スターバックスが、首都圏や大阪、名古屋など国内48店限定で、コーヒー1杯1998円(一部店舗では1782円)で販売するという。豆売りは1袋250グラムで1万800円という価格の高さだが、1600袋しか仕入れをしないのであれば、売上1000億円(営業利益100億円)を超えるスタバにとって『直接儲けるための商品』ではないと言えるだろう。
スタバはテレビや新聞・雑誌に大口CMを打たない企業で、その広告戦略について書かれた書籍も販売されているが、逆にマスメディアのほうから擦り寄ってきて代わりに宣伝・広告(新商品の紹介)をしてくれるという『最強のマーケティング(記事にしてもらえる新商品づくり・話題づくり)』を循環させている。
スタバ史上最も高いコーヒー 1杯1998円
なぜスタバが他のカフェチェーンと比較して抜きん出た人気があるのか、行列ができるような店舗が少なからずあるのかの理由は、『客観的なコーヒーやドリンクの味の質』だけでは説明ができず、『ライフスタイル提唱や流行喚起の店舗設計・スタバのブランディングと利用客増加の口コミ(誘いかけ)・アメリカのシアトルコーヒー文化(商品+時間・空間を売る文化)』などの複合的効果が働いている。
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昨日は後場の市場をリアルタイムで概観してみた。アベノミクスの金融緩和・企業優遇策の恩恵を受けて、日経平均株価は15600円台まで上げてきたが、25日に話題性のある株(仕手筋の絡む異常な値動きの株)がストップ高を連発し過ぎた反動もあり、26日は利益確定と調整局面、地政学的リスク、欧州経済の弱さなどもあり、92円も大きく下げて地合いは急に悪化した。
日経225をはじめ、大半の株も終値は下げたはずだが、マネーゲームに参加する機関投資家が出来高の多い話題株の『空売り』を連発、前日まで一直線に10日以上にわたって終わらないストップ高を繰り返していたディジタルメディアプロフェッショナル(DMP)が高値9180円をマークした後、一気に6180円のストップ安まで暴落した。似たような値下がりを知らなかった投機株のモルフォも、7210円から6180円まで初めて大きく下げた。
数十分で単位株(100株)で10万円が儲かる株、何回もストップ高で回転させられるプラチナチケット株として、DMPは投機対象になって異常に楽観視されていたが、赤字企業であるため実際の買い材料は『新商品(世界最薄とされるチップ)が世界的に普及する可能性』だけである。売上5億もない利益がない会社が、時価総額200億円近いというのは過大評価に過ぎると思うが、『DMPの新商品がソニーやGoogleの商品に採用されるか買収される可能性』が高値を支えている。
個人投資家で数百万円以上を投資して、数千万円の含み益を得ていた人は昨日までは多かったはずである。正常な神経の人はこんな仕手株を上がりだしてから買おうとは思わないものだが、株価が数百円で誰も見向きもしなかった時に仕込んでいた人であれば凄い含み益になっているだろう。
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ピーター・ドラッカーというと『マネジメントの創始者・実践的な経営学や組織論』というイメージが強いが、個人レベルの時間管理術やワークスタイルでは『選択と集中・強み(得意)への集中投資』を主張した。
時間と労力の有限性を前提として、『苦手なこと・嫌いなことを克服するための労力』よりも『得意なこと・好きなことを練磨するための労力』のほうに時間を費やすほうが、『単位時間あたりの成果・結果』は格段に大きくなるということを強調した。SWOT分析の原型めいた考え方である。
それは苦手なことや嫌いなことを克服する場合には、その成果が『人並みになること(平均に何とか追いつくこと)』に留まりやすいのに対して、得意なことや好きなことを練磨する場合は、『人並み以上になること(大半の人ができない水準に至ること)』になるからでもある。
最も問題なのは、嫌々ながら不平不満を持ちながら仕事や勉強をすることは、結果のパフォーマンスを落とすだけではなく、致命的なミスや他人に対する危害にまで発展する恐れがあるということである。好きか嫌いかという以上に『自発的にやり甲斐・面白さを見つけられるセンス』が大切になってくるが、『自分が好きと思える集中できる要素+誰か・何かの役に立って貢献できているという感覚』がなければ仕事も勉強も上手くいかないし、人生全体も苦行めいたものになりやすい。
義務教育段階では五教科の平均を均しながら高めるような方法が重視されやすいが、人生全般における時間・労力の使い方では『自分が自発的に努力できる結果もだせそうな領域・活動』に集中投資したほうが得られるものは多くなりやすい。働くことや学ぶことが苦痛・義務ばかりになればいずれはその活動から遠ざかりやすいが、そこに楽しみ・充実・承認などを感じられれば、今やっている仕事・学びをもっと高めて極めたいとするモチベーションにもなる。
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『自分の好きなこと・得意なこと』を極めて仕事にできている人は幸運であるが、そんな人でも好きなことを仕事にしてしまうと趣味の楽しみ(仕事の後の楽しみ)が奪われるようでつらいと不満を漏らすこともある。
顧客の個人なり会社なりに『対価』を貰って仕事をするということは、『自分の仕事の価値・作り上げたもの』がその対価に見合うものかどうかある程度の厳しさで査定されるというストレスと緊張感を伴う。
“やる気”が出ない原因は?
