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結婚相手の女性の『顔』と『料理』のどちらを重視するか?:ジェンダーと家庭観・家族重視と快楽傾向

食事を『愛情の代替』と受け止める男は、身の回りの世話やメンタルケアを強く求めやすいが、家庭的価値観には合致しやすいとも思う。

『料理=女性・仕事=男性』というジェンダーの枠組みに適応しているということでもあるが、そういったジェンダーの役割分担の決め付けが苦手な女性(フラットな男女平等を求める女性)にとっては『妻の食事を重視する男性』との結婚生活は難しいだろう。

男のホンネ! 「顔はタイプだけどご飯がまずい嫁」と「顔はタイプじゃないけどご飯はおいしい嫁」どっちがいい?

食事は自分で作っても外食でも弁当でもいい、自分で節食・栄養バランス・運動ができて料理と愛情表現を結び付けない男は、『あれこれの妻への要求の度合い』は低いが、結婚生活の幸せ度も食事重視派より劣る可能性もある。『顔・身体・性的魅力の重視』も、妻を見せびらかしたい見栄張りかセックスに囚われた快楽主義で、堅実・誠実な結婚との相性の悪さもあると思う。

結婚とは『永続的かつ排他的な家族(夫婦)の愛情互恵関係の法的承認』という理想、『仕事・家事・育児・性的要素の役割分担』という現実とのバランスもある。後者の役割分担や損得を過度に意識して、『お互いの義務・監視』の度合いが上がれば家庭の居心地の良さも落ちてしまう。

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男性の好きな女性の体型(スタイル)を類型化してみた:ナチュラルとグラマラスとストイック

『適度に節制のある生活で作られた健康的な体型(ナチュラル)』『メリハリと量感のある性的刺激が強い体型(グラマラス)』『運動・努力で作り込んだ体型(ストイック)』、一般に魅力的とされる体型の類型化。

男性が本当に好きな女性の体型⇒なんと第1位「標準体型」第2位「ぽっちゃり」!

標準体型やぽっちゃりは、上記の分類では『適度な節制のある不健康・怠惰ではない生活+その人らしい遺伝的骨格に見合った肉付き』のナチュラルに相当する。大部分の人はこのナチュラルで満足するというか、好きになった人の体格がよほど好みから外れていない限り、ナチュラルな女性的身体の魅力として認知される事になる。

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土居健郎の『甘えの構造』からの考察:『母(妻)・芸者(娼婦)・妾のマトリックス』と日本文化における男女関係

精神分析医の土居健郎(どいたけお)は、『甘え』の感情を世界の国々にも普遍的に見られる感情だと前置きしながらも、『母子関係の密接さ(父性原理の弱さ)』のある日本において特に強い感情だとした。

土居の語る『甘え』とは、『他者の自分に対する好意や手加減を当てにして振る舞うこと』である。ここでいう他者とは『母親代わりであることを期待する人物の表象』であり、甘えは発達早期の乳幼児期の母子関係の中で『赤ちゃんの微笑・泣き・排泄などに的確に応えてくれた母親の行動』が原型になっている。

従来、日本では恋人・妻を『母親の代理表象』にしてしまって、無償の愛情・献身が継続することを信じていたり、身の回りの世話を焼いてもらったりする男性(亭主関白・マザコン・アダルトチルドレン)が多かったが、その根底にある感情は『甘えられる女性(好意や配慮を無条件で期待できる女性)』を求める欲求であったと言えるだろう。

日本文化と『母性・ママ・おふくろの言葉』は多義的な結びつきやメタファーを持っており、実際の生みの母親だけを指示するものではなく、飲み屋・料理屋の女主人をママと呼んだり、典型的な昔ながらの家庭料理をおふくろの味と呼んだりもする。そこには、男性の社会的・外面的な体裁やプライドを外して接することができる『甘えられる対象・懐かしさ(帰れる場)を味わえる対象としての語感』が織り込まれていると解釈できる。

人権意識と産業経済が発達して農村(大家族)が衰退した先進国の多くでは、晩婚化・出生率の低下などが必然的な傾向として現れ、女性は必ずしも母親になるとは限らなくなったが、この事は『(農業経済段階・イエ制度の)母性神話の解体』であると同時に『女性の個人化(イエ・母性からの解放)』でもあった。

それが現代では更にねじれて、『労働市場での女性の自立(キャリア構築)の大変さ』から『母性神話・家庭の中の居場所へのバックラッシュ』も起こっており、若年世代では、企業社会で競争するキャリアウーマンよりも専業主婦(+短時間労働)に憧れる人の割合が増えたりしている。

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現代の先進国における“少子化のトレンド・子供を持ちたい願望の個人差”について。

女性であれば結婚式に憧れて、自分の子供を妊娠して産むことを求めるという近現代のステレオタイプは、20世紀まではほぼ『人間の動物としての本能』として解釈され、父性愛はともかく母性愛は『地母神・太母の古代信仰』より連綿と続く普遍的な女性ならではの他を労わり包容するメンタリティと考えられてきた。

