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HISの『東大美女が隣に座ってくれるキャンペーン』がセクハラとの批判を受けて中止に!

セクハラというのは『東大美女図鑑の学生』が隣に座って旅のガイダンスをする仕事を断っているのに無理にさせるならそうだが、本人が自分の美貌なり知性なりを売りにしたアルバイトをしたいなら自由だろう。

HISの「東大美女が隣に座ってくれる」キャンペーン 「セクハラ」批判受け即日中止に

セクシャルハラスメントは『性的嫌がらせ・性的な侮辱やからかい』であって、女性の外見や対話機会、性的魅力を本人の了承の上で活用することはセクハラではないだろう。これを否定するなら、セクシャルなイメージを売りにする芸能活動全般(特に会えるとか握手できるとかのアイドル云々など)もセクハラでアウトになる。

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美人論、なぜ現代社会では『外見・容姿の美』が極端に重視されるようになったのか?:美人は生涯で3600万円得をする。

美人はその定義に『当該社会で生活する人々の多くが視覚的に美しさや好ましさ(理想的な人の形態の投影)を感じる』を含むから、仕事や人間関係で得をしやすいのは道理だが、外見が昔よりも重視されやすくなった文化モードの変化もある。

「美人は3600万円得」との研究結果「整形すべき」の声

昭和後期頃までは『人は外見より中身・外見について比較する事は好ましくない』の道徳規範がかなり強くて、表立ってルックスの差異は語られなかった。産業構造が土・油で汚れる肉体労働の多い第二次産業中心で日本がそれほど豊かではなかったこと、メディアや美容ビジネス、ネットの影響が弱かったことも影響するか。

メディアが発達しておらず交友関係も狭い途上国の村落等では、美人かそうでないかの優劣コンプレックスは小さく、美人か否かでそれほど人生のプロセスや自己評価も変わらない。だが韓国が経済発展してから、先進国的に洗練された容姿の美人・イケメンが増えたように経済と外見の自意識・美への投資はかなり相関するようだ。

一昔前の『韓流ブーム』では、KARAや少女時代、東方神起などビジュアルを売りにしたアーティストやペ・ヨンジュンなど俳優が日本で話題になった。韓国の芸能戦略は『先進国の自意識に並んだ近代化のアピール』も兼ね、ファッションやスタイルが日本より洗練されてないと見られるアジアの新興国を脱した主張性もあった。

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山口智子の『産まない人生宣言』と結婚・労働・出産を巡る世間体の圧力:なぜ『産まない人・産まない人生』は批判されやすいのか?

世間一般では、他者に危害を加えない限り、あらゆる生き方や価値観の多様性を認めるという人(相互不干渉の自由主義者)はそれほど多くないし、「自分の選択した人生の生き方」を直接的あるいは間接的に正当化してその正しさや幸せを他人にも認めてもらいたいという人(普通の人生モデルを提示してそれに沿うか否かで価値を判断したがる人)はやはり多い。

■山口智子の「産まない人生」宣言で考える 子どもを持たない選択した女性にも優しい社会

結婚していなければ結婚すべきだという人もいるだろうし、出産・育児をしていなければ出産・育児をすべきという人もいるだろうし、フルタイムの正社員で働いていなければ正社員で働くべきだという人も当然いるだろう。

それが世間一般の『(現代ではやや多様化・個別化が起こって拡散してきてはいるが)普通の人生モデル』だからである。更に、その『普通とされる人生モデル』に沿って生きるためには、現代では特に膨大な時間・労力・コストをかけて、およそ自分の人生のほぼ全体を投資するくらいの覚悟・努力がなければできないのであり、普通だから簡単で気楽にやれるわけではない。

平均所得前後を稼ぐくらいのサラリーマンになるにしても出産して子育てをするにしても、片手間で余力を残して『あれもこれも』でできる生半可なことではなく、中には仕事で心身の健康を崩したり、子育ての仕方を間違って犯罪(虐待死・非行誘導)に転落してしまう人も出て来るわけだから、本人にとっては正に『一度限りの人生を賭けた真剣勝負の取り組み』といっても過言ではない。

結婚生活や出産・育児に関しては、学歴・職業エリートで躓く人も多いのだが、その理由としては『普通・平均に対する侮り(今までの自分は普通・平均レベルの成績・実績まで落ちたことなど一度もないのだからとの過大評価)』があるからという側面があるだろう。

現実には、大多数の人は結婚して子供を育てて夫婦関係・家庭を維持して年老いていく『普通の人生モデル』をまっとうするために、ほぼ自分の持つ能力や経済資源、時間の殆どを賭けなければそうそう上手くいかない。

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男性を“デレデレ”にするための方法:男性の短期的なデレデレと長期的な誠実さ・貢献の違い

男性の年齢が若いか女性を求める心情が強いか(生き方・人生設計が素直か)他の女性にそれほどモテなければ、デレデレにする事自体は難しいことではないが…デレデレは知覚や性の快感の面が主で、『人間性・パートナーとして好き』とはズレも生じやすい。

男性を“デレデレ”にする4つの方法

厳密にはおじいちゃんの高齢男性でも、ちょっと可愛らしいお姉さんから優しく親切に笑顔で接して貰えると、デレデレしていたりするので(気難しいおじさんでも綺麗な子が丁寧に接すれば態度豹変するが普通はそうしてくれないだけ)、年齢を問わない面はあるが…『表面のデレデレ』は本能的であんまり当てにならないもの。