プロフェッショナルとアマチュアの違いは『対価を受け取る代わりの責任・緊張』を引き受けるか否かにあり、いくらプロレベルであっても『私は代金は頂きませんので・ボランティアでやらせて貰いますので』というスタンスならアマチュアとしての気楽さ・自由さ(無料だからこそ仕事の出来栄えにあれこれ言われない留保)を選んでいるということになるだろう。
十分に市場で通用するだけの高度な技術や知識、実力を持っている人であっても、『仕事・プロフェッショナルの立場・有料』でするのと『趣味・ボランティア(アマチュアの立場)・無料』でするのとでは自ずから心持ち・責任感が異なってくる。
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ホワイトカラー・エグゼンプションの焼き直しのような法案は『労働時間と仕事の成果が連動しづらい知識労働・管理職・専門職』なら採用する余地があるが、作業量・滞在時間が仕事の成果と相関する多くの仕事には応用しづらい。
「残業代ゼロ」許さず=共産委員長
今まで働けば働くほど残業代が積み増しされていたのに、その残業代が支払われなくなる制度だと聞くと、企業が『労働者の時間・労力』を搾取する結果になりそうな不安に襲われるが、仕事をする時間よりもアイデアを考えたり結果を出したりすることが重要な『頭脳労働・管理労働(一定以上の固定給があるという前提)』であれば、裁量労働が可能な範囲で残業代を支払わないのもアリではないかと思う。
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現在よりも喫煙率が高くて職場の禁煙・分煙も不徹底だった1990年代頃までは、『職場の管理者・上司』が喫煙者であることが多かったこともあって、“タバコ休憩の持ち回り”は暗黙の了解のようなものでもあった。
喫煙者と非喫煙者との間で『休憩を取る頻度』に差があるのは不公平ではないかという意見もあるが、喫煙率が高かった当時でも『喫煙者だけの休憩』というわけではなく、非喫煙者であっても“順番の持ち回り”で(お茶を飲んだり雑談をしたりで)5分程度の休憩を取っていることが多かったのではないかと思う。
「ちょっとタバコ吸ってきます」 喫煙休憩は「労働者の権利」として認められるか?
各種の店舗などでの現場仕事であれば、『忙しい時間帯』と『暇な時間帯』の落差があるので、暇な時間で人員が余っている時には順番で休憩に入っていたりもしたが、2000年代からは徹底した人員削減の合理化で暇な時間帯には『一人体制(担当時間は休憩に原則入れない体制)』も多くなったので、そういった短時間休憩(これをいわゆるタバコ休憩ということが多かった)の持ち回りのような慣習も廃れていったのだろう。
状況や進捗を見ながら短時間休憩(タバコ休憩)を取れる環境・管理体制であるか否か、勤務時間内での喫煙が明確に禁止されている会社(組織)なのかどうかが関係してくるが、勤務時間内には『仕事以外の一切の行為』をしてはいけないというレベルの厳しい管理体制にある会社・職種であれば、タバコ休憩は労働者の権利でもなければ従業員が交代で取れる休憩でもないということになる。
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