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子供を産んだ後に愚痴をいう人に『じゃあ産まなきゃよかったじゃん』というのは正論なのか?:未来・人生は計画通りには進まないもの

皆がいずれ子供を一人は産む前提が成り立たなくなり地域・同世代の育児の連帯も薄れた。『自由意思+能力・機会+自己責任』のロジックで、子供に限らず多くの分野で『本人の自己選択の結果』に矮小化され共感・支援を受けづらくなった。

「じゃあ産まなきゃよかったじゃん」という正論の残酷さ

記事のテーマについては、愚痴・不満をぶつける相手を選べば良いという話になる。『愚痴・不満の内容が相手にどのように受け取られるかの想像力』も働かせると良い。だが『自由意思+能力・機会+自己責任』は、本人に結果を納得させ周囲が罪悪感を抱かなくても良いための現代の因果関係のフィクションの面が強い。

出産後に『嫌なら子供を産まなければ良かった』、就職後に『嫌ならそんな会社で働かなければ良かった』、結婚後に『嫌ならそもそも結婚しなければ良かった』というのは、今後悔しても意味のない『後付け(後知恵)の自己選択の否定』に過ぎない。その行為をした時点では良いと思ったが、結果が違っていた等は幾らでもある。

問題は『結果』をどうこれからの人生や行動にポジティブにフィードバックしていくかであって、『嫌なら産まなければ良かった』など現実を否定しようとする発言は意味がない。本人は『産んだのだからきついけど頑張って育てよう・子供の可愛い所や子育てのやり甲斐を見つけていこう』と発想を切り替えるしかない。

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美人は得するのか?:現代のビジュアリティー重視の外見重視主義(ルッキズム)と潜在的差別

美人は人から好かれやすく異性の人心掌握が容易、相対的な見た目のコンプレックスが殆どない意味の得はあるが、『好まざる人を引きつける・能力や人柄への過度の期待・順境と援助が続く事での努力の軽視』で損もある。

美人は得?実は損してる?ニコニコニュースユーザーの意見をまとめてみた

美人の強みは端的には『表情・愛想・態度だけでかなりの人を動かせる(勝手に寄ってきて動く)』ことで、一般にはまず無い力だろう。人からの好意・援助を受けやすく相手が自分の内面も実際以上に美化してくれるので『素直・のんびりor傲慢・自惚れ』で性格は分化する。優越感は表面に出なければ更に謙虚と評価は高まる。

美人で損しやすいのは『周囲に合わせない人・独り(静かな環境)が好きな人・自分の力だけで物事を動かそうとする人・傲慢で魅力を鼻にかける人』であり、これらは『人を引きつけて自分を立てる方向(悪くしない方向)で動いてくれる』という美人の長所を自ら捨てて、美貌を鼻にかけ人を見下している等の誤解を招きやすい。

静かな環境や独りが好きでも、外見が人並み以上で目立てば有象無象が近寄ってくる、つれない態度で冷たく断ったり仲間を作らなければ『(一般の人以上に)冷淡・自惚れ屋・お高く止まった・変人・面白くない(顔だけのつまらない人)のレッテル』を貼られ疎外感を味わう。人と距離を置く事にマイナスの意味づけをされやすい。

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清楚な女性はモテるのか?:清楚・貞節と奔放・淫乱の女性イメージの二元論

清楚と奔放の類型は『陰陽二元論』のイメージに近い。清楚の魅力は『禁忌の侵犯』、奔放は『情欲の開放』で、『黒髪・色白・ゆるふわ・受身・無知などのイコン』は多分に男性的な独占欲(他の男や過去がない)の幻想性に支えられる。

清楚なのにモテない私……男性は本当に清楚な女性が好き?

