「少子高齢化」タグアーカイブ

認知症・要介護者の同居家族に対する家族の監督責任・賠償責任はどこまで認められるべきか:認知症の在宅介護の限界

愛知県で認知症の91歳男性が電車にはねられた死亡事故で『家族の賠償責任』は認められないとする妥当な最高裁判決がでた。注意すべきは『認知症者の事件事故に対する家族の賠償責任を無条件に免除するわけではない』ということ。仮に介護者の年齢が若く十分に監護できる生活実態があれば事故の賠償責任が生じる恐れがある。

岡部喜代子裁判長は、認知症の人や精神障害がある人の家族などが負う監督義務について『同居しているかどうかや介護の実態、それに財産の管理など日常的な関わりがどの程度かなど総合的に考慮すべき』という判断を示したが、認知症者の面倒を見れないと判断した家族の『同居・介護の回避』を促進する恐れもある。

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少子化の進行と中流階層の崩壊による格差拡大(貧困層増加):現状維持さえ厳しい状況がある

少子化と関連して『女性・子供・老人の貧困』や『社会格差の拡大』が問題になっているが『非正規化・低賃金化・無縁化(孤立)』の本質の一つはかつて地域や家族、婚姻、企業福祉が担保していた『継続的かつ安定的な仕事・関係・居場所』が各世代で奪われやすくなっていて、安心した自己定位や収入源が揺らぎやすいという事だろう。

昭和期までは、生活半径も意識範疇も狭かったため、いったん就職・結婚・出産をすれば、そこから先は概ね『継続的かつ安定的な日常の反復』で晩年に迎えた。だが、現代は解雇・離婚・疎遠などの変化が多く、『ところであなたの実力・魅力は何か(ただその帰属・関係にいるだけではダメ)』の競争原理に常に晒されやすい。

確かに、競争原理に基づく報酬の差異は向上心を高めるモチベーションの源泉だが、どんなに有能で精力的な人でも常に自己の能力・魅力・成果を試されるのはつらくてストレスなものだ。しかし、雇用の不安定化や人心の流動化、報酬・誘惑の多さによって、グローバル化する現代社会は『現状維持の楽な反復』を簡単には許さないだろう。

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ホラン千秋の「少子化をなくそうと思って子どもを産むわけじゃない」の発言から少子化・子供増加の歴史的条件について考えてみる!

自然な出生率の高さは先進国にない『多産多死・農業経済(無教育の子供でも労働力)・人権や社会保障の不備・婚姻出産の義務的な社会的圧力』等の条件で導かれてきた。

ホラン千秋の正論「少子化をなくそうと思って、子どもを産むわけじゃない」にうなずきまくる

出生率の高い国・地域では『子供は産むか産まないか迷って選択するわけではない=子供の出産は家系と家業(労働力)を維持する義務かつ親世代・家の直接的メリットになる』前提が見過ごされやすい。現代の先進国では『好きな異性と子供を為したい選別』と『子供の物心両面の幸福追求』の条件面のハードルの高さがある。

出産奨励金を1000万円出したとしても、少子化が劇的に改善するとは考えにくい。『子供を産むほど家・親・経済のメリットになる=子供の教育や能力と無関係に食える雇用(農業・工業の誰でもできる仕事が多い産業段階と素朴な人の意識)がある』や『非選択的な皆婚・皆出産の社会的圧力』がないと難しい。

根本問題は、出産奨励金1000万円や高校教育までの完全無償化等をして無理に子供を産んでも、経済面では現代社会の非正規化・低賃金化・仕事の高度化と選り好み等で『稼げる子供数』は大きく増えない為にペイしないという事だろう。産めばほぼ自動的に社会が期待する平均の労働者・納税者になれる産業構造が消えている。

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山口智子の『産まない人生宣言』と結婚・労働・出産を巡る世間体の圧力:なぜ『産まない人・産まない人生』は批判されやすいのか?

