○日本アルプスは高山の危険度と登山者数の多さ(人の不完全さ)を考えれば、夏山でも遭難ゼロになる事はないが、それでも登る魅力ある山が無数にある。大半は無雪期の夏山シーズンしか登れず人が集中する。
気温がそこまで低くならない夏山・低山なら、派手に滑落して出血・骨折があり数日間ビバークしても救助されたケースは少なからずあるが、打ち所が悪ければ行動不能・即死のリスクもある。『数メートルの滑落』といえば軽く思えるが、2~3階程度の高さからゴツゴツした岩場に落ちるわけで、死ななくても大怪我はする。
○日本アルプスは高山の危険度と登山者数の多さ(人の不完全さ)を考えれば、夏山でも遭難ゼロになる事はないが、それでも登る魅力ある山が無数にある。大半は無雪期の夏山シーズンしか登れず人が集中する。
気温がそこまで低くならない夏山・低山なら、派手に滑落して出血・骨折があり数日間ビバークしても救助されたケースは少なからずあるが、打ち所が悪ければ行動不能・即死のリスクもある。『数メートルの滑落』といえば軽く思えるが、2~3階程度の高さからゴツゴツした岩場に落ちるわけで、死ななくても大怪我はする。
30代精神病患者が職員の暴行で頚椎損傷して死亡した石郷岡病院事件はニュースで知っていたが、当事者のブログを目にする機会があったので考えたことをメモしておく。具体的内容を見ると精神病院の誤診・多剤処方の犠牲者である可能性を疑いたくなるような状況や処置が多い。入院5か月で17種類も処方されているが、精神病か否かさえはっきりせず(初期の診断名と異なってくるなど)診断にも曖昧さが残っている。
http://gunter75.blog.fc2.com/blog-entry-132.html
この被害者の運命の岐路は、大学生時に『気分が落ち込む』というだけで、中堅規模の薬物療法中心の病院を受診したことだった。明確な精神疾患の鑑定診断や危機的な精神状態にあるわけでもないのに、抗精神病薬(メジャートランキライザー)を処方されて、筋肉が不随意に動くジストニアの副作用がでて短期で薬漬けになった。
睡眠導入剤や抗不安薬(精神安定剤)までは、不可逆的な脳神経系の機能障害にまでは至らないが、統合失調症治療薬とされる抗精神病薬は一般に副作用が強く、多剤処方・長期連用によって本当の精神病患者であっても薬の副作用と元の症状の区別は困難になる。自傷他害でよほど追い詰められていない限り安易に服用すべきでない。
気分が落ち込むという主訴で初めは病院に行き、大学をやめて暴力事件を起こしてから、重症の統合失調症扱いにされているが、本人のコミュニケーション能力そのものが著しく低下していて医師とまともなやり取りができなかった、家で激しく暴れていて家族が面倒を見きれないような状態だったなどの理由があるのかもしれない。
続きを読む 石郷岡病院事件と精神疾患患者の治療方針・入院治療の処遇:原精神疾患の重症度や暴力性にもよるが多剤処方の副作用は恐ろしい
○男女関係で女性が暴力犯罪の加害者となるケースは男女平等が進む欧米では多いが(米国では不倫トラブルで暴れる女性を撮るリアリティショーが人気)、日本の学生で金づち・包丁で殺害を図る事件は珍しい。
恋愛感情のもつれで殺害しようとする動機の多くは、『浮気・裏切り・別離からの嫉妬や怨恨(根底の独占欲)』だろうが、『純粋で真面目すぎる・視野狭窄でその相手以外見ない・今の関係がダメなら死ぬ』などの性格傾向だとリスクは上がる。男も女も愛情が執念・支配に変質して別れを受け入れない人は自己制御を失いやすい。
相手のパーソナリティーや人生哲学、今までの記憶や体験(トラウマ・人間不信の可能性)などを十分に理解した上で交際していないと、『お互いにとっての許せないポイント・相手に求めているものや結婚の確信度』などで様々なトラブルになる事はある。だが思い通りにならない状況でキレる性格の人は結婚しても変わらないかも。
