人を実行する人の絶対数』が元々相当に小さいからである(殺人・暴力の禁忌が幼い頃からしつけや教育、人間関係を通して深く刷り込まれているからである)。

現代では『殺人・強奪以外の適応的な問題解決法の選択肢』が多いので、あえて他者の人権を決定的に侵害して社会的・法律的に厳しく指弾され(社会共同体から排除され)、生理的な気持ち悪さも伴う『殺人』を選ぼうという人は少ない。

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プラトン『国家』に見る哲人政治の政体循環論と優生思想:善のイデア(絶対価値)に魅了されて従う人

プラトンの『国家』はソクラテスとの対話篇の形式を取った全10巻の大著であり、近代国家の全体主義(戦争機械)や優生思想を引き寄せる危険な政治の書物でもあった。

プラトンの政治哲学は、大衆の理性を信頼せず衆愚政治をイメージするという意味で『反民主主義的(親スパルタ・反アテナイ)』であると同時に、階級・身分に応じた役割を果たす義務を持ちながらも同じ階級内(身分内)では平等を重視する意味では『階級制(身分制)+原始共産主義』の様相も持っている。

プラトンの国家論における究極の政治形態は、イデアに基づく最高の理性と判断力を持つ哲人王(絶対君主)に全権委任する『哲人政治』であり、多様性や自由・反論を許さない『絶対的な善(真理)の認識』があるという今からすれば非現実的な前提(イデア論における洞窟の比喩・洞窟の外の光という真理)を置いている。

『善のイデア』を認識できた哲学者が哲人王となれば、理想の国家(国家の徳)が実現するとプラトンは語る。だが、これは裏返せば絶対的な真理である善のイデアを認識したと称する哲人王にはいかなる者であっても反論できないし政治方針も変更させられないという『独裁政治の肯定』でもある。

共産主義における毛沢東やスターリン、ポルポトといった『我こそが正しい国(善なる経済社会)のイデアを知っている』とした共産主義の狂信的なリーダー(独裁者)とも重なる政治思想である。正義の国家を想定したプラトンが『個人の自由・権利』を顧みなかったように、近代国家の国民動員体制や共産主義というイデオロギーもまた個人を切り捨ててでも理想社会や戦争の勝利、経済的な平等を得ようとした。

プラトンの構想した『国家の徳』は『個人の自由・権利』を抑圧して全体的な正義と公正(共同体の秩序と戦争の勝利)を実現するというファシズムとの親和性を持つものでもあった。

プラトンは理想国家の構成員を『統治者・戦士(貴族)・平民』の三階級に区分したが、それぞれの階級ごとに定められた徳である『統治者の徳=智恵・戦士の徳=勇気・平民の徳=節制』の実践を義務的なものであるとし、国家全体の利益や繁栄のために個人はその自由・権利を捧げなければならないとする。

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中国の南シナ海・東シナ海への軍事的な海洋進出:『遅れてきた帝国主義の中国』を日本の近代史から見る

中国は世界二位の経済大国で常任理事国だが『政治体制・人権・人民の豊かさ・報道や表現の自由』で先進国になりきれず、中国が非難する戦前日本に似た孤立外交・軍事優先・拡大主義の過ちに陥りつつある。

<防衛白書>中国海洋進出「強い懸念」 北朝鮮の脅威強調

西欧列強と並ぶ帝国主義国として大陸・太平洋への侵略を経験した日本、その過去を非難されてきた立場であればこそ、『満州国建設+太平洋進出+絶対的国防圏の設定』を中国が非難するなら、『東シナ海・南シナ海への進出+核心的利益の主張』が周辺国を無視した旧日本の力による現状変更・ゴリ押しと同じだと詰め寄るべきか。

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稲田朋美氏の防衛相就任:稲田氏の国家主義的・復古的な国民を服属させる国家観に対する懸念

稲田朋美氏は戦前の国防婦人会の如き国家主義・軍国主義・臣民を掲げ、戦後の『国民主権・人権と自由・個人主義』を否定する。旧弊的な国体を復古させ人権軽視の臣民体制を是とする人に防衛相の資質があるか。

稲田朋美氏、防衛相に起用へ 小池氏に次ぐ2人目の女性

稲田朋美氏は日本会議にも関係する典型的な民族右翼であるが、思想的に近い安倍首相の引き立てで自民党内で首相の座も狙えるポジションに上り詰めた。だが『歴史観・政治観・人権意識』が現代にチューニングされておらず、国民を兵力として道具化する戦争機械の近代国家を普遍化し、大日本帝国を戦後日本よりも賛美する。

安倍首相にしても稲田氏にしても『戦後レジームの脱却』といいながらその内実は『戦前レジームの復古』である。国民の個人としての人権と自由を制限し、国家・国体に帰属して納得して死ねる臣民を復活させたいようだ。なぜ戦後日本の進歩を捨て、中国のような権力者に都合の良い旧体制に戻らなければならないのか。

稲田防衛相は日米同盟を基軸とする安保体制を強化するとし、普天間基地移設問題にも当たるが『東京裁判史観の否定+アジア太平洋戦争の肯定+戦死合意の靖国神社の機能』を語り、米国の歴史観と対立している。国体さえ残れば一億国民が玉砕しても構わないとした国民軽視のA級戦犯と世界観が近い怖さがある。

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