世間一般では、他者に危害を加えない限り、あらゆる生き方や価値観の多様性を認めるという人(相互不干渉の自由主義者)はそれほど多くないし、「自分の選択した人生の生き方」を直接的あるいは間接的に正当化してその正しさや幸せを他人にも認めてもらいたいという人(普通の人生モデルを提示してそれに沿うか否かで価値を判断したがる人)はやはり多い。

■山口智子の「産まない人生」宣言で考える 子どもを持たない選択した女性にも優しい社会

結婚していなければ結婚すべきだという人もいるだろうし、出産・育児をしていなければ出産・育児をすべきという人もいるだろうし、フルタイムの正社員で働いていなければ正社員で働くべきだという人も当然いるだろう。

それが世間一般の『(現代ではやや多様化・個別化が起こって拡散してきてはいるが)普通の人生モデル』だからである。更に、その『普通とされる人生モデル』に沿って生きるためには、現代では特に膨大な時間・労力・コストをかけて、およそ自分の人生のほぼ全体を投資するくらいの覚悟・努力がなければできないのであり、普通だから簡単で気楽にやれるわけではない。

平均所得前後を稼ぐくらいのサラリーマンになるにしても出産して子育てをするにしても、片手間で余力を残して『あれもこれも』でできる生半可なことではなく、中には仕事で心身の健康を崩したり、子育ての仕方を間違って犯罪(虐待死・非行誘導)に転落してしまう人も出て来るわけだから、本人にとっては正に『一度限りの人生を賭けた真剣勝負の取り組み』といっても過言ではない。

結婚生活や出産・育児に関しては、学歴・職業エリートで躓く人も多いのだが、その理由としては『普通・平均に対する侮り(今までの自分は普通・平均レベルの成績・実績まで落ちたことなど一度もないのだからとの過大評価)』があるからという側面があるだろう。

現実には、大多数の人は結婚して子供を育てて夫婦関係・家庭を維持して年老いていく『普通の人生モデル』をまっとうするために、ほぼ自分の持つ能力や経済資源、時間の殆どを賭けなければそうそう上手くいかない。

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安倍政権に期待したい政策として上げられる『少子化対策』はなぜ難しいのか?

安倍政権の支持層は保守的な「安保・改憲・外交」などに期待するだろうが、慰安婦問題で一定の妥協をしたように北朝鮮牽制の対中韓の東アジア外交で柔軟化も有り得る。高齢者福祉の為の少子化対策という不純な動機では成果は上げづらいだろう。

第3次安倍改造内閣で期待したい政策ランキング

少子化は個人の幸福を追求し始めた先進国に共通する問題で、その本質は産業構造・教育制度・子育ての倫理の転換による『子供の負債化』と『恋愛・結婚の性選択強化』である。農業・工業が中心の産業構造の時代には、大半の子供には高等教育・習い事のコストは不要で健康・素直なら子供は短期間で自立し資産化しやすかった。

子供の数が多ければ多いほど、家が豊かになったり一族の勢力が増しやすいというのが、子沢山な途上国(前近代の農業経済・地域共同体)の前提だが、現代の都市文明・産業社会・教育や個人ではその前提が殆ど通用しない。少子化原因の倫理転換は『親に尽くす子=早期の孝行』から『子に尽くす親=長期の支援』の変化だろう。

そういった産業構造の転換や職業意識の変化、子供の教育・職能・キャリアなどを考えると、マクロで国家・家族・個人の利益と持続性につながる少子化対策というのは、本質的には極めて難しい課題という事が分かるだろう。単純に、子育て支援に予算を大幅に割いて数字上の子供の人口だけが増えれば解決する問題ではないのだ。

少子化対策をしなければならない理由は「経済規模の縮小・景気と財政の悪化・超高齢化社会の支え手の減少」を防ぐためである。少子化が起こらない社会は、「子が親を支えてくれる可能性の高い社会(社会保障制度が整備されていない血縁の相互扶助社会)」だが、日本は資産・雇用の面で子・孫の代にその体力は期待しづらい。

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LGBTの差別禁止法案、 認知症患者の大量購入が取消可能になる法的保護措置

LGBTの権利拡大は世界的な趨勢だが先進国において『生産性』を普遍的価値とする近代のヘテロセクシャルと婚姻制度の規範的結合が緩み始めた事も影響している。企業におけるLGBTの差別禁止は必要だろう。

性的少数者の差別禁止で法案=民主、与党と共同提出目指す

LGBTの差別禁止は『非LGBTとの均等待遇』であり『LGBTのアファーマティブ・アクション(積極的優遇措置)』ではない事に注意が必要だ。LGBTだけを理由に仕事上の不当待遇をしてはならないという事であり、『職務上の適性・見た目の自然さ』等の観点でMTF男性が受付や接客に採用されづらい等はあり得る。

LGBTの人権尊重と雇用上の均等待遇は、LGBTであることだけを理由に採用面接を断られない、不当な雇用待遇(昇進上の不利な扱い)をされないという事である。『職場でトランスな性自認・性的指向の強調』をしてもいいという話ではなく『性別違和感のないヘテロな男女と別の基準で仕事の評価をされる』わけでもない。

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