フィジカルな関係・暴力を好まないデジタル世代やさとり世代とか言われるが、現代でも意外に昭和の少年漫画のような不良の仲間関係や拳で語る的な暴力の論理で動く若者集団も残っているんだな。
決闘容疑で中学生ら書類送検=「凶器使わず」ルール決め―岐阜県警
学校・地域で人数を集め他のグループと決闘するというのは、現代でこそ『野蛮・無知・非洗練』などの侮蔑的概念で揶揄されたり、言語能力・問題解決力の低さを非難されたりするが、国家の軍や暴力団は元より人間社会では古来から『数量的な暴力』で他人に言うことを聞かせる原始的な権力・秩序が機能し続けてはいる。
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自動車の運転をする時には、『危険運転(無謀運転)』をしないように『不注意・眠気や体調異常』によって事故を起こす可能性を念頭に置いて、歩行者や自転車、他車にぶつからない(ぶつけない)ということに最大限の注意をしなければならない。
京都集団登校事故:逮捕の18歳少年、ドリフト走行か
無謀運転の果ての自動車事故は自損事故で自分だけが死亡したり障害を負うならまだしも自業自得だが、他人の生命・健康を奪って補償(原状回復)できない罪を負ったり恨みを買う可能性があるため、『自分本位の運転(自分が勘違いして運転技能が高いとかカッコイイとか思い込んでいる制御困難な状態下での運転)』というのは本来、他の人も利用する公道では許されないものである。
京都府八幡市で集団登校する小学生の列に突っ込んだ自動車事故について、免許取得したばかりでフェアレディZのようなエンジン性能の高いマニュアルのスポーツカーに乗ること自体が間違っているという意見もあるが、この事故は『車のトルクや馬力といった動力性能の高さ』によって引き起こされたものではなく、『(レース用途の道路ではない)一般道における急発進とカーブへの高速での進入という間違った下手な運転操作』によって引き起こされたものである。
公道で急発進してタイヤを空転させたり、カーブで後輪をわざと滑らせたり、他車をきわどいタイミング(ウインカーも出さないような危険な車線変更)で抜いたりするような走り屋の漫画に出てくるような運転を『自分の運転技能の高さ(他のドライバーと異なる運転の個性)』と勘違いするような人は、その時点で事故を起こしていなくても遠からず事故を起こすリスクが高い。
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