専門家の裁判官の判決は、正義感や社会常識(市民感覚)を交えない『判例主義』に過ぎるとして批判の矢面に立たされてきたが、その批判の多くは被害者救済の道が原理的に閉ざされた殺人罪などに対する『判決の甘さ』に寄せられていた。
<裁判員>「心に負担」ずっと 経験者7割超に「あった」
『過去の判例・量刑基準』と照らし合わせて、理不尽な殺人であっても『死刑判決』を容易には出さない半ば機械的な裁判官の判決は、『心理的負担の緩和(裁判官の個人的な裁量だけで量刑の重さを判断しているわけではない)』という副次的効果を生み出していた面もある。
被告の人生(生命)を大きく左右する判決を、十分な学習・訓練の機会のない法律の素人である裁判員が話し合いを通して決めるというプロセスはかなりのストレスや重圧感を伴うものになる。
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『司法取引』は、犯罪者にしか知り得ない情報を引き出す為に有効な場面はあるが、『情報の信憑性』と『犯罪者への便宜・減刑に対する反発』の壁がある。罪の減免で、犯罪者を犯罪防止・組織犯罪対策・真相解明に活用する発想。
「司法取引」導入の狙いと問題点
日本では司法取引も潜入捜査も(囮捜査の一部は最高裁判決で認められているが)認められていないが、組織犯罪の内部情報を取ったり末端の犯罪者(構成員)を出頭に向ける役割は、『警察‐ヤクザの癒着的なつながり』が代替してきた過去の歴史もある。警察‐ヤクザのなあなあな関係は、中心を温存して(裏社会を必要悪として)末端を処罰する循環構造ではあるが。
日本では犯罪や犯罪者のグループ化を根本から断つというのは不可能だという認識もあるが、昭和期までのヤクザが『社会の必要悪(反社会分子の統制)・暴力で義理を通す任侠道(極道映画のピカレスクロマン)』の文脈で語られていた影響もあるか。少なくとも、手段を選ばず壊滅させるべき対象には位置づけられていなかった。
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