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75歳父親を蹴り殺した42歳息子。現代で仲の悪い老親と同居する難しさ, 若者の“中二病離れ”について雑感

○どんな親でも子は孝行すべきの儒教道徳の時代ならばともかく、現代は「親を尊敬か軽蔑か・親に感謝か憎悪かの成育歴の違い」でその人が想定する親子のイメージが180度違い、相互理解もかなり難しい。

75歳父を数十回蹴って殺した疑い、同居の42歳逮捕 (http://mixi.at/aeVDMvS)

子に責任を多く求める人もいれば、親に責任を多く求める人もいるが、「数十年以上に及ぶ親子関係の内容」や「親の子に対する育て方や干渉の仕方・子の親に対する接し方や価値観」などが分からないと、殺人自体は犯罪の悪事であるが、責任配分や善悪の程度を含めて一方だけを責めても実態と食い違っていることは多いだろう。

そもそも、男同士は親子であれ兄弟であれ親友であれ、「密着的な同居(生活空間の共有)をするとトラブルが多い傾向」を理解しておいたほうがいいかもしれない。男の同居のストレスは、遺伝的・進化的な原因もある。ゲイの人など個人差はあるが、単純に「縄張り意識・主導権争い・力での抑圧」になりやすいのだろう。

中年以上の兄弟の同居も、収入の格差や就労状況などによって、お互いのプライドを傷つけ合う非常に激しい喧嘩は珍しくないようだが、男同士が嫌々ながらも同居する状況というのは、端的に「お金がなくて同居せざるを得ない・仕方なしに一緒にいる」が多いので余計にちょっとした生活態度の不快感などでトラブルを誘発する。

殺人まで発展したこの父子関係でも、ここに温和な調停役のお母さんなりお姉さんなりがいて、介護的な役割を代理していたならば、この40代の息子も「まあまあ、ここは私たちに任せて」とでも言われて、殺人に至るまで蹴り続けなかったかもしれない。男所帯は貧困になって追い詰められれば、暴力の支配が前面にでやすい。

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晩産化による育児と介護のダブルケアの問題:長寿化の介護問題・人の世話をできる人の減少

育児と介護のダブルケアの原因の一つは確かに晩婚化・晩産化だが、戦前戦後までの日本人の平均寿命は60歳前後で55歳退職でも余命が5歳前後しかなかったので『長期介護の問題』が発生しづらかった。

<晩産女性>親の介護と育児同時に 40~50代3人に1人

現代人は健康寿命も延びて65~70歳頃までは自立的生活が可能な人が過半だが、それでも70代以上になると『健康ではない医療・介護が必要な余命』が10年以上は残ることが多く、家族のマンパワーか施設介護の経済負担かのどちらかが必要になる。現代人から『自然な死』が失われ、救命後の延命治療の問題もある。

現代の核家族・サラリーマン世帯では特に『ダブルケア』はじめ『自立できない他人を物理的に世話する余力・心理状態』が乏しくなりやすい。過去の大家族のように余剰人員のバッファがないので『自分一人であれもこれもの負担・責任』は大きくなる。一人でなくても配偶者が手伝うくらいで、人員も時間も不足しがち。

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40代男性が介護していた知人男性(60代)に熱湯をかけて死なせた事件:素人・個人が単独で介護するのは困難である

長期間親密な親友であれば介護も可能かもしれないが、知人レベルの他人では無理だろう。『親族の情緒・恩義の結びつき』か『職業的な職務意識・勤務時間・役割分担に基づく責任感』がないと難しい。

熱湯かけ知人を死なせた疑い 男を逮捕 「失禁に立腹」

自立能力のなくなってきた人一人を長期間世話して面倒を見るのは本当に大変なことで、特に自意識や潔癖症、他者への無関心が強まっている現代人には相当難しい。成長して未来のある我が子(赤ちゃん)にだってストレスを溜め込んだりすることは多い。過去に恩義も好意もたいして感じてない高齢者の介護なら尚更に。

人間の尊厳を守りながら相手を献身的に世話するのが真の『介護』かもしれないが、介護する高齢者は認知症の知能・記憶の低下や生活技能の低下、排泄物の垂れ流し(不潔行為等)でその尊厳を自ら捨てるような行動・外見を示す。仕事のように決まった時間の世話でなく、共同生活する形の長期介護は家族でも困難になりやすい。

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特別養護老人ホームの待機者が36.6万人に減少したというが、施設介護の希望者は増え続けている

在宅介護の限界で心中・殺人事件も多く起こっているが、特別養護老人ホームの入所要件を厳しくして見かけの待機者数を減らしても、介護・認知症・貧困・家族疲弊など問題の本質は何ら解決しない。

特養待機者36.6万人に減少 入居要件厳格化が影響か

平均寿命の長期化と家族世帯の人数減少・配偶者(子)の高齢化によって、病気・衰弱・認知症などがありながらも長生きする一人の人間を最期まで介護し面倒を見続けることが、平均的な個人では極めて困難になっている。10年以上献身的に介護しても高齢・病気等で弱れば自分が犯罪者になるリスクまで出てきている。

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仏教の存在論と竜樹(ナーガールジュナ), 介護福祉士の養成学校の入学希望者が大幅に減少

○仏教の存在論は『アビダルマ(上座部の有部)』と『唯識・中観(大乗)』に分けられる。アビダルマは『思惟』を、唯識は『知覚』を『モノの本体』として『モノの実在』を考える。哲学史の『主客論争』に似る。モノに実在なしとする諸法無我は、『知覚するモノは無常・思惟するモノは知覚できない』で論証される法印である。

唯識の祖である竜樹(ナーガールジュナ)は特に、人間の頭(意識)の中のみにある知覚対象を持たない思惟の世界を『非実在』として『思惟=頭の中の意識による構想=非実在の虚構(モノは現象として過ぎ去る』とした。一般常識では、他者と共同で知覚されたものは『モノの実在・事実の確認』とされるが仏教は唯心論に近い。

仏教は一神教のような神を持たないとされるが、諸行無常・諸法無我・一切皆苦・涅槃寂静など『超越論的な世界・人間のメタ観察者の視点(四法印認知の視点)』そのものが『神の視座(無常な実在なきモノの生死・流転をただ現象面の様態変化としてフラットに見続ける非人格的視座)』として仮定されているように思われる。

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障害者虐待が最多の3154人で、施設職員被害が増加:なぜ感情労働の介護・福祉の仕事は虐待が発生しやすいのか?

子供(乳幼児)の面倒を見ることさえ大変なように、『意思疎通・知的能力・身体能力』に大きな問題を抱えている他人の世話をしてケアをする仕事は、忍耐・奉仕が前提のストレスの大きな感情労働になりやすい。

<障害者虐待>最多3154人、施設職員被害が増加

障害者虐待を防止するためには『資質と意欲のある職員を採用して教育すること』『職員の給与や待遇を上げること』『職場の良好な人間関係とオープンな意思疎通を保つこと』『職員の悩みや不満を相談できる場所を作ること』などがポイントになるが、障害者施設の慢性的な人材不足・教育研修の不足・財政難が根底にある。

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