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道徳教科書検定でパン屋を和菓子屋に変更した問題:伝統文化の尊重や郷土・国を愛する態度の本質を考えたい

和菓子が『伝統文化の尊重』、パンが『舶来の欧米文化による感化』とするような道徳教育の指導要領の解釈は小手先かつ時代錯誤に過ぎないが、現代人の道徳の中核にあるべきは『自分以外の他者の人権の尊重』だろう。

<道徳教科書検定>「パン屋」怒り収まらず

人として踏み行うべき道徳教育と戦前的な国民教育の混同によって起こったアドホックな『パン屋・和菓子問題』だが、考えるべきは『パンを食べる人は日本文化を尊重してない』というような表層的な善悪(仲間と敵)の判断・決めつけをしてはいけないということである。他者の気持ちや人格の傷つきを想像して行動できるか。

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教育勅語の教材使用は何が問題になるのか?:儒教道徳は君臣秩序・滅私奉公が中心で『他者の心』にはあまり配慮しない

教育勅語は儒教道徳がベースで『君臣秩序・ご恩と奉公(命を捧げるお上への恩返し)・上下関係の教条化』など現代の憲法とそぐわない部分もあり、家族・友と仲良くは敢えて教育勅語でなくとも良い。

教育勅語の教材使用「積極的に活用する考えはない」菅氏

教育勅語の問題は、人は平等ではない、本人の行動に責任がなくても『滅私奉公・服従や遵守』というような一方的ロジックが多いことだろう。例えば、親孝行・先祖崇拝は儒教では絶対原理だが、『打たれても親の杖』のように殴られたり虐待されても親は親だから敬って孝行しなければなりませんといった教条主義の類が多い。

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動物園の人気者の動物が減少、新たな希少動物の輸入は難しく:ワシントン条約と野生動物(絶滅危惧種)・生物多様性の保護と人間

野生動植物の輸出入を禁ずるワシントン条約が決定打となり、珍しい動物を見たいニーズを優先して運営できた時代は終わった。動物園・水族館は『施設・自国に今いない動物種』の再輸入は困難である。

動物園の人気者が急減中 輸入厳しく「種の保存」必要に

中国のパンダ外交のように、野生動物が生息する主権国が輸出販売ではなく友好・好意・政治的意図から譲渡・貸与する方法は残るが、パンダ・ゾウ・キリン・コアラ・ホッキョクグマ・ラッコなどの希少動物を現時点から日本国内で大幅に個体数を増加させることは著しく困難か不可能で、また現代での動物園需要も大きくない。

施設内の交配促進によって、『希少動物の種の保存・個体数の維持増加』を図ることも動物園・水族館の目的であるが、自然環境下より妊娠率が低くなったり(交配自体行わない雌雄も多く)赤ちゃんの育児放棄のリスクもある。野生動物が棲息するアフリカやアジアでも乱獲・開発によって大型の希少動物は個体数を減らしている。

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生命(個体)の継続を否定する『反出生主義』にどう反論できるか?、出産・人類の継続を理性・理屈で論理的に肯定できるか?

現代の先進国の少子化原因(選択的な出産回避)、自己否定的な悲観主義の一つとして、『虚無主義・優生思想』とも関係したデイヴィッド・ベネターらの『反出生主義(antinatalism)』が挙げられることがある。

http://0dt.org/vhem/argue.html

http://chaos2ch.com/archives/4750759.html

反出生主義とは『人生は快より苦が多く生まれてこなければ良かった・生まれなければ何も思い煩う主体がそもそもない』という通俗的な悲観主義・虚無的な厭世感を、『帰結主義・功利主義・確率的な不遇や絶望』から理論化した思想だが、この人間存在(生の意味)の否定の思想を『感情・常識』ではなく『理性・ロジック』で否定することができるかを少し考えてみたい。

反出生主義は『最後はみんな病気・老化・事件事故・自殺などで死んで連続的な意識・記憶は何も残らないという帰結主義』や『人生には確かに快(良いこと)もあるが初めから苦痛(悪いこと)や悪意・死を感じる主体が生み出されないことのほうが全体の不幸が減るという功利主義』から、自分以後の誕生・生命を否定的に見る思想である。

デイヴィッド・ベネターは人の人生に『快・喜びが存在すること』には確かにプラスの価値があるが、人間の存在・意識が初めからなければ『快・喜びが存在しなくても(不幸・無意味にならないために必死になり、快・喜び・意味を感じるための努力や解釈がなくても)別に構わない』だろうと語る。それはそうだ、人間が誰もいない世界では快・喜びを感じる主体、そのために努力や競争をする主体がいないのだからという当たり前の話ではある。

そして、人間の存在・意識がある以上は誰かの『苦痛・悪意・絶望などが存在すること』は絶対に避けられないとして、そういったマイナスの境遇や認識・価値観が一定ラインを超えると(せっかく生み出すことに意味があると信じて生み出されたのに)『生まれてこなければ良かった(初めから自我・知覚がなければ何も感じず何もない状態が続いた)』という反出生主義に転換して苦しんだり死んでしまうこと(誰かを傷つけてしまうこと)さえあるのだという。

さまざまな条件を背負った人間が次々に生まれる以上は、確率的に誰かが不幸・貧苦になったり差別・迫害・侮辱を受けたり、重い病気になったり自殺したり犯罪者(テロリスト)になったり冷酷な独裁者になったりする。初めから誰も生み出されなければそれらの人間の存在・意識にまつわる問題や不平不満のすべてが解決されるというのが反出生主義だが、それはそうだろうとしか言いようがないといえば言いようがない思想である。

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エマ・ワトソンの胸露出写真が気に入らないフェミニストとフェミニズムが目指すもの:『見られる客体としての女性』をどう考えるか

女性解放・女権拡張のフェミニズムは『女性の個人化・自己決定権の強化』として機能したが、『女性の平等化・女性の客体化(見られて評価される美)の否定』についてフェミニスト間の価値観・目標の対立もあるのだろう。

胸露出写真はフェミニズムに反さず、女優E・ワトソンが批判一蹴

エマ・ワトソンの胸露出写真が気に入らないフェミニストは、容姿・性的身体によって評価される『女性を見られる客体にする社会構造(財力ある男性のまなざし)』が男権的な女性のモノ化につながると解釈するのだろう。男女の一般的な差異として『身体・性の価値』があり、男女平等に至らない主因の一つではあるだろうが。

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日本の会社・団体で『内部告発』するとなぜ居場所がなくなるのか?

日本は正社員の身分が解雇規制等で守られる一方、『内部告発すれば勤め先にいられない・裏切り者扱いで総スカンを食らう』になりやすく、『客観的な正義』と『身内仲間・組織を守る道義』が対立する。

<障害者施設>元職員の女性「虐待告発したら報復でうつ病」

日本の会社組織をはじめとする勤め先は『内と外の論理』が厳格だった。『今のネット社会・非正規雇用の状況変化』があってはじめて会社内部の非常識・虐待・違法行為が明るみに出やすくなったが、かつての企業戦士は『会社・身内が絶対(自分の身分と食い扶持の保持)=法律や常識は二の次の治外法権』の意識に近かった。

日本の国・政府もまた経団連寄りの『経済至上主義(ブラック企業容認・人材の効率的活用)』を長年続けてきて、労働基準法も空文化されやすかった。近年話題になりやすくなっている『障害者施設の虐待問題』も経済至上主義・会社絶対の時代には見えにくかった(大衆の興味から外れてきた)近代日本が隠蔽してきた部分だろう。

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