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チャールズ・シュルツとジョン・レノンの言葉(アフォリズム)より

My life has no purpose, no direction, no aim, no meaning, and yet I’m happy. I can’t figure it out. What am I doing right?

私の人生には目的も方向性も目標も意味もない。それでもハッピーだ。自分でもなぜだか分からないが、私は知らないうちに何かいいことでもしているのかな?

I love mankind; it’s people I can’t stand.

人類(観念としての人)は愛しているんだけど、耐えられないのは人間(実在する自分の意思と対立する個々の人々)さ。

Charls Schultz

チャールズ・シュルツは、スヌーピーのキャラで知られる漫画『ピーナッツ』の作者で、こういったシニカルな風刺の効いた表現を漫画内で散りばめているらしい。

人類愛・博愛を語って争いや憎しみを否定する人たちは多いが、『人類』は愛せても、実際に意思や価値観を持ち、自らと対立する言葉を語る『人々』を個別に愛するのは簡単なことではない。人間世界に争いごとが絶えない所以でもあるが、『観念・理念』を愛せるように『個物・実際』を愛せる人は、ある種の無私の境地に到達した聖人に近いものかもしれない。

現代社会では『目的・目標を掲げて堅実に計画的に生きるような意味のある人生』が模範とされるし、それから外れた目的志向ではない場当たり的な人生に、劣等感や苦悩を抱えてしまう人も多い。

そういった直線的で勤勉な目的志向から軽妙に外れて、俺は自分でも分からないがなぜかいつもハッピーだと思えるおどけた感覚が面白いと思う。こんなに自分が幸せなのはきっと自分が正しいことをしているからではないか(俺は何か正しいことでもやったのか?その見返りできっと楽しいんだろう?)という、自己満足のご都合主義的な解釈も楽観主義のシュールさがあって良い。

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ソクラテス、ロバート・ハインラインの言葉(アフォリズム)より

Life contains but two tragedies. One is not to get your heart’s desire, the other is to get it.  Socrates

人生に二つの悲劇あり。一つは最も欲しいものを手に入れられないこと、もう一つはそれを手に入れてしまうことだ。  ソクラテス

真理探求の哲学の始祖とも称される古代ギリシアのソクラテスは、『産婆術』と呼ばれる反駁の対話法によって、何者も確実な知の基盤となる土台を築けていない事実(無知の知)を暴露しようとしたが、ソクラテスの人生は『問いのための問い』というある種非生産的な試みの繰り返しの中で『共同体の敵』と指弾されて潰えた。

ソクラテスが『心からの本当の欲望の対象』を手に入れられないのも悲劇だが、それを手にしてしまうこともまた悲劇だといったのは、ソクラテスが自身の手によって『著作』を一冊も書かなかったこと(ソクラテスの事跡・発言のすべてはプラトンやアリストテレス以下の弟子の記述に依拠する伝聞である)にも反映されている。

『手に入れてしまった知識(体系化・検証を待つだけの知識)』そのものを、恐らくソクラテスは当時の知識人の探究心を失わせる固定観念(正しさと決められたものを固守するだけのスタンス)として嫌ったのだろう。無知の知は現代科学にもつながっている『終わりなき真理探求・仮説志向の前提』だが、例えば、宇宙の摂理を矛盾なく示す大統一理論が完成したという安堵を得た時に、理論物理学者にとっての大統一理論はドクサとなって、それ以上の真理を求める興奮や感動は弱まる。

より日常的なレベルでいえば、憧れている理想の対象の価値は『手に入らないこと』によって何倍にもなるが、それが手に入らないもどかしさや欲求不満に苦しむ。しかし、いざ自分の所有する物になったり自分を受け容れる人になったりした時に、かつての理想の対象(遠い対象)が持っていた神聖・特殊の感覚は次第に失せて、当たり前の環境を構成するものになってしまう。

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