「ジェンダー」タグアーカイブ

エマ・ワトソンの胸露出写真が気に入らないフェミニストとフェミニズムが目指すもの:『見られる客体としての女性』をどう考えるか

女性解放・女権拡張のフェミニズムは『女性の個人化・自己決定権の強化』として機能したが、『女性の平等化・女性の客体化(見られて評価される美)の否定』についてフェミニスト間の価値観・目標の対立もあるのだろう。

胸露出写真はフェミニズムに反さず、女優E・ワトソンが批判一蹴

エマ・ワトソンの胸露出写真が気に入らないフェミニストは、容姿・性的身体によって評価される『女性を見られる客体にする社会構造(財力ある男性のまなざし)』が男権的な女性のモノ化につながると解釈するのだろう。男女の一般的な差異として『身体・性の価値』があり、男女平等に至らない主因の一つではあるだろうが。

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『主人・嫁の言葉』は女性差別的なのか?、 ヴォーボワールの『第二の性』とジェンダー問題:原理主義の男女平等化はなぜ不可能なのか?

生物学的な性差のセクシャリティ自体が不平等で生殖を優先させる動物的側面を持つ。男女・イエ(部族)を超えた公平・尊重や暴力・強制の廃絶を求める近代人は倫理的だが非自然的でもあるのだろう。

「主人」や「嫁」という言葉は賞味期限 川上未映子さん

『主人・嫁の言葉』が女性を独立した主体(個人)として見なしておらず、男性やイエの下位にある身分・役割を表象する男女差別的な言葉ではないかと言われれば、無論、歴史的に見て『女性が独立した経済・意識の主体として生きられた時代』は殆どなかったという意味においてそうだ。男性もまた近代以前は個人ではないが。

近代的な自由で平等な個人は、現実の歴史・生活・労働の実態に即せば、『啓蒙主義的・イデア的なフィクション』に過ぎない。近代以降の身分制や強制権力(共同体構成員に死を命令する事もできる公権力)を弱めてきた歴史は『社会的動物(生産的生殖的な構成員)としての上下・役割・身分の意識の解体的自由化』でもあった。

結婚制度・家族や国家・企業労働などにおいて、『主人・嫁のような関係性・上下関係・役割分担を示す概念』は男女に限らず上司と部下、為政者と被統治者、経営者(資本家)と労働者などさまざまな二項対立概念としてあるが、それらは現時点において『廃止すべき賞味期限の切れた時代遅れの概念』とまでは言えない。なぜか。

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きつい仕事を辞めたくて専業主婦になりたいと思う女性の心理とリスク

仕事を早く解放されたい軛(くびき)のように捉える人はいるが年収1000万の人と結婚でその軛が簡単に外れフリーになれるはずもない。子やローンで働く必要が増したり、一度失った稼得力を惜しむも多い。

「仕事がしんどい」だから専業主婦に逃げようとしている貴女へ

稼ぐ人と結婚すれば、労働から解放され自由な人生をエンジョイできる甘い話はまずない。生涯賃金以上の資産(適切に運用されてインカムのある金融資産)があるケースを除き、仕事から中途半端に逃げようとすればするほど資本主義社会の労働者は後で苦しみやすい構造がある。相手の収入全額が自分の管理下に入る保証もない。

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『男性がいなければ性犯罪はほぼゼロ』は極論で、『男性保育士に一切女児の着替え・排泄を介助させない』も極論だが……

「女性なら社会問題になる事案」 “男性保育士に女児の着替えをさせない”は差別か、千葉市長が問題提起し議論広がる

1980年代頃まで、乳幼児の保育・幼児教育(子供の世話)・看護介護・接客接遇などの『心理的・身体的なケアの仕事』は、女性がすることが望ましくて普通(それらの女性向きとされる仕事をしたいという男性は一般的な性格・価値観ではない)とされる『男目線のジェンダーバイアス(男性の大半がやわらかい感じの女に優しくケアされたいとか丁寧なケアと合わせて性的満足も感じられるとかいう潜在的願望を持つことからの投影)』のかかった仕事であった。

