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電通の東大卒・女子社員の自殺問題:現代で主観的幸福と結びつかない事もある『学歴・職歴・収入の競争』

“能力・意欲・使命感”のある若い人材を、電通・上司が未必の故意(パワハラ)で自殺に追い込んだ事例か。過労だけが人の精神を壊すのではなく、『洗礼的な」しごき・存在や努力の否定』で壊れやすい。

<電通新入社員>「体も心もズタズタ」…クリスマスに命絶つ

死ぬほどつらければ辞めればいいと言うのは簡単だが、自殺した新入社員は母子家庭で苦労して育ててくれた母を助ける為、懸命に勉強して東大に合格、就活でも複数回の選抜試験をパスして電通に入社したのだろうから、『母を支えたい使命感+最初のキャリアで躓けない気負い』から辞める選択肢は除外していた可能性が高い。

学力試験は特に『努力すれば報われやすい世界』であり、新入社員の女性は『今まで努力することで結果を出してきた成功体験』もあるから、過労で仕事や性格にダメだしを受け続けても初めは『ここさえ耐えてクリアすれば何とか続けられるはず・改善点さえ分かればできる・諦めたら負ける』の思いもあっただろう。

電通・リクルートなどは勤務時間でもメンタル面でもハードな職場だが、『本人のメンタルや認知方略・人材の育て方・部署や上司との相性』によってハードな長時間労働で鍛えられるか精神を折られるか(トラウマや適応障害にされるか)の運命は分かれる。レポートやプレゼンの恣意的連続的なダメだしは洗礼のしごきに近いが。

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登山家ラインホルト・メスナーの言葉から、登山と思索の相性を考える:登山とサッカー・野球の違い

イタリアの登山家ラインホルト・メスナーの「サッカー人気はすさまじいけど、サッカー選手の本に比べると、登山家の本の冊数は圧倒的に多い。それは登山が思索的スポーツだからだ。登山とは考える行為なんだ」 は確かにそうだろう。登山文学のジャンルはあれど、野球やサッカーを敢えて文書・思想で楽しむ人は余りいない。

自然・地理・山岳・歴史・死生観(遭難)などが絡む登山は、登山録や紀行文を交えながら『自然と対峙・交流する原点的な人間像からの思索・哲学』を文書化しやすい。野球やサッカー、ボクシング等は『ルールと場所が決められた勝負の世界』で、文書・思索・人生観より『上手い選手の実際のプレイ』が全てになりやすい。

登山とサッカーとの最大の違いの一つは、登山は『生涯現役で自分なりの登り方・歩き方(登れそうな山・歩けそうな距離)』を楽しむこともできる(健康なら何歳からでも始められる)が、サッカー・野球は基本的には『40代以下の若い人の集団スポーツ』でプロ選手でも年を取ると完全にやめてしまうという事だろう。

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死刑制度の廃止論・存置論の『人間観・刑罰の意義』について

歴史的に先進国とされてきたEU加盟国はすべて死刑を廃止しているが、死刑廃止論が沸き起こってくる必要条件は『経済成長・教育水準向上・人権思想・平和な環境・殺人の減少(殺人禁忌の規範順守の拡大)』である。

■日弁連、「死刑廃止」宣言へ 冤罪事件や世界的潮流受け

死刑廃止論は啓蒙思想・教育水準を背景として『理性的な言語が通用する人間(適切な環境で教えて話し合えば分かる人間)』が圧倒的多数派となった時に、野蛮(本能)に対する文明(理性)の優位性の証明として強まってくる。

反対に、死刑存置論では殺人者は『文明・理性・教育の啓蒙の及ばない野蛮人(理性の言葉が通じない教育するだけ無駄なディスコミュニケーションの反社会的主体)』とみなされる。死刑の判決を執行することで、被害者・世の中に対する応報刑の償いをさせて見せしめにし、決定的な再犯防止(息の根を止めれば二度と犯罪は起こしようがない)によって社会防衛を図るべきだとされる。

死刑には統計上の犯罪抑止効果はないとされるが、それは過去においては『貧苦による生きるためのやむを得ない強奪・殺人』が多く、現代の先進国においては『死刑があってもなくても殺人を実行する人の絶対数』が元々相当に小さいからである(殺人・暴力の禁忌が幼い頃からしつけや教育、人間関係を通して深く刷り込まれているからである)。

現代では『殺人・強奪以外の適応的な問題解決法の選択肢』が多いので、あえて他者の人権を決定的に侵害して社会的・法律的に厳しく指弾され(社会共同体から排除され)、生理的な気持ち悪さも伴う『殺人』を選ぼうという人は少ない。

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現代人に増える『仕事をしたくない・働きたくない気持ち』にどう向き合えば良いか?:職場がホームかアウェイかも関係

専門・技術・分野にもよるが、思考を積み重ねて自己分析を深めれば仕事に適応しやすいかというとむしろ逆かも。思考より行動・生活が先にあって、『初めから自分に合う仕事』より『仕事をしながら合う感覚を固める人』が強いだろう。

働きたくなさすぎる……転職3回目の20代半ば、どう生きる?

あれこれ考えたり知識・情報・言葉を操作して稼げる仕事は、学問・創作・文筆(編集)・ウェブ等のジャンルに限定されるわけで、大半の仕事は職場に行きそこで体を動かし他者にアプローチする事で対価が生まれる。仕事の好き嫌いは『人・物・技術・知識・資格・市場・時空の固定度』へのコミットの割合にも関係する。

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『世の中、金こそすべて』という価値観に対する反論:お金・時間・自由度とのバランス

金の機能は『交換・貯蔵・指標』だが『金で交換できないものはある(金で動かない人や時間を売らない人もいる)・一定以上の貯蔵は個人には無意味・金額で指標化できない心理的満足がある』が反論になる。

「世の中、金こそすべて」←この主張に反論できる?

『金こそ全て』という命題自体が、ストックなのかフローなのか、労働所得なのか不労所得(資産・投資からの収益)なのかでも話は変わる。金が全てだからとにかく自分の体力と時間の限界ギリギリまでぶっ倒れるまで稼ぎたいという人はまずいない。大多数は『金がすべて』でなく『自由に動ける・体を休める時間』を優先する。

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子供を持つことが“自然な時代(自然になる状況)”と“選択の時代(不自然になる状況)”

子供を持つことを『生物学的な存在意義(ヒトも動物の一種)』や『自然のなりゆき』と考える人は、現代でも年配者を中心として多いが、近代後期以降の先進国では『生物としての本能の絶対優位・自然(義務的・排他的)なライフデザインとしての結婚出産』という前提が緩やかに崩れてきている。

「子供ほしいと思わない」男性が約半数!理由は?

そもそも、現代日本(約1億3千万人)は過去のどの時代よりも最大の人口を抱えており、『少子化・人口減少』が問題視されていることの本質は、『資本主義・市場・税収の拡大』によって最低でも現在と同水準の経済生活や老後保障を死ぬまで維持したい(平均年齢80代以上で)という『現代人の過剰な欲望』に過ぎない。

しかも日本の現代人は未来(これから生まれる子供)から既に約1300兆円の借入れを行なっており、『今享受している生活水準・老後保障』も本来であれば『なかったはずのもの(借金に依存しているもの)』という厳しい現実がある。

毎年の一般会計では常に国債を最低でも20兆円以上は発行しないと今の生活や社会保障を維持できないのだが、『改善の見込みの立たない国家財政のバランスシート』というのは、ただ出生数を増やせばいずれ解決するという問題ではなく、『一人当たりGDP(雇用の質・所得水準)』の大幅な上昇がなければ無理なのである。

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