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植松聖被告の相模原殺傷事件と刑法39条・心神喪失の考察、ネット普及で知っている人と知らない人の境界が曖昧になど

○相模原殺傷事件は「今も変わらない障害者抹殺思想」を前提に「凶器・拘束テープの準備」をした上でやまゆり園まで車を運転して大量殺人を実行した。心神喪失の定義は厳格化すべき。

弁護側、無罪主張へ=薬物影響で心神喪失―相模原殺傷、8日初公判・横浜地裁 (時事通信社 – 01月06日 07:30) http://mixi.at/a1Ig45f

心神喪失あるいは責任無能力者で無罪にでき得るケースは、「善悪分別能力の継続的喪失(人を殺してはいけないと分からず、殺人が罰せられるとも知らない)」と「犯行時の行動制御能力の喪失(本人の意志・思想・感情ではなく、てんかん・意識障害のような発作で非目的的に殺してしまった)」のセットに限定すべきだろう。

(他人に無理やり使用されたケースは除き) 覚せい剤や大麻などの薬物の影響下で被害妄想が起こり、人を殺したというケースは心神喪失状態に近くても、刑罰の減免事由にならないという当たり前の法改正を急ぐべきである。現状、精神鑑定をする鑑定医や空虚な長期法廷闘争をする法曹の「お仕事」を作っている面も強い。

相模原殺傷事件の植松聖容疑者に関しては、薬物を使用しなくても「障害者抹殺思想」を持ち、その思想に基づく殺人や政治的虐殺を倫理的に正しいとする自分の価値観を開示し続けている。反社会的な理性・言語・価値観に基づいて「殺しても良い」と判断して計画的に大量殺人の行動をした以上、心神喪失と言えない。

○法曹出身の国会議員に、刑法39条の立法趣旨に疑問を持つ人はいないのか?殺人罪の時効が廃止され犯罪の量刑が変わった前例はあり、刑法改正ができないわけではないが。

熊谷6人殺害 高裁無期判決に遺族不服「真相を知って、考えてほしい」 署名呼びかけへ (毎日新聞 – 12月29日 21:19) http://mixi.at/ajPISxE

国民世論では「大量殺人や無関係な他人への利己的殺人は重度精神病や知的障害、薬物の影響があっても刑罰を少なくとも免除すべきではない」が優勢で、法学的・倫理学的な議論でも心神喪失なら無罪にまですべきが金科玉条徒までは言えないだろう。しかし、自民党も立憲民主も刑法39条改正を公約に上げたことはない。

刑法39条の廃止までいかなくても、心神喪失でも利己的・猟奇的・複数殺人など一定の殺人罪に対しては刑罰を減免しない方向で改正があってもおかしくないが、政党や政治家にほとんど関心や動きが見られないことには何らかの利害関係があるのかも。大陸法の責任能力論は、主体の責任と知性に偏りすぎた哲学の要素がある。

また事件を起こした時間帯だけ、責任能力を完全に喪失する心神喪失状態にあったので無罪が適当で、その後に回復して普通のコミュニケーションや思考ができるようになったというようなケースが生まれないように刑法を再整備すべきだろう。倫理的・論理整合的に現代ではかなり加害者に都合の良い解釈になりすぎる。

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自然保護思想と人間中心主義、春名風花さんのいじめ考察、買春問題と人間社会の倫理の本質、りゅうちぇるのタトゥー問題など

○自然・動植物の側には「自然破壊の観念・景色の美醜判断の感性」や「現状のまま(現在の生態系)が良いの価値判断」は存在しない。自然の価値は人間の心に依存する面は確かにある。

団塊世代の写真愛好家「急増」でトラブルも増加? 山岳写真家が感じるジレンマ http://mixi.at/addpltq

自然の地殻変動・噴火・地震や長期の気候変動、確率論的な隕石衝突は、生態系を劇的に改変させて無数の生物種を絶滅に追いやってきたが、そういった自然による生態系の変化を悪と感じる人はまずいない。反対に、人為・人工物による絶滅や生態系変更、景観の変化を悪と感じる感受性は一般に強いが、その根拠も人為的ではある。

「自然保護・景観保護・絶滅危惧種の保護」も究極には人の倫理観や道徳感情の満足(納得)のためである。「外来生物種による在来種の駆逐」も悪とする価値観は強いが、既存の生態系が未来永劫に続くことが善なのかは本質的には判断ができない。自然選択で解釈できる部分もあり、数千年単位でも自然推移の誤差の範囲だろう。