基本的には、純粋で真面目で曲がった事が大嫌い、まっすぐに人と向かい合うような人は『関係が良好な時期』にはそのパーソナリティが愛すべきもののように感じるが、『関係が崩れたり相手への好意が薄れた時』にはその融通や柔軟さのないまっすぐな性格で責任追及されるなど怖いものになる事も多い。
反対に『こだわりの薄い柔軟な価値観の人・自分もいい加減だが相手にもいい加減な部分を認める人』は恋愛・結婚の相手としては物足りなく感じるが、何らかのトラブルが起こっても『人間にはそういう面もある・あなたの選択を尊重する(別れも受容)』という反応で激しい怒り・憎悪を向けられるリスクはかなり下がる。
昭和後期まで大卒率は3割前後で、学部問わず大卒自体に『就職優遇・選良意識』があったが、今は大卒者が増えて実学・実利の学問の需要が高まった。
文学部って何の役に立つの? 阪大学部長の式辞が話題に 「本領を発揮するのは、人生の岐路に立ったとき」
人文学は『心の豊かさ・人間性の価値と世界観(社会観)・思考と知識の深さ』を涵養するために役立ち、基本的には『自分の頭で考えて価値を解釈する力+様々な物事に感動して自他の生きる糧にするセンス』を得るために役立つ可能性があるものである。理系と比べると自学自習できる分野も広いので、大学教育では議論がある。
文学・哲学を中心とする人文学は『インテリの読書人・知識人・文化人の養成』の側面もあったが、昭和期と比較すると『インテリゲンチャの教養主義・社会改革+体系的・権威的な読書人(知識人)』の相対価値が情報検索のネット社会や一億総評論家化の世相で暴落した影響も大きい。マルクス主義崩壊も読書人の挫折だった。
現代の大学教育は、かつての貴族子弟・有閑階級の教育機関の名残を失いつつあり、『学者・知識人(読書人)の養成機関』よりも『労働者養成機関』としての性格を前面に出して、『独立法人化・産官学連携』などで経済や科学技術、仕事・収入に役立つ学問以外は軽視される流れは止め難いものになっている。
○人口減少・財政悪化で『老朽化した社会インフラの改修・更新』ができない自治体が増えるが、鉄筋コンクリートの構造物の耐久年数は約50年とされ、高度成長期に建設されたインフラ更新が一挙に増えてくる。
使用頻度がほとんどないような山間の橋やトンネルでも、実際には少なからずその恩恵を受けている地元民・登山者はいるので、今後、人口集積の都市部以外は相当に不便になるか安全に踏み入ることが難しい地域(橋のない川の渡渉・トンネルのない崖の登攀・舗装がガタガタな悪路の走破等)も出てくるのだろう。
自然の文明侵食力は強い、気候の亜熱帯化が進む日本では、アスファルトの道路を10年も放置すれば、ひび割れから芽を出す植物繁茂で道路はあっという間にガタガタになる。メンテしないコンクリ製の橋も半世紀で落ちる。人が住まない家が短期で廃墟化するのと同じく、人が踏み入らなくなった土地は短期に自然化していく。
狩猟ガール増加がブームのように語られていてジビエ(狩猟肉)の有効利用も進められているが、山間部の人口減少・狩猟者減少によってここ10年で『サル・鹿・イノシシ』が個体数を急増させており、過疎地の農村部では田畑をまともに維持できなくなる恐れがある。天敵・ハンターのいない野生動物の繁殖力は恐るべきものだ。
生活保護受給世帯の子の大学進学率の低さが『貧困の連鎖』を招くので、進学しやすい環境を整えるべきだが、『子供の機会平等』を突き詰めると親の収入・資産・意識に差のある現実の社会構造の改善には限界もある。
公的扶助に頼る生活保護世帯と自力救済で踏ん張る低所得世帯との差が縮み、逆に生活保護の方が医療費負担の低賃金労働よりまともな暮らしができる現状もある。日本が平均的に貧しくなっていっている事から『生活保護に対する嫉妬・非難・不満』が強まる悲しい現実もあるが、自己責任社会と少子化傾向は深く相関している。
現代社会では生活保護が保証する『最低限の文化的生活水準』がどこにあるのかのコンセンサスを得ることが難しい。人権意識が低かった昔のように『いかにも貧乏人の惨めな暮らしぶり・身なり』によって生活保護に対する低所得層の納得を得るやり方は許されない。豊かな社会で労働価値の格差が開いた階層・競合の問題である。