しかし、男女雇用機会均等法や男女平等の原則を固めるジェンダーフリー教育などによって、看護婦が看護師、スチュワーデスがキャビン・アテンダントとなったことを典型的な変化の始まりにして、『あらゆる職業の男女平等化』が進んだ。

一部の過酷な肉体労働や女性(男性)であることそのものが売りの接客業などを除いては、『男性向き・女性向きの仕事』という固定観念が覆されることになり(実際には暗黙の了解で男性が欲しいとか女性が欲しいとかが求人段階で分かることも多いが)、事業者はどちらかの性だけしか雇わないという性差別的な雇用を禁じられることになった。男性保育士という表記自体が、『保育士=女性が圧倒的に多い職業という固定観念』の現れではある。

平常業務の遂行の一環として女児・女性の身体に必要な範囲でふれたり裸体を知覚したりすることになる職業は確かに保育士だけではなく、看護師も学校の教諭も医師もそうであるが、保育士の仕事は『自意識・言語能力がかなり未熟な乳児・幼児の日常生活全般に関わる』という特殊性はあり、性被害(男性の内面)に敏感な親御さんによっては『乳幼児の段階で非常に無防備な自分の娘+もしかしたらのリスク』を結びつけやすくなる。

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共生婚を望む現代人(の一部)の心理:他者との濃密な関係に不自由(息苦しさ)を感じる人たち

『共生婚』は自我が強くて理想が高くコストや面倒を嫌う人が増えた結果だろう。人の選り好みでロマンティックラブ・性と家族愛の幻想も崩れやすくなったが、『お互いの現状を変化させない結婚』としての共生婚に流れる。

食事も一緒にしない、共同生活するだけ…「共生婚」という結婚のカタチ

Aセクシャルや同性愛などを除き、男女関係の理想形はその人を見ただけで気持ちが高まる、また会いたい触れ合いたいという『ロマンティックラブ・本能的な惹かれあい』から始まって、『安定した愛情・家族の形成・人生の共有』などに向かうことにあるが、客観的には昔もそういった理想の関係性は殆どなかった。

近代が成熟するまでは、結婚は主に『生活・生殖の手段』であり『社会に承認される人生設計や運命の享受(大人になる通過儀礼・世間体)』であったから、『個人の幸福追求・理想の人生・異性選択の満足度』とは殆ど相関しなかったわけだが、現代人にとって『生活する為の結婚』は優先度の高いものでなくなってきた。

お見合い結婚が廃れ恋愛結婚が台頭したこと自体が、『自我の強さ・理想の高さ・個人主義の幸福追求』の現れだが、厳密には恋愛結婚でも『男性の経済力と女性の性的魅力との交換(男性側の強いアプローチに女性が折れる)』も多かった為、『相互に乗り気の恋愛・性愛』は20世紀後半にも多くなかった可能性はある。

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女性原理の優しさ・非暴力性が優勢な現代は『男性受難の時代』か?:男性原理の暴力・支配が犯罪や野卑として禁圧される

現代は人権思想を前提に『倫理性・平等性・潔癖度』を高め、暴力や卑猥を抑制する『女性原理』と親和するが、歴史的に暴力性・支配欲を含む男性性が厄介視されやすい時代背景もあるか。

http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20160727033012

殺人・強盗・傷害・脅迫など凶悪犯罪全体の80?90%が女性ではなく男性によって行われている事実は重い。『男性ホルモン・男の育てられ方や競争原理・男の社会的役割(落伍すれば誰も庇護しない成人男性)』などの影響で『動物的な暴力性』が表現されやすいのだが、殺したり傷つけたりの戦闘で優位に立てた歴史が長い。

『暴力・武力行使・戦争』が悪とされた歴史は極めて短く、力が強ければ多く奪えるの歴史的・男性原理の発想は今でも各地・各民族で生きる。現代でも安全保障・治安維持・テロ抑止のための暴力は必要悪として要請されるが、戦争やテロなど『暴力の論理で敵を抑える脅す・利益を得る』は男性原理の力の直接的な行使形態だろう。

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