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東シナ海における中国のガス田開発問題(ガス田の白樺・春暁問題)と軍の対日強硬派の影響

中国に対する悪感情の原因の一つとして、東シナ海における中国の強硬なガス田開発がある。厳密には、『日本との天然ガス田共同開発の合意』に違反しているのではなく、中国側はいったん共同開発の合意交渉を中断して、現状、一応は国際法に違反しない範囲で一国で開発を進める方針へと転換している。

2008年6月、日中中間線付近の白樺ガス田(中国名・春暁ガス田)を共同開発すること、ガス田周辺の特定海域を共同開発区域として双方が独占しないことについて、日中は合意に達して条約締結の交渉段階に入っていた。

だが、中国政府は2010年になると、日本との共同開発を弱腰・中国の利益を損なうと非難する中国軍部に押され始め、条約交渉を延期・中断すると発表してそのまま何の進展もなくなってしまった。中国海軍が防護する形で、日中中間線の中国側の海域で春暁ガス田の掘削準備と開発のための構造物建築が一方的に押し進められている状況である。

東シナ海のガス田開発問題は、日本人の側からすると『ものすごく儲かる天然ガス田・油田を中国から全部持って行かれているような感覚』になりやすいのだが、実際には天然ガス田や油田の開発事業というのは、アメリカのシェールガス開発会社のかなりの割合が中途で資金が尽きたり採算が取れずに撤退しているように、『潜在的埋蔵量がかなり多い区域』でも探索・調査・掘削・設備建設などの事前コストが極めて大きいので簡単に儲かる事業ではない。

東シナ海のガス田開発事業には、当初参加したがっていた外資系の石油企業も、トータルコストで利益を得られるか十分な量が継続的に出るか不透明であるとして、途中で撤退してもいる。

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安倍政権の安保法案を巡る混乱と“立憲主義の軽視・存立危機事態のわかりにくさ”

安倍政権が立案した『安全保障関連法案』に対する反対デモが国会周辺で行われ、安倍政権の支持率がかつてと比べてかなり下がってきた。ギリシャの債務危機や中国の株価急落もあり、アベノミクス効果にもやや息切れが見えてきた。10月には消費税10%への増税も控えており、安倍政権に矢継ぎ早に向かい風が吹き続ける雲行きだ。

安保関連法案可決は国防・自衛隊強化・日米同盟に関心の強い安倍晋三首相の悲願であるが、日本以外の外国(同盟国)に対する攻撃を受けて日本が防護以上の反撃をする『集団的自衛権の行使+自衛隊活動領域の拡大』は、本来、憲法解釈変更の限界を超えているため、『改憲の手続き』を踏むことが筋である。

この安保関連法案の問題点は、『憲法違反の疑いが強いこと』や『国民にとっての必要性が分かりにくいこと(逆に仮想敵の増加・反米勢力の逆恨み等で自衛隊・国民のリスクが高まる恐れもあること)』もあるが、『アメリカからの要請+米国議会に対する日本国首相の公約』によって万事が推し進められようとしていることである。

法案が曖昧に定義する集団的自衛権は、実質的には『米国主導の世界秩序(中東・アフリカ経営の軍事コンセンサス)』を維持するための負担(戦闘要員・後方支援要員の戦死の負担も含む)を日本も応分に負うべきだというアメリカ側の要請を背後に持っているが、日本にとっては『中国警戒論』が米国の機嫌を損ねたくない理由にはなっている。

現実的には、武力で全面衝突する日中戦争は日米戦争と同程度には起こりにくいシナリオだが、安保関連法案に賛成する主張として、『尖閣諸島問題・中国の海洋権益拡張(南シナ海の南沙諸島の一方的な拠点建設等)』に対してアメリカがもっと強気に出てくれるのではないかという期待もある。

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吉本隆明の『反権力・脱政治・大衆論』から日本の政治状況・国民の意識を見る:2

吉本隆明の『転向論』は、左翼知識人の『戦前・戦後の二重の転向』を自己批判的に問題視する。それは『戦前の左翼→戦争協力者(体制派プロパガンジストへの第一の転向)』と『戦後の戦争協力者→左翼(反体制の平和主義者への第二の転向)』の自己保身的な転向に対する廉恥心の無さの糾弾であった。

私は戦時中も本当は『戦争反対』の立場だったのだが、権力から拘束されて脅されて仕方なく『戦争協力』の見せかけをしていただけなのだという左翼転向派のエクスキューズは、吉本隆明にとって『戦前に自分と同じくらいの若い年齢で死んでいった同胞に対する裏切り・負い目』となってトラウマ的に残り続けた。