母性とはセックスなのかジェンダーなのか、人間が社会的動物であり文化的規範を設ける種であり、社会的な同調圧力(異端視されること)に弱い存在である以上、セックス(先天性)とジェンダー(後天性)の境界線を明確に引くことはできない。

「子供が欲しくない」女はおかしい? フランスで30代女性の37%が母親にならない理由

人間はセックス(生物学的性差)の必然によって結婚して出産してきたという歴史は持っていない、近代初期までは結婚も出産も義務であったし、それ以前の時代には非農家の庶民階級は非婚・無子の割合も高くて(農業経済では労働力確保のための多産傾向はあったにせよ)、国家の人口規模は今よりも格段に小さかった。

結婚・出産が相手が好きな人であるか否かということも余り関係していなかったライフイベント(共同体的な通過儀礼・集団規模の維持)であった『取り決め婚・身分別の婚姻(親と一族の意向と双方の家柄の均衡発展を反映した婚姻・出産)』の歴史は長い。

一方、現代の結婚や出産は、付き合う異性のストライクゾーンが広くて人生に対して大雑把な考えの人でも、『それなりの個人の好き嫌い・前提条件・将来予測・人生の理想像』が反映された結果として行われるものになっており、『親・社会・他者から強制される結婚・出産』をしている人はかなり希になっている。

結婚していなければ恥ずかしいとか、みんなが子供を持ち始めたから自分も欲しくなったという『社会的圧力による間接的な強制』は現代でもあるが、それは無理矢理にさせているというよりは個人が周囲に合わせて無難な人生を送りたいからという選好ではある。

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“ジェンダー・資本主義・マナー・性的魅力”と相関して変わってきた体毛の印象

大学課題「女子は腋毛伸ばせ」、10週間ムダ毛処理止め男女の違い学ぶ。

日本でいえば江戸時代以前、前近代的な社会においては、女性であっても腋毛や脛毛を全く見えないようにする形で、剃ったり脱毛処理したりするケアは求められていなかったが、『頭髪以外の体毛=ムダ毛・美の障害物』と見なす美的感覚は、美貌や清潔を貨幣経済によってある程度まで操作できる『近代西欧文明』の先端にあるものと考えられるのではないかと思う。

ムダ毛を処理していなければ『美しさ・清潔・マナー』から外れて、美しくないだけではなく社会常識やマナーのない人間のように見なされかねないという意味では、現代社会におけるムダ毛処理(男のひげ剃り・女の腋や脛の処理)は個人の強迫観念を超えた直接的な社会生活上の要請に近い。

会社員・公務員であれば男でさえ、無精ひげを伸ばし続けたり髭をデザインしてカットしたりすることは許されないし、現代では女性から見た男性の性的魅力さえも『体毛や髭が薄いほうが魅力的に見える(中には体毛が濃いというだけでNGという女性もいる)』方向に変化している。このことは自由・人権が守られた先進的な経済社会が概ね、『女性原理(たくましさ・荒々しさ・豪快さよりも美しさ・優雅さ・清潔さを評価する)』に近づくことと無縁ではないだろう。

資本主義との相関でいえば、『ムダ毛がないほうが美しいという価値観』は、剃刀やシェーバー、エステ・美容外科の脱毛(レーザーやニードルの脱毛処理)などの定期的な消耗を義務付けるものであり、体毛を自然に任せて放置して良い文化よりもたくさんのお金が常に動き続ける。

米国の投資家ウォーレン・バフェットが世界最高水準の鋭利な複数刃の剃刀を開発したジレット社に、『これから世界中の男が丁寧に毎日ひげを剃る時代になるから、付加価値の高い高額な剃刀の需要は安定して伸びる(今は贅沢な複数刃の剃刀がスタンダードな必需品と化す)』という理由で大金を投資した所以でもある。

実際、ジレットの株価はバフェットの初期投資の時点から5倍以上に膨らみ、コカ・コーラと並んで、必需品化するビジネスを愛好するバフェットの長期投資の典型的な成功事例(ブルーチップ株の合理的予測)と言われる。

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安倍政権の『輝く女性応援会議』の“SHINE”の標語が“死ね(ローマ字読み)”と読めてしまうという苦情

人口減少社会(高齢化社会)の労働力・税収の確保、社会保障費削減の為に、今まで非労働者層だった『女性・高齢者の潜在労働力』を活用したいとする政策だが、『輝く女性』の抽象的な賛美モデルより『労働条件の整備・雇用の安定と働き甲斐』が求められる。

「輝く女性応援会議」標語に批判

今まで補助的な労働者として位置づけられていた前線をいったん退いた女性を、中核的な働き手・所得水準に再配置することは企業側の都合・キャリアで難しいだけではなく、大半の女性が“Shine worker”という政府主導の観念的・財政の都合的なモデルに関心が薄く、“必要により働く”の域を超えられるか。

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