今生きているある動植物種が絶滅することは悲しいが、近代以前にもさらにいえば人類登場以前にも進化した生物種の99%以上は絶滅して、新たな種が繁栄する前提となって世界から消えていった事実は事実としてある。山・海・川・地形の景観も、数百年単位でさえ開発抜きでも自然な風化で山の形や川の流路は変わってきた。

○「いじめ加害者の告白」春名風花さんと読む……年齢を重ね、学生時代も遠くなり集団生活にコミットしているわけでもないと「いじめの加害・被害のリアリティ」がどうしても落ちてしまう。大人がいじめ問題に干渉しにくい一面でもあるが、当事者には生死に関わる深刻な問題だ。個人主義で飄々とするのは学校では難しいかも。

いじめ原因は大別すれば「承認欲求・序列確認(マウンティング)・優越欲求・虐待型娯楽(スケープゴート)・独善の正義感・異質性排除」になるが、学校や集団で「弱者性・異質と疎隔・愚鈍性」が目立つと標的になりやすい。いじめに縁遠いのは、自分は自分、他人は他人の個人主義で自衛に十分以上の雰囲気を持つ人だろう。

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自宅でBBQはなぜ隣人トラブルを招くのか?、甲子園の土の転売問題、10代少女の援交は何が悪いのか?など

○住宅街でBBQをしていると周辺住民はうるささを我慢している心理になりやすいが、自分が騒いでいると静かに我慢している人への想像力がなくなりトラブルになる事もある。

【どう思う?】「自宅でバーベキュー」はアリ、それともナシ? NG派が多いようですが、中には自宅の庭で楽しんでいる人も…
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夜間は真横の駐車場で小さな声で話していても全部聞こえて、うるさく感じる事もあるのだから、BBQも隣家と数百メートルくらいは離れていないと、夜間は黙っていても迷惑にはなっている。単身高齢者や孤独な心理状態にある人も増えていて、みんなが大勢で騒ぐこともあるからお互い様という意識もなくなっている。

時にBBQにいきなり乗り込んで暴力事件を起こす人もいるが、被害者からするといきなりだが、加害者からすると「いつ終わるかとずっと何時間も我慢していた。終わったと思ったらまだ戻ってきて大笑いが始まった」など切れるポイントはあるが、こまめに注意しているわけでもないので突然おかしな人が攻撃してきた印象になる。

○甲子園の土という思い出より現金は合理主義的な価値観ではあるし、人(球児も)は時が経てば変わるものではある。いつまで土を持つべきか難しい…

甲子園の土、メルカリで続々出品「85回大会で敗退した際に持ち帰った物です」 取引成立も多数「なんだか虚しい」
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色々な思い出のものをいつまでも持ち続けたいかというと、個人的には古くなったり埃に塗れて取っていても仕方がないので断捨離したい。過去の写真や思い出などに感傷的に浸ったり心の支えにしたりするのが好きなパーソナリティーかどうかで、甲子園の土の売買に関する考え方は変わるだろう。モノに念が宿る面はあるが。

最終的には、有形のモノはゴミになってしまうと考えれば虚しいが、ゴミになる前に現金化できるものはしておいたほうがいいという考え方にも一利ある。甲子園出場した時の写真や映像は別にあるのだろうし、時に思い出話で語れば十分でもあり、「甲子園の土という媒介の重み付け」がさほどでもなくなった人もいるだろう。

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中学・高校では「茶髪(髪染め)」を絶対悪と見なしやすいのはなぜなのか?、女性・年下を「お前」と呼ぶことの問題など

○まだこんな馬鹿げた頭髪の指導をやっていたのかとは思うが……髪色・服装を「非行・迷惑行為の象徴」として認識する教師と不良生徒の相互作用は馬鹿げてはいるが、完全にはなくならない認識だろう。

「黒染め強要で不登校」生まれつき茶髪の女子高生が提訴 (朝日新聞デジタル http://mixi.at/agzYSQD 10月28日)

近代日本の学校の原点は、外見上・行動上の生徒の個性をできるだけ消して「画一的な要素」として扱うことで一方的に組織適応させるために規律訓練することにあった。「同じ服装・同じ髪型をさせられることによる服従性の高まり(自己主張性の弱まり)」があるので、学校側は生徒の反抗を防いで扱いやすくはなるのだろう。

近代の学校システムは緩やかに個性尊重や能力開発の方向に変わってきた学校もあるが、学校制度の基盤には「規則(ルール)や権威への無条件の従属性」がやはり残っている。「なぜそれをしてはいけないのかの理由の追求」よりも「とにかくみんなで決まりを守って、上位者に言われたことに従うこと」が求められるものである。