吉本隆明の『反権力・脱政治・大衆論』から日本の政治状況・国民の意識を見る:1

この辺は、私も含めて現代に生きる戦争や動員を体験として知らない世代には本質的理解が難しいのだが、日教組の『反権力の平和主義教育・個人主義教育』の原点にあるのも、『私たち教職員は本当は子供たちを戦争に行かせることになる民族教育や思想教育には反対だったのだ(だから戦後日本では絶対に国家権力に盲目的に従属したり進んで自己犠牲に進む人間を作り出さない個性重視の教育をしていく)』という罪悪感(戦前の体制に協力した免罪符の求め)や自己欺瞞(子供を殺したり殺されたりする場に行かせたい教員は本当はいなかったのだ)だと言えるだろう。

吉本隆明は、事後的に『私はあの時、本当は権力の強制する戦争に反対だったのだ』という左翼知識人の手のひら返しの自己欺瞞に対する嫌悪・不快を感じながらも、そこに『知識人と大衆層に共通する人間の保身的な本性』を見て取る。

決定的な敗戦によって日本人の大衆は、あれほどかぶれていた皇国主義・徹底抗戦・滅私奉公のイデオロギーをあっけなく捨て去ってしまい、当時は軍国主義にかぶれて本土での徹底抗戦をも覚悟していた青年吉本の素朴な国家感・人生観は『大人が取り戻した現実主義』の前に瓦解した。

鬼畜米英と憎悪していた米国を戦後は慈悲深い保護者のように慕い、お国(天皇)のためにいつ死んでも良い(死を恐怖するのは愛国心が足りない臆病者)と豪語していた兵士はなけなしの毛布・食糧を集めて明日の生活の心配ばかりをし始め、戦争に協力しない反体制派を非国民と弾圧していた人々は急に『平和主義・個人主義・経済重視の生活』に生き方や考え方を現実的なものに切り替えていった。

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吉本隆明の『反権力・脱政治・大衆論』から日本の政治状況・国民の意識を見る:1

現在の日本では『憲法・安全保障・外交政策(対中国・朝鮮半島)』を巡る対立が、『右翼(民族主義・権力志向・反個人主義)と左翼(人権主義・反権力志向・個人主義)の二項図式』で語られることが多い。

こういった語法は本来の右翼(保守)と左翼(革新)の定義とは関係がないものだが、日本では『自由・平等・人権・護憲・平和・個人の尊重』などは、ネトウヨとも呼ばれる右翼目線では、国家の集合主義的な総合力を低下させる『左翼的な思想・概念』として扱われることが多い。

反体制派の左翼とは、日本の歴史では共産党・社会党(社民党)・全共闘運動・左翼過激派などと関係する『共産主義者(社会主義者)・反資本主義者・反米主義者(反米の文脈での平和主義運動家)』などを指してきたが、今のネットで言われているサヨクはそういった共産主義・社会主義よりもむしろ『個人主義・自由主義(権力からの自由を重視して集団主義的な強制に抵抗する思想)』と深く関係しているように見える。

本来の右翼と左翼の定義から外れてきた、現代のネット上における政治的・思想的に対立する立場を『ウヨク・サヨク』と表記する。

日本人の民族的統合と仮想敵(中国・朝鮮半島)に対する戦闘の構えを強調するウヨクは、民族・国家単位のイデオロギーや軍事増強にこだわらずに『個人の自由・権利・平和』を普遍的価値として強調するサヨクを『反日勢力・お花畑・非現実的な空論家』と揶揄することが多い。

国家の威厳と個人の幸福が一体化しているような拡張自己の思想であり、実際の戦争や自己負担にまで率先して参加するかは分からないが、言葉の上では『私(個人)よりも国家(権力)の拡張』という価値観を提示する。

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“長寿化・高学歴化・高技術化(電子化)”する先進国ではなぜ少子化が進むのか?

