喧嘩・いじめの場所は『河原』は昔の漫画のお約束だが、意外と現代でも早朝・深夜の河原で少年・青年のリンチ事件が起こるな。トラブルのある複数の男から川に誘われたらとにかく断る・逃げるべきか……
一方的ないじめを除き、類は友を呼ぶ傾向は強いが、『揉めたら面倒そうな集団・機嫌を損ねたら何するか分からない人物・暴力や犯罪の雰囲気のある集まり』には、自分の自衛力・危機回避によほど自信がない限り、男も女も近づかないが吉。知人間の金銭トラブルが殺人にまでつながる短絡さは愚劣で自滅しただけだが…。
喧嘩・いじめの場所は『河原』は昔の漫画のお約束だが、意外と現代でも早朝・深夜の河原で少年・青年のリンチ事件が起こるな。トラブルのある複数の男から川に誘われたらとにかく断る・逃げるべきか……
一方的ないじめを除き、類は友を呼ぶ傾向は強いが、『揉めたら面倒そうな集団・機嫌を損ねたら何するか分からない人物・暴力や犯罪の雰囲気のある集まり』には、自分の自衛力・危機回避によほど自信がない限り、男も女も近づかないが吉。知人間の金銭トラブルが殺人にまでつながる短絡さは愚劣で自滅しただけだが…。
祖父母に対する憎悪の鬱積のような理由もなく、高校生活が上手くいかないストレスを解消するため、祖父母を殺害したという動機は理解しがたい。「誰でも良かった」と供述しているようだが、ストレスからくる破壊衝動の発散方法の異常性か。
反抗期にある思春期の子供が、親(祖父母)から勉学・進路・異性交遊などについて毎日うるさく言われて、それに耐えられず家庭内暴力を振るうようになるという事例はありふれたものとしてある。しかし『殺害そのものを目的とした家庭内暴力』はよほど激しい虐待・支配・侮辱の持続でもない限りは起こりにくいものだ。
風呂に入る前に衣服を脱ぐと体感気温の低下で自律神経が反応しやすい。膀胱が縮小して尿意を催しやすくなる。体質の差もあるがかなりの男に見られるので入浴前にトイレを済ませる習慣が出来ている人も多いはず。風呂場の排尿は臭いが強くなりやすくマナー違反である。
風呂場でおしっこをしても流せば同じとはいうが、狭い風呂で時間を開けずに次の人が入れば、排尿したことが分かる程度のアンモニア臭が残っていることも多く、大半の人は不快な思いをする事になる。毎回風呂に入った瞬間にするなら、服を脱ぐ前に(その時点で尿意なしでも)とりあえずトイレに行っておくべきだろう。
『大奥』は色んなシリーズやスピンオフが多すぎてどの俳優がどの作品に出たのかも把握できないが、堺雅人と菅野美穂が親しくなる契機になった作品も『大奥』だったか。男のみ人口激減で男女の性規範が逆になる二宮和也の作品もあったような。
原油価格下落は日経平均株価や商社・石油・化学の産業にはマイナスの影響も大きいが、消費者には『ガソリン・灯油・電気・ガスなどの価格低下』の恩恵も生じやすい。小さな値下げだが固定費の減額になる。
繁華街のイラン人というと麻薬密売の連想が刺激されやすいが、中東系・南米系(メキシコも)のアンダーグラウンドな世界の『生命の価値』は余りに低く、『麻薬の価値』は人より圧倒的に高い現実…。
メキシコはじめ中南米に拠点を置く資金力・軍事力のある麻薬カルテルは、警察当局にも協力者を多く抱え、国家権力を動員しても壊滅させる事が不可能なほど社会的浸透度・影響力が強い。中南米の麻薬王というと日本の山口組組長等を彷彿させるが、その資金力・影響力は大きく軍隊並みの武装兵力を擁し、公権力の汚染も酷い。
髪を切りに行く時には、美容師との会話も楽しみの一つではある。客商売とはいえ担当を決めてなくても、会話スキルが高い人は多いので、よほど相性が悪くない限り、会話をして不快になることもない。
美容院に限らず、対人場面で『雑誌・本・スマホ』は余り見ないが、何回か当たった人なら大まかな興味の範囲がわかるので、『乗ってきやすい分野の話題やニュース』に焦点を合わせてあれこれ話を振ってみる。
髪型の注文は表現の仕方に迷いやすいが、今は『現状維持か(1~2センチの範囲で切って揃える)イメージチェンジか(長さを大きく変える)・パーマの有無』の二択で考えている。
ずっと横を刈り上げていたのでカットでも『ツーブロック前提』になっているが、髪が耳にかぶさらないのに慣れてしまうと、横髪が煩わしくてなかなか伸ばせない……。
自分の精神状態が安定し他者との敵対的なフレーム(優劣の構え)がなければ、言葉遣い云々で激怒する人は殆どいないが、40代中年期は境遇によって自己定義が揺らぐ世代でもある。
「ご苦労さん」は失礼なあいさつなのか? 大阪知事選の投票所で47歳会社員が激怒
40代は順境にあれば人生の収穫期になることも多いが、仕事・経済でも家族面でも異性面でも、ゼロからの立て直しができないと自覚せざるを得ない斜陽感の生じる年代で、なまじ自意識の強い人が挫折感・不遇感を感じている場合には孔子の説いた『人知らずして慍みず、また君子ならずや』の道から遠ざかって殺伐としやすい。
『論語 学而篇』で最も知られるこの言葉は、中学の国語で習う定型句だが『学びて時に之を習う、また説ばしからずや…人知らずして慍みず、また君子ならずや』が実感として滲みやすいのが中年後期だろう。我こそはの自負心の強かった孔子が人に知られない挫折を悟った時、人を恨まずに天命に生きる為の自戒でもあった。