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広島県の19歳少年による祖母殺害事件:19歳少年の祖母・親との関係はどのようなものだったのだろうか。

北海道で女子高生が幼い頃から祖母に奴隷のように使役・虐待されて殺人事件を起こした事もあったが、祖父母と孫の関係が『孫に愛情を注ぎ援助もした優しい祖母』の定型のイメージに合致するかは分からない。

祖母死亡、殴った疑いで19歳少年を逮捕 広島

北海道の事件では母親も祖母から使役・虐待を受けて育てられ(祖母自身も)、『親に子供を支配し奉仕させる権限があるかのような価値観』が家にあったという。祖母は資産家だったが、近所でも有名な性格のきつい女性で孫に何かしてやる事もなかったと報じられたが『おばあちゃんの平均的イメージ』からかけ離れた例はある。

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夫がゲームばかりして夫婦の会話がないという問題:会話・ふれあいを求める頻度濃度が違うとすれ違いやすい

会話の好き嫌い・頻度密度の個人差は大きいが『何を置いてもその人と話したい欲求』は結婚したり交際が長くなれば落ちやすい。ゲームやネットは他をシャットアウトする孤立的依存性が強く、ふれあい欲求に差があるとトラブルになる。

夫がゲームに熱中して構ってくれない…寂しさ抱える新妻の悩み

『他者に構われず自分の好きなことをしていたい欲求』と『自分の存在を認識してくれる他者に構って欲しい欲求』のバランスだが、部屋に閉じこもってずっとゲームばかりしているような人は極端に前者の欲求が強く、単純な刺激?報酬の反復に対する依存性も強い。家に誰かいればいい、関係・役割さえあればいい価値観に近い。

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ダウン症の子供の自立性と自己承認を高める子育て:現代で子供を持つことは重いけれど。

ダウン症でも金沢翔子さんのように母親の指導・応援もあって、一芸に秀でる生き方が得られれば自己承認・一定の自立を培えるが、多くの親は現実の受容に悩み、子の成長後の人生を心配はするだろう。

<ダウン症>「自立した人生」伝える母子写真展 表参道駅で

親子関係はダウン症がなくても親にとっても子にとっても、『不可避な現実・完全には切りにくい縁』として機能するもので、真剣に考えれば考えるほど現代人にとって子(親)は仕事と並んで最大の安心になることもあれば不安になることもある。どちらかがどちらかを完全に疎ましく嫌だと思わない事が、切れない縁では大切だ。

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夫婦間殺人、配偶者への不平不満の鬱積の問題:三重県で42歳夫が妻を殺害

中年世代の夫婦間殺人が散発的に起こるが、『暴力を振るいたいほど合わない(相手を思い通りに動かせずイライラする)』となれば、DV・モラハラで相手を攻撃するのではなく身を引いて別れるべきだろう。

<妻遺体放置>逮捕の42歳夫「殺した」 三重県警

成人男性が一発でも、本気で無防備な女性を殴ったり蹴ったり投げ飛ばしたりすれば、殺すつもりがなくても当たり所(打ち所)が悪ければあっけなく死んでしまう認識が必要で、どんなに頭にきても暴力はNGだ。中年期以降は特に循環器・血管に微細な損傷があることもあり、頭部への傷害や頸部の圧迫は致命傷になりやすい。

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40代男性が介護していた知人男性(60代)に熱湯をかけて死なせた事件:素人・個人が単独で介護するのは困難である

長期間親密な親友であれば介護も可能かもしれないが、知人レベルの他人では無理だろう。『親族の情緒・恩義の結びつき』か『職業的な職務意識・勤務時間・役割分担に基づく責任感』がないと難しい。

熱湯かけ知人を死なせた疑い 男を逮捕 「失禁に立腹」

自立能力のなくなってきた人一人を長期間世話して面倒を見るのは本当に大変なことで、特に自意識や潔癖症、他者への無関心が強まっている現代人には相当難しい。成長して未来のある我が子(赤ちゃん)にだってストレスを溜め込んだりすることは多い。過去に恩義も好意もたいして感じてない高齢者の介護なら尚更に。

人間の尊厳を守りながら相手を献身的に世話するのが真の『介護』かもしれないが、介護する高齢者は認知症の知能・記憶の低下や生活技能の低下、排泄物の垂れ流し(不潔行為等)でその尊厳を自ら捨てるような行動・外見を示す。仕事のように決まった時間の世話でなく、共同生活する形の長期介護は家族でも困難になりやすい。

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なぜ現代日本では子供の人口が減るのか?:他者との比較競争とコミュニティを失った個人の自己責任化・孤立化

近代化による『経済成熟・自由主義・個人主義・市場原理(資本主義)・男女平等』の進展は、個人の幸福追求と他者との比較競争を煽ることによって、動物的な生存・生殖の本能やコミュニティの互助・平等の意識を衰退させ、半ば必然的に高度経済成長期後の少子化トレンドと階層社会の固定化を生み出す。

昭和中期までの人口が増加を続けていた時代というのは、個人やその人生が長期に所属する『家族親族・地域・会社(役所)・社会・国家』の共同体(コミュニティ)にすっぽりと埋め込まれていた時代である。

その時代、人生は『自由意思や自己責任』で個人がそれぞれに選択するものというよりは、『同調圧力・社会規範(所属階層の常識)』によって就職・結婚・出産など『社会や世間でやるべきとされていることをやっていくプロセス(やるべきことをやらない人への偏見・差別が強く大半は道を外れられないし周囲に干渉される)』に近かった。

結婚のかなりの部分は『適齢期・世間体・家格』の関係したお見合いであり、出産は概ね女性の義務に近いもの(女性が一人で自立して結婚も出産もせず生きることは現実的にも差別の圧力的にもほぼ不可能で、生活を庇護してくれる旦那を見つけられるかが生きるか死ぬかに近い問題)だった。

一方、男性はハードな仕事や戦争で死ぬことも少なくない『労働力・兵隊』として社会システムを維持する部品に近く、女性だけが苦労や我慢を強いられていたわけではない。高度経済成長期の会社の働かせ方は、現代のブラック企業を凌駕するものである、炭鉱・港湾・工場・土木建築のハードな肉体労働では頻繁に労災が起こり事故で死人が出たり深刻な身体障害を負うことは珍しくなかった。

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