女性が10?30代位の年齢で、デレデレにさせるのが難しい男というのは、単純に『自分よりも総合的魅力がかなり上(年齢がかなり下)の男』である可能性が高い。概ね釣り合いの採れた男で平均的な性格・欲求・人生設計なら、『笑顔・受容(話を聴く)・共感的(好意示す)・積極的(誘いに乗る)』でその場の心は掴める。

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LGBTの差別禁止法案、 認知症患者の大量購入が取消可能になる法的保護措置

LGBTの権利拡大は世界的な趨勢だが先進国において『生産性』を普遍的価値とする近代のヘテロセクシャルと婚姻制度の規範的結合が緩み始めた事も影響している。企業におけるLGBTの差別禁止は必要だろう。

性的少数者の差別禁止で法案=民主、与党と共同提出目指す

LGBTの差別禁止は『非LGBTとの均等待遇』であり『LGBTのアファーマティブ・アクション(積極的優遇措置)』ではない事に注意が必要だ。LGBTだけを理由に仕事上の不当待遇をしてはならないという事であり、『職務上の適性・見た目の自然さ』等の観点でMTF男性が受付や接客に採用されづらい等はあり得る。

LGBTの人権尊重と雇用上の均等待遇は、LGBTであることだけを理由に採用面接を断られない、不当な雇用待遇(昇進上の不利な扱い)をされないという事である。『職場でトランスな性自認・性的指向の強調』をしてもいいという話ではなく『性別違和感のないヘテロな男女と別の基準で仕事の評価をされる』わけでもない。

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豊かで平和な社会では“美(外見)の相対価値”が高まるか?:時代の余剰によって“美・力・知の原理”に翻弄されるヒト

生物界の自然選択では“美の原理”というのは“健康(生殖能力)の指標”である。類人猿の艶やかな毛並みや孔雀の華やかな尾羽、ハチドリのカラフルな羽などは、それだけ遺伝的基盤が安定していて十分な栄養摂取(食物の獲得)ができる能力があることを示唆している。

「イケメンや美人は出世しやすい」は本当か

20世紀末から21世紀にかけて、先進国における美人やイケメンの相対価値は格段に高くなったとされるが、それは過去の時代と比較して『生存淘汰圧(最低限の生活のためのコスト)』が小さくなり、『美しさ・洗練・セルフイメージの基準を繰り返し喧伝するインターネット+メディアの影響力』が大きくなったからである。

そもそもヒト(ホモ・サピエンス・サピエンス)の婚姻・恋愛を介した自然選択では、『美しさの原理』というのは数千年の長きにわたって女性ジェンダー(見られる性・選ばれる性としての女性)と深く結びついたものであり、男性の美しさ(見た目の格好良さ)というのはまず問題にされた時代がほとんどなかったのである。

フェミニズムの女性研究者たちは、まさにこの類人猿の段階からの自然選択として連綿と続いてきた『見られる性・選ばれる性としての受動的な女性性(女性の主体性を禁圧してモノ化して婚姻で囲いこもうとする男性原理・家父長制)』と戦ってきた側面がある。

つい数十年前までは男性は『外見を取り繕うのは恰好悪い・男は見た目ではなく能力(組織適応と稼ぐ力)だ・生白いなよなよした男など男ではない』というジェンダーを植えつけられ、義務教育では男は外見を格好つけるなということで丸坊主を強制されたり、長髪・パーマ・洗髪なども『不良・落ちこぼれ・生活の乱れ(非正規的な男性像)』として低く評価される時代が続いていた。

女と比較して男は『見られる性(美しさ・格好良さを査定される立場)』として評価されることに慣れていないし、『外見が好みじゃないからあなたじゃダメ(容貌が生理的に受け付けない)』とはっきり言うことさえある最近の若い世代の女性の主体性(選ぼうとする意志)は、男にとって相当な恐怖であり苦痛(プレッシャー)でもあるだろう。

男性を外見で選ぼうとする若い女性の主体性・選好性というのは、『若者の恋愛離』れの一因でもあるし、『外見・美しさにおけるコンプレックス』というのはかつては女性に多かったが、近年は男性のほうにも増えていて『コンプレックス関連産業(見かけを格好よくすることに関係したビジネス)』の市場規模が拡大傾向にあるとも言われる。

確かに、若い世代ほど『平均的と見られる外見・おしゃれのハードル』が高くなっていて、過度に華やかさを競い合って進化の袋小路に陥った孔雀の尾羽のように、ヒトもまた本来の『生存淘汰圧への適応・健康指標』を超えて『社会的・性選択的な高望みの圧力(社会的承認競争+視覚的娯楽のインフレ率)』を高めているのである。

メディアでは一般社会には極めて比率の少ない美人やイケメンが当たり前のように映像として映し出され、容貌が優れている者と優れていない者との待遇の差異(皆にちやほやされて賞賛されるか対人魅力が低いとして軽く扱われるか)がある種のお決まりのクリシェ(紋切り型)となっている。

そこには『勤勉と力の原理(旧来の男性ジェンダー)』が介在する余地が乏しくなっているどころか、容姿を売りにしている著名な芸能人は『美と力の原理』の両面において圧倒的に一般庶民を上回っていることのほうが多い。

少し前までは、男社会では『色男、カネと力はなかりけり』の嫉妬もありきのスローガンで、あいつは外見だけは良くて女にモテるかもしれないが、体格がひょろくて根性がないから『肉体労働・男同士の喧嘩の場』では使い物にならないモヤシのような優男だ、男としての本当の価値では俺のほうが上だという認知(男性ジェンダーの支え)によって『外見上のコンプレックス』はほとんど無効化されていた。

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