DVは初期対応を誤るとエスカレートしやすく別れにくくなる。一回でも殴られたら別れた方が良いが、DV加害者は暴力的支配・謝罪や甘えの懐柔を受け入れる型の『DV被害者』を見抜いて関係を深めるので難しい。
<大阪女性殺害>「50回以上殴った」逮捕の男供述 (毎日新聞 – 08月12日)
DV加害者には『倦怠期・自由放任』が余りない執着や束縛の強さの特徴があるが、共依存になりやすい孤独感の強い女性にはその重さやしつこさが順調な時には『一途な愛情と安心・裏切らない誠実さ』と受け取られる事がある。いったん恋愛・婚姻で深い関係が築かれると、愛情よりも執着・管理・支配の悪い面がでてきやすい。
DV加害者は『自分は悪くない・相手が悪いの前提』で(これだけ好きなのだから)『相手は自分に無償の愛情を注ぎ続けて当たり前』と考える。擬似的な母子関係を再現するような非現実的なものだ。大人になって泣いたり暴れたりすれば欲求不満をすぐよしよし解消してくれる母の役割は誰にも果たせないから激しい暴力になる。
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閉鎖的な家庭内(個人事業内)の支配関係が監禁・金目当ての殺人まで発展した事件。閉鎖環境で誰も意見できない権力者を容認するとその人物は概ね腐敗して構成員を虐待・酷使する暴君になりやすい。
「ジャイアンがママでスネ夫がパパ」 被告の長女が説明
『家庭・学校・小事業・寮生活(警察・軍隊)』では、外部と区切られた閉鎖集団内だけで大きな権力と発言力を握る人物がでて、権力を悪用して『DV・いじめ・監禁・恐喝や強要など犯罪』を行う事がある。第三者が介入しづらく外部の常識や情報が遮断される事で、『内部だけの異常な価値観・習慣・暴力』で洗脳されやすい。
筑後のリサイクル会社の事件は、夫婦が知り合うきっかけは風俗業だったようだが、夫が頭を下げて結婚してほしいと頼み込み言いなりになった事から、当初からサディスティックな妻の優位性が確立したとされる。個人事業が上手くいかず、住み込みの従業員をストレス解消の道具にして罵倒・虐待、最後は保険金をかけ殺害した。
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バーチャルリアリティ(VR)がアダルトに応用される展示会に応募者殺到で入場制限というニュースは苦笑を誘うが、脳に『現実感覚』を錯誤させる仮想現実の技術が究極的に進化した先で、『ネット(ゲーム)依存症・ドラッグ』を超える『リアルからの退却(ストレスフルなリアル滞在時間の減少)』が社会問題になりそうだ。
VRが究極に進歩した未来を描いた映画『マトリックス』では、エージェントが『こちらに留まれば思い通りの仕事も豪華な食事も最高の女(男)も思いのままなのに、お前は貧しくみすぼらしいあちらに戻って何がやりたいんだ』と誘惑しスキンヘッドが裏切る。薬物・不倫・心中もあちらの誘惑に屈しやすい退却的世相の反映か。
『こちらとあちら』という二項対立概念は非常にメタフォリカルで誘惑的なものであり、リアルとバーチャルといっても良いし、物理世界と精神世界でもあり、仏教の此岸(この世)と彼岸(あの世)に遡ることもできる。世俗と神聖(宗教・神)さえ、太古から人間が頭の中で思い描いてきたアナログなVRによる心の救済だった。
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『会話をする意欲(相手に合わせる意志)』と『物事に対する興味関心の広さ・深さ』で会話の上手さは随分変わるが、人の好き嫌いが激しくて興味・行動の範囲が狭い人は一般にコミュニケーション能力は低くならざるを得ない。
あなたは大丈夫? 会話のキャッチボールが続かないタイプの人 (06月24日)
コミュニケーションが下手というか話して面白くない人というのは無関心・無気力・非共感的・無表情な人だろう。『新しい人やモノを知ろうとしない・相手が何を話せば喜ぶかイメージできない・相手の価値観や生き方を否定する・関連情報への広がりがない』等の問題を自覚しそこを変えていけば会話は自ずから弾むようになる。
『このまえ新しくテレビ買ってさ』と話しかけられた時に下手な受け方は『テレビ自体への無関心の表明(自分はテレビは見ないので必要ない・テレビは捨てた・テレビの時代は終わったなど)』だろう。普通は『どのメーカーか?サイズや画質はどうか?どんな番組を見るか?』等の質問をして、時に自分の意見を挟めば良い。
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現代を生きる大勢の人々は『幸福追求』に呪縛されていて、憲法までも『幸福追求権』を人権の一部として追認している。
幸福というのは蜃気楼に浮かぶ砂上の楼閣のようなもので、自分は幸せだなと実感した日の翌日になれば、また何となく冴えないつまらない毎日だなと思ったりもする。幸福は自分の置かれた状況や関係によって現れたり消えたりを繰り返す、幸せはずっと自分の元に置いて留めておくことが難しいものである。
マツコ「全然幸せになんねぇ」、お金稼いでも結局は「キレイなほうが得」。
ある年齢の時に幸せだと思った状況が、別の年齢の時にはそうは思えなくもなるという『幸福の条件の流動性』もある。『自分が最高の幸せの条件』と思っていたモノや相手、環境を手に入れても、それがどのくらい持続するかははなはだ心もとないものである。
『幸せといえば幸せといえる状況・瞬間・能力』を多くの人は何かしら小さなものでも持っているのだが、現代の資本主義の競争社会では『自分や周囲の何人かだけにしか通用しないような幸せ・楽しみ・満足』は軽視されやすい。
SNSの知り合いの投稿やニュースの世間一般の動向を見ていると『自分よりも幸せそうな人生や面白そうな日常を送っている大勢の他者』が目について、自分だけが恵まれない不遇をかこって、面白くもない日常を送っているのではないかという劣等感・焦燥感も生じやすいだろう。
現代では自分だけにしか通用しない自己満足的な幸せは軽視されやすいが、安定した幸せや安らぎを得る決め手になる思考・感覚のヒントは、実は『他人が自分の幸せのレベルをどう評価してくれるか』よりも『自分の世界観・行動方針・好奇心(探究心)の魅力』を高められるかの側にあることが多い。
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喜怒哀楽の感情や人間関係・社会生活も軽視できないが、個人的には人に固有の知性や自我を活かして世界・社会がどのように推移していくかを観察しながら意味・価値を解釈して実践する事(常に落ち着いた思索・行為が可能なスタンスを維持するのも大変だが)が面白い。
人は何のために生きるのか(05月28日)
日常的には『人間関係・社会生活・仕事や経済・愛情や信頼・娯楽や遊び』などで達成感や満足感を感じる為に生き、それらが上手くいかなくて追い詰めらると人は『生きる意味がなくなった』と感じやすい。究極的には状況反応的な感覚・感情(自分)を超えた普遍・観察・洞察など『何か確実なものを知る為に生きる』側面も強い。
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