現実に生きる女性が、清楚・貞節か奔放・淫乱かの二元論の枠に収まるわけではなく、これらの分類自体が男性社会的なセクシャリティとジェンダーの影響を孕む。『外見・性格・言動の分かりやすさ』と『異性・性愛に対する積極性』から清楚か否かのステレオタイプの印象はあるが、モテるかどうかと直接の因果関係はない。

清楚とは『飾り気がなく清らかなこと』だが、本当の人格・実態・本音は別かもしれないが、外見・言動から『自然な美しさ・清潔感(爽やかさ)・上品さ(丁寧さ)』を感じられる女性を清楚系とするステレオタイプが形成されている。エログロや不潔さ、ドロドロな感情・悪意から遠いイメージは一般的な好感度は高めやすい。

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道徳の教科化と極限状況でも他者を思いやり生き抜く力:センシティブな人の生きづらさと人間の矜持

道徳の教科化は『全体主義・価値の統制』が問題視されやすいが、この記事の内容だと『自他の意見の折り合い(人の意見も聴く)・価値観の多様性』が重視され、内面の安易な数値化も避けられている。

教科化の道徳、数値でなく記述式で評価 専門家会議了承

儒教道徳(身分区別)や天皇制、国民主義、ムラ社会の同調で庶民を従順に洗脳できた時代には戻れない。現代における人の踏み行うべき道としての道徳の中心規範は『他者危害原則』と『共感と協力・話し合いと自他尊重の重視』になってくるが、現代人が道を踏み外す原因となる『孤立・貧窮・怨恨』は10代での実感は難しい。

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人類滅亡の可能性と宇宙・地球の真理に対する人の想像力:本当のところは知りようもない

生命の進化史や恒星の寿命から人類滅亡はいつか起こるが、人の知性は地震・竜巻どころか経済・金融さえ長期予測はできない。『種の寿命』より『個の命』は短く脆い、人類の運命も地球史も誰も確認できないという冷厳な現実がそこにある。

「人類滅亡」は実際に起こる?1割以上が「人類は滅ぶ」

超長期的なスパンで人類や自然や地球の行く末や来し方を、知的な現代人は様々な資料・理論を元にシミュレーションし想像する。地球史は約46億年、人類史は約400万年とか『神の目線・無限の時間軸』で見てきたかのように語れる。だが文字文化で証される知性の歴史は精々3000年…石器時代の人の意識も闇の中なのだ。

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介護殺人の増加と追い詰められる現代日本の老後:尊厳死・安楽死の議論とアンチエイジングな科学技術の夢

高齢者のいる世帯の人数が1~2人が大半を占め、老人の貧困も増加している現状で、『在宅介護・自助努力』は間接的な介護殺人や貧苦の自殺の容認になりかねない。

長年連れ添った夫に「確実に殺してね」と頼む妻 介護疲れがもたらす「介護殺人」増加の深刻さ

世帯の人数の減少と合わせ、現役世代の婚姻率低下や少子化もあり、子・孫世代の経済状況も悪化している事を考えると、政府が方向転換している『在宅介護・家族介護の推奨』は悲劇的な殺人・自殺を増加させる恐れがある。目指すべきは『各人の年金範囲内(高齢者も可能な労務提供)で賄える施設介護システムの整備』だろう。

安楽死・尊厳死の導入の議論もある。『死にたくない意思を持つ高齢者』に対する間接的な圧力・強制の問題はあるが、超高齢化社会では不可逆的に動けなくなったら食べられなくなったら『自然死・寿命死』が迫ったという意識の転換も求められる。科学・医療・福祉の進歩で自然な死の迎え方を忘れたヒトならではの苦悩は深い。

『尊厳死』は近代的な自我意識や自己決定権に基づくもので、回復不能な末期の病状で激しい苦痛がある時、本人の意思を尊重して自死を選択可能にするものだが、『人間の望ましい老い・死に方の難しさ』は周囲の他者にも納得してもらって罪悪感・後悔をできるだけ与えないようにして死ななければならないという事だろう。

安楽死・尊厳死の議論では、本人が承認しても延命努力の放棄は許されないという反対意見もある。その根底には『自然な死』と『人為の死(広義の殺人)』の区別がある。だが医療・福祉が発達した現代人にとって自然な死は過去ほど明瞭な定義ができず、老いて倒れても自然には死なず、助けられ生かされて死期は曖昧となる。

視点を変えれば、悲観的に捉えられる『孤独死』というのは、生命体としての人間個人の生理的限界(動けない・食べられない・意識を失う)を迎えて死んでいく『自然死』に近いかもしれないが、だからといってその自然死が、医療・介護を受けて周囲の人に助けられながら死にゆく人為の死より良いと思わない人も多いだろう。

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