<官房長官>新国立競技場デザイン「変更は信用失墜」
2020年の東京五輪が経済大国日本の最後のお祭り騒ぎにならねば良いが。デフォルト危機のギリシャも五輪で債務を積増しした。
新国立競技場は持続的なキャッシュを生む『良質な資産』には成り難い巨大な箱物であり、こんな大きな会場を『フル稼働』できるようなイベントの機会も少なそうに思うのだが……建設費用が当初の予定の二倍以上の2520億円というのは、あまりに初期の見積もりがずさんでいい加減であり、あまりに国民・都民をバカにした話ではないだろうか。
菅義偉官房長官は、新国立競技場のデザインを『オリンピック委員会との間で有効な国際公約』のように認識していて、今更このデザインを変更することができないと語っている。
しかし、日本の厳しい国家財政状況の中で『オリンピック以外の目立った用途』が想定できない巨大競技場に2500億円以上もかけるというのは、 財政的に『負の遺産』になることが分かっているものをわざわざ時間とお金を掛けて作っているだけだとも思えるが。
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戦争を望む人などいないのになぜ戦争になるのか戦争に賛成しない人も巻き込まれるのか、その仕組みを考え権力の有効範囲(国の戦争権)を抑止した日本国憲法は普遍的だが自然的ではない弱さもある。
「戦争させない」安保法制反対デモ 国会周辺を取り囲む
論理的・道徳的には「戦争に賛成する人たちだけが戦争をする・戦争に反対する人たちは戦争に巻き込まれない」が理想だが、人間も動物だから相当入念な理性主義・平和主義の教育を受けないと「強い者(雇う者)の命令に弱い者が従う+議決された法律で徴兵徴発される」という国家権力の戦争権に理屈・善悪は押し切られる。
9条は「国民の感情・外国への敵意・領有権対立・権力者の誘導・経済的苦境・教育」などによって戦争権を繰り返し発動してきた人類の共同体の暴力性をメタコードで拘束しようとするが、集団の強制を弱める「個人の尊厳原理」が必要条件で、人権が弱く貧困・部族慣習も多い集団権力志向の中国・中東諸国では採用されづらい。
権力構造における弱肉強食、文化・宗教の規範性、共同体の自衛権・拡張性、経済格差と貧困(個人の脆さ・集団的権威への同一化)の存在などに裏打ちされた「力の論理・集団の強制・友敵理論」はやはり自然的なもので、戦争放棄・平和主義などは高度な教育・豊かな経済・メタな目線・個人などを要する理屈的なものである。
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前大戦の『謝罪・反省・賠償』はそれぞれ異なるが、未来志向の本質は『戦前日本が犯した過ち=自民族の優越+外敵作りのガス抜き+武力による権益確保』について日中韓が共通認識を持ち同じ轍を踏まぬようにするということにあるのではないかと思う。。
70年談話「謝罪」盛り込まず=安倍首相、戦後に区切り
戦前の日本が行った『韓国併合・満州事変・日中戦争』の過ちを認め謝罪することはやぶさかではない。但し、戦争当事者の多くが鬼籍に入り、特に昭和天皇はじめ戦争指導者の殆どがいなくなった現代では、『歴史に学び繰り返さない為の謝罪・平和主義』はあっても『賠償+子孫世代の負い目の謝罪』の必要は薄れた区別もある。
中国や韓国の政府・人々に日本が訴えかけるべきは『過去の日本国が力による支配という過ちを犯したことは認めて謝罪し繰り返さない』が、『現在の世代の日本人に直接的な負い目・責任があるわけではない+戦後日本は平和憲法の下で専守防衛に徹してきた+民族憎悪を煽るだけの教育や宣伝は相互に慎む』等だろう。
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“日本の防衛・米国の世界戦略・国際平和支援・緊急事態”が混同された法案群であり、時の政権の判断のみによってやろうと思えば何でもできる(世界のどこにでも様々な理由をつけて自衛隊を派遣可能となり自国の国防以外のミッションでの犠牲者が増える)というのが最大の問題なのだろう。
安倍政権の安保法制改革は『中国脅威論』を根拠にするが、『米中接近・世界経済の相互補完性・中国の中流階層の増大(共産党一党体制の軍事偏重から意識が離れていく層の増加)』がある為、米の日本に対する安保法制関連の要請の本質は、『中東とアフリカの軍事的管理・対テロ戦争への協力・軍需産業の維持(新兵器開発の必要性の訴え)』にある。
「戦争する国」にせず=安保法制Q&A作成―自民
コーヒーやバター、乳製品などに続いてチョコも値上げになるようだ。庶民の生活必需品の物価高騰が続く状態なのに、日本の労働者の平均賃金は微減のトレンドを見せているので生活が厳しい。
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安倍晋三首相がアメリカ議会に意気揚々と乗り込み、『希望の同盟』という新たな同盟概念の提示をして安保法制改革を通じた対米協力姿勢を明確化したことで、安倍首相はオバマ大統領と米国の有力議員に満面の笑顔とスタンディング・オベーションで迎え入れられた。
首相演説、野党が一斉に反発
日米同盟における軍事的な片務性を解消して日本の人的・経済的な負担レベルを引き上げること、アメリカ・中国のG2体制においてアメリカへの無条件の傾倒を半永久的に保持すること、自民党手動の安保法制改革は正に米国との同盟関係さえ良好に維持できれば日本の将来は約束されているという『楽観的希望の同盟』に依拠したものなのだろう。
『憲法改正運動+日米同盟深化(グローバルな安保への参加)』の背後に、日本にもっと欧米主導の世界秩序維持のためのコストを肩代わりして欲しい米国からの強い要請があることを伺わせる。
改憲・集団的自衛(欧米型の世界秩序への協力)を是とする大義名分として、『世界の平和秩序確立への貢献+日本の安全保障環境悪化の過度の協調』もあるので、表立った平和主義からの反論に対しても、自分たちさえ良ければよいのか、日本さえ戦争と無縁であれば良いのか(憲法前文にも示される国際社会に対する責任を放棄するのか)のカウンターの反論が可能である。
戦後日本は、アメリカのGHQ主導の占領政策(立憲主義・軍備解体・体制の民主化・財閥解体・教育改革・農地解放など)を焼け野原からの復興のトリガーとして、軽武装路線で『戦争・軍事に振り回されない経済成長』に専心することができた。
続きを読む 安倍首相の米議会での演説とWW2の歴史認識:日米同盟深化・世界秩序へのコミットの安保法制改革 →
専門家の裁判官の判決は、正義感や社会常識(市民感覚)を交えない『判例主義』に過ぎるとして批判の矢面に立たされてきたが、その批判の多くは被害者救済の道が原理的に閉ざされた殺人罪などに対する『判決の甘さ』に寄せられていた。
<裁判員>「心に負担」ずっと 経験者7割超に「あった」
『過去の判例・量刑基準』と照らし合わせて、理不尽な殺人であっても『死刑判決』を容易には出さない半ば機械的な裁判官の判決は、『心理的負担の緩和(裁判官の個人的な裁量だけで量刑の重さを判断しているわけではない)』という副次的効果を生み出していた面もある。
被告の人生(生命)を大きく左右する判決を、十分な学習・訓練の機会のない法律の素人である裁判員が話し合いを通して決めるというプロセスはかなりのストレスや重圧感を伴うものになる。
続きを読む 裁判官の判例主義(前例踏襲)を市民感覚で修正することによる裁判員制度の趣旨と心理的負担 →
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