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現代の日本は意地悪化しているのか?『高所得の満足していないオジサン』による炎上:貨幣経済と評価経済

現代には『貨幣経済(お金を稼ぐ)』と『評価経済(人から好かれる)』の二つの側面があり、高収入の中高年男性は前者で優位だが後者で不利になりやすく、地位・経済力と主観的満足がズレやすい。

意地悪ニッポン “炎上”主犯は「高収入だけど満たされないオジサン」

『昔の日本』が『今の日本』より倫理・治安・マナーが良かったわけではないが『相互扶助・存在認知の地域コミュニティ』が機能していて『中高年男性の居場所や自尊心(他者の関心・敬意)』が家父長制や女性・妻の持ち上げ、企業コミュニティ等で担保されていた。現代は経済・仕事・男と愛情・承認の結合は弱まった。

豊かになったから他人に意地悪になって攻撃するという因果関係はなく、ただネット社会になって『個人の主張・意見を不特定多数に発信できる場』が増えただけだろう。全体の約1%しか炎上に参加しない事もその裏付けだが、現代は『意地悪化』よりどちらかというと『メリット・興味のない他者への無関心化』が進んでいる。

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老後の一人暮らし(人間関係ありの非同居)の満足度の高さ:家族が「老後の気の合う相手・助け合う相手」になれているかの問題

20~30代くらいの人でも「老後の孤独・貧困」を恐れている人は多く、その分かりやすい解決法の一つとして相互扶助的な「結婚・子供・家族(法的な関係性・血縁の関係性)」が求められてきたわけだが、現代は「離婚・不仲・性格や会話の不一致」も起こりやすい。

■老後は「1人暮らし」が幸せ 家族同居より生活満足

長く同居を続ける良好な夫婦関係や親子関係を維持するには、「双方の人間性・生き方の相性」と「お互いがストレスを感じにくい距離感・不干渉(相手が望んでいる方法や頻度での関わり合いの仕方)」が必要であるが、仕事のない老後になるまで「本当の相性の良さ・適度な距離感」が分からない夫婦・家族も多いことが一つの問題なのだろう。

近年は「高齢者夫婦のトラブル・老々介護の問題」も増えているが、「話し相手・気の合う相手がいない寂しさ・心細さ」と「世話しなければならない面倒な相手がいる煩わしさ・ストレス」とは違うということである。

一緒にいるだけでほんわか癒されるとか、話すと止まらなくなるくらい会話が面白い(話を聞いてくれて自分のことを誰よりも共感的に理解してくれて新たな興味関心を刺激してくれる)とかいう相手は、残念ながら恋愛の一時期を除けば「夫婦全体における比率」は必ずしも高くないのが現実だろう。

お互いが仕事をしていたり、夫が会社に行って妻が家庭にいたり、子育てに一生懸命だったりすれば、四六時中ずっと顔を合わせて一緒にいるわけではないから、「本当の相性の良さ・適度な距離感」があまり分からなくても、お互いに求められているやるべきことをこなしていくことで何とか上手くやっていけることが多い。

老後に上手くいかなくなる夫婦の組み合わせは「あれこれ構って欲しい(世話をしてもらったり何かに付き合ってもらったりしたい)タイプ」と「基本的に放っておいて欲しい(いつもベタベタ一緒にいたいわけではなく自分ひとりや配偶者ではない友人知人と何かをしたい)タイプ」の組み合わせであるか、あるいは「どちらかがそれまで我慢に我慢を重ねてきて(かなり以前から相手への共感性も興味関心も薄れていて)限界が近くなっているケース」である。

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現代の若者の消費スタイル、『モノからコトへ』や『所有(独占)からシェア(共有)へ』の変化が起こっている

現代の若者消費は『モノからコト』や『所有(独占)からシェア(共有)』の概念で語られる。収入・人間関係に見合わない高額消費の主観的満足度が落ち、将来不安が増した。

SNS志向の消費は「見栄より納得感」なのか? 若者世代の欲求を捉えられない企業の悩み

より金額の高いモノ・サービスを購入する為、身を削ってでもお金を稼ぐライフスタイルを敬遠する人が増えたが、資本主義の原動力の一つである『顕示的消費・差異化の消費(私とあなたの差を示すモノ消費)』が落ちた。『モノの所有』による擬似的階層意識が資本主義の出世競争を支えるが出世したくない若者像とも重なる。

