少子化の根本要因は、何が何でも子供を持つことこそが人生の最高の価値である(そのためには長時間労働だろうが仕事と家事育児の掛け持ちだろうが自分のための時間・楽しみは投げ捨てて厭わない)といった判断や生き方が早い時期からできる個人とそういった判断の下地となるシンプルな環境そのものが、現代社会から急速に激減しているということだろう。
結婚してからの計画的な妊娠出産であろうが、結婚後の運に任せた偶発的な妊娠であろうが、できちゃった結婚につながる不意の妊娠であろうが、子供ができてしまえば中絶しない限りは、大半の人が自分のほぼ全力を注いで最低でも約18~22年程度(高校・大学を卒業するくらいまでの期間)は子育てのために奔走しなければならない。
大半の人は(途中で離婚・失踪などで無責任に姿を晦ましたり虐待・事件などで一緒に暮らせなくなったりする人も確率的にはいるにしても少数派である)できてしまえば自分にできるだけのことをして子育てをする他はないと腹を括るだろう。
だが、現代人は避妊の徹底や結婚(子育て)の相手選びを含め、相当に注意深くて色々な条件をあれこれ想定して人生設計や子供の人生を予測し考慮するので、まだ十分な準備や覚悟ができていない『望まない妊娠(あやふやな気持ち・環境の中でできてしまった妊娠)』そのものが減り続けている。
産んでしまえば何とかなるという楽観主義を持ちづらく、自分と相手の雇用や所得、生活状況(それを向上させる意思・能力のレベル)の見通し、国の財政・社会保障・人口動態の見通しなどに合理的な人であればあるほど囚われてしまい、中途半端な状況では産めないからもっと環境を整えようとして時間ばかりが過ぎることにもなりやすい。
超高齢化社会の人口動態が、出産可能年齢にある女性人口が既に落ち込んでしまった人口モメンタムと賦課方式の社会保障制度の制度設計を前提にする限り改善を見込めないということも、『少子化関連のニュース』が出る度に強化されてしまう出産抑制要因の一つである。