無論、大人になって現実社会に出て働き出してからも「個性の発揮・自由なアイデアだけで稼いで生きていける人(場の秩序感覚に無理に従わずに勝手にやっても稼げる人)」は全体ではかなりの少数派で、大多数は「理不尽な組織の規則(ルール)」や「権威的・形式的な上下関係」に何とか適応しなければ生きづらくなる。

その意味で、「この学校では黒髪以外の髪色は認められません・なぜなら日本人の大多数の地毛は黒いからです(例外的な人は染めて合わせて下さい)」という融通の効かない差別的・形式的なルールも、それが現行法や組織の慣習法の擬制ならば、似たおかしな規則・慣習に無意識に従って丸く収める大人はやはり多いだろう。

学校側は、地毛が金髪でも無理やり黒色に染めさせると強弁しているが、白人の自己主張と知的レベル(法的対抗手段を理解する)の高い家族の金髪の娘が通学していて、その白人の少女の金髪を黒色に染めさせるかといったら染めさせないだろうし、強行すれば人種差別問題として非難される。黒人の天然パーマも同様である。

日本の学校社会における人種的・文化的なダイバーシティへの適応は前時代的に遅れているが、現代においてなお、日本人はみんな黒髪・黒い瞳・直毛であるべきだという「単一民族国家の外見均質化の幻想」が学校の中で崩れていないというのは、現状では白人・黒人・ハーフの外国人子弟があまり学校に入ってきていない現れでもある。

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「人間関係リセット癖」の増加と人間関係を維持する難しさ、 人を見かけで判断してはいけないのか?

○人間関係にもエントロピー増大則は働き自然に何もしなければ疎遠・希薄になる。リアルでもウェブでも能動的にリセットする事はないが。

人間関係リセット癖のある人々 「LINEのアカウントを何回も消した」「ある日突然全てが煩わしくなってシャットアウトする」 (キャリコネ)

リアルでもウェブでも自分からリセットすることはなく、登録した電話番号なども過去から全部そのまま放置しているが、わざわざリセットしなくても自分から連絡しなければ(何回か返信・折り返しもしなければ)、よほど親しいか長期の関係にある相手を除き、9割方は自然消滅する。学生で毎日顔を合わせる友達はまた別かも。

SNSというかmixiのメリットは、「来るもの拒まず、去るもの追わず」が気楽に実践できることで、「自分が発信したい情報・主張・解釈」をアップしながらマイペースでやり取りできることだろう。別にリセットしなくても、ログインしなくなる人・やり取りがなくなる人も多く、反応があれば返すスタイルが気楽である。

リアルの固定的・長期的な人間関係というのは、人によっては「人生の思い出・心の支え」にもなるし「合わせるのが面倒・マンネリ化して出向くのが手間」にもなり得るので、一概にこうするのが正解というのはない。学生時代から老年期までずっと続く固定の友人関係などは凄いと思うが、人付き合いを優先しないと続かない。

各年齢段階におけるコミュニティーへの帰属感・仲間意識の強さ、昔の出来事・人間関係を懐かしく思い出す郷愁の強弱でも変わるが、「決まった相手と定期的に会い続ける」というのは意外に大変なもので、仕事とか結婚・家族とかの強制力(生きるための必要性)がないと、人は同じ場所・関係に留まりにくい性質もあるかも。

家族・親族も「同居の必要性」がなくなれば疎遠になり何年間も会っていない親子もいるわけで、夫婦・男女も「同居・育児・相互扶助・老後保障など絶対的必要性」がなくなり、別居して本人の自由意思だけで会うか決めるとなれば、長期では疎遠になるだろう。自由意思のみの友達関係が疎遠になりやすい理由でもある。

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相手を不快にさせずに断ることの難しさ:特に男女関係ありきの誘いは断れば相手は傷つくか不快になりやすい

一方的な借金や労力の要求なら断るのは簡単だが、「相手の好意・善意」があって自分の気持ち・都合だけで断る時は何らかの精神的抵抗や申し訳なさは生じる。OKしたり断ったりなら関係は崩れないが、食事の誘いもずっと延々断るなら崩れる。
相手を不快にさせない!上手な断り方3つのポイント

いくら毎日忙しいといっても、近場にいて行こうとする気持ちがあれば、食事やコンサート、映画などに、半年以上も絶対いけない(1日も半日程度の自由がない)理由は殆どないはずだから、「自分の気持ち・都合以外の理由づけ」は難しくなる。相手を不快にさせないというより、早く断るは心理的負荷を下げる断り方だろう。

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