バブル期の浪費は異常だが、若年層全体の平均的な稼得力が落ちたこと、より稼ぐためのコスト(準備・時間・労力)が大きくなったことが背景にある。かつては懸命に働きより良いモノを買い揃える力の顕示が、自己価値の異性・世間への分かりやすいプレゼンで、物質的な中流階層に入る事の至上命題性が広範に共有されていた。

格差・貧困といった『カネ・モノの水準』の社会問題は現在も深刻だが、若年層では進学・就職の競争的選択の時点で多くの人が『雇用・生涯賃金の見通し』を持ってしまいやすい。無理してハイブランド・高級車等を買っても『自分の収入・将来・周囲の評価・擬似階層』が上がらず、後で無駄遣いを悔みそうな不安感もある。

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レトロな喫茶店と最近のカフェ:個人経営の喫茶店での談笑の楽しみ

30年前に営業していた喫茶店は殆ど閉店して、全国チェーンの店などに変わっているが、レトロな個人商店は『店主(マスター)との相性次第』な所がある。商品・空間だけ求める現代の風潮に適応しづらい。

30年前のガイドブックに載っている喫茶店に行く

個人商店は『店主(マスター)の城』みたいになりやすく、良くも悪くも『店主・店員・客の流動性』が今風のスタバやドトール等のカフェと比較すると低い。『お客様扱い』もほどほど。『おなじみの顔ぶれ・馴れ合いの会話・プライベート筒抜け』のスナック感覚だが、そういった雰囲気が昼から好きな客層は減っただろう。

個人経営の喫茶店は近隣住民を中心とした常連が支える店が殆どであり、スタバのように不特定多数の大勢の客が出入りする型(常連はいても店員と私的な会話は基本ない)の店とは違う。店舗の形態が大型化・匿名化・都市化したと言えるが、今と昔では『心地良く感じる店との距離感・店員の接客と言葉遣い』もかなり変わった。

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美容院の美容師との雑談も楽しみの一つ、 交通トラブルでは喧嘩を回避するのが得策だ。

髪を切りに行く時には、美容師との会話も楽しみの一つではある。客商売とはいえ担当を決めてなくても、会話スキルが高い人は多いので、よほど相性が悪くない限り、会話をして不快になることもない。

美容院に限らず、対人場面で『雑誌・本・スマホ』は余り見ないが、何回か当たった人なら大まかな興味の範囲がわかるので、『乗ってきやすい分野の話題やニュース』に焦点を合わせてあれこれ話を振ってみる。

美容室でイラっとすることTOP10

髪型の注文は表現の仕方に迷いやすいが、今は『現状維持か(1~2センチの範囲で切って揃える)イメージチェンジか(長さを大きく変える)・パーマの有無』の二択で考えている。

ずっと横を刈り上げていたのでカットでも『ツーブロック前提』になっているが、髪が耳にかぶさらないのに慣れてしまうと、横髪が煩わしくてなかなか伸ばせない……。

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『ご苦労さん』の言葉遣いでキレた事件から考える中高年期の精神的危機(アイデンティティ・クライシス)

自分の精神状態が安定し他者との敵対的なフレーム(優劣の構え)がなければ、言葉遣い云々で激怒する人は殆どいないが、40代中年期は境遇によって自己定義が揺らぐ世代でもある。

「ご苦労さん」は失礼なあいさつなのか? 大阪知事選の投票所で47歳会社員が激怒

40代は順境にあれば人生の収穫期になることも多いが、仕事・経済でも家族面でも異性面でも、ゼロからの立て直しができないと自覚せざるを得ない斜陽感の生じる年代で、なまじ自意識の強い人が挫折感・不遇感を感じている場合には孔子の説いた『人知らずして慍みず、また君子ならずや』の道から遠ざかって殺伐としやすい。

『論語 学而篇』で最も知られるこの言葉は、中学の国語で習う定型句だが『学びて時に之を習う、また説ばしからずや…人知らずして慍みず、また君子ならずや』が実感として滲みやすいのが中年後期だろう。我こそはの自負心の強かった孔子が人に知られない挫折を悟った時、人を恨まずに天命に生きる為の自戒でもあった。

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