人類社会の歴史は乳幼児死亡率の低下と産業社会・知識社会の豊かさの増大によって『多産多死→多産少死→少産少死』へと変化してきた。そのマクロな構造変化と意識変容の先端に、現代の日本や欧米諸国、韓国などが直面する“少子高齢化”の問題がある。

■「子どもいらない」独身の若者、増える傾向 厚労省調査

最も端的な構造変化は、生活者以外の目線と統計的な予測の知識を殆ど持たない『プロレタリア階級(非知の労働者階級)』の再生産システムの消滅である。現代は学歴や知的好奇心を問わず、『現在の政治・経済・社会情勢のちょっとした分析・未来予測』程度は、大半の人が“悲観楽観・情報精度の差”はあっても予測するようになり、先がどうなるかを功利主義的に読んでから行動を選択するようになった。

社会の高学歴化とプロダクト(製品)の高技術化、自意識の向上によって、『毎日ご飯と寝床が得られて子どもが元気に大きくなるだけでありがたい(子供の学歴・職業・収入云々は真面目に黙々と働きさえすればどうでもいいしどうにかなる)』というだけの要求水準で、『過酷・理不尽な長時間の肉体労働や階層社会の上下関係』に耐えるだけの地道な人生設計を受け容れられる労働者階層が大きく減ってしまった。

フルタイム(長時間労働)の勤勉さに報いるという側面のあった社会保障制度の持続性が疑われ始めたこと、激化する競争環境への適応として、企業(経営者)が『労働者の長期的な人生設計・子育て』等に配慮しないブラック化・人件費の削減・人材の使い捨て化に踏み切り始めたことも影響する。

公的年金支給開始年齢の引き上げと支給額の引き下げも予測されることから、長期にわたる不本意・低賃金な労働形態への帰属と忠誠が、(実績につなぐ知識や能力が不足していれば勤勉・正直なだけでは報われないことも多いという)意識の上でより困難になってきている。

公的年金の給付水準がこのままでは維持できないということから、子供を多く産む少子化解消が、『社会保障の財源不足・介護や単純労働のマンパワー不足』に対する処方箋のように語られることもある。

だが、こういった見方は現代の企業経営・労働・納税に理不尽さや不平不満を抱えている層にとっては、更に『生まれてくる人間=システムに使われる労働力・財源』というネガティブな認識を植えつけるだけである。子供を未来の福祉国家を支える労働力や納税者として扱おうとする『負担先送りの賦課方式』は、返って子供を産まなくなってしまう悪循環(格差・搾取・貧困の再生産の予感からの出産回避)を生みかねない。

また現時点における日本人でさえなかなか好んで就業しようとしない職種・分野・労働条件に、未来の子供たちが高齢者・日本経済・社会制度のために自分を犠牲にして、敢えて過酷で低賃金な仕事を選び、遣り甲斐を感じにくい仕事に就いてくれる保証もない。

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『徴兵制』の是非の根本的な問題意識はどこにあるのか?:『徴兵は不要』と『徴兵は禁止』の違い

「徴兵制」掲げたパンフが波紋=保守系「内容に問題多い」―民主

『徴兵制』は共同体と権力について本質的な価値判断を含んでいる。徴兵制(素人兵)は軍隊・兵器の高度化で不要になったの主張と徴兵制は人権侵害・違憲で許されないの主張は発想の力点が異なる。

国家の起源は『共同防衛・共同侵略の氏族集団(都市国家や村落共同体)』であり、人権も自由も立憲主義もへったくれもない古代?中世においては『暴力による土地・資源・労働力の争奪戦』が不可避な現実としてあり、集団が戦争をする権限と君主が構成員に命令する強制力を持つ事は集団の生存保持と存在意義に直結していた。

近代国家はナショナリズムと国民教育で士気を高めた『国民軍』を徴兵し、かつてない規模の死傷者を出す激しい戦争を展開した。近代国家の歴史は、国民に自発的な血と汗の献身をさせながら、領土・市場を拡大しようとする『戦争機械』として幕を開け、無力な個人は総力戦・大量虐殺・特攻・原爆などの悲劇に喘がされた。

第二次世界大戦では多くの国々において『国家共同体』は『個人の生命』に優越する絶対的な権威・価値となり、国民個人の生きる意義は『国家への貢献』だと教育された。前近代の軍事は貴族階級の名誉ある義務だが、近代の徴兵も戦士階級が一般化した名誉ある国民の義務として認識されたが、近代戦は武勇の徳を無意味化した。

自分の命を投げ出してでも守り抜くという『愛国心』と『家族愛』のファンタジーが相互作用して、敵対国の人々を『対話不能な残酷な悪鬼・野蛮人(やらなければやられることになる不倶戴天の敵)』として刷り込む事で、国・家族を守る為の戦争をすることが正しい、それ以外に選択肢はないという世界認識が前提とされた。

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