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人はなぜ水素水やマイナスイオン関連といった疑似科学に基づく商品を買ってしまうのだろう…

カール・ポパーにトマス・クーン、ポール・ファイヤアーベント、科学哲学で正統科学と疑似科学の差異を考えた時期もあるが、科学的根拠を無視して高額でなければ流行・話題狙いで買う事もあり、時に悪徳業者に利益を与えている恐れもあるな(汗)

女性で高学歴者ほど「水素水やマイナスイオン」にハマりやすい!?

一つ注意すべきは、重篤な病気に対する治療法として『疑似科学・民間療法・宗教をベースとした非科学的な方法・食品』を選ぶのはやめたほうが良い。現代医学で治療できない場合、本人・家族が納得するため『代替療法』にすがる心理は否定できないが、弱みにつけこみ効果のない高額品を売る悪徳商法に騙されないようにしなければならない!

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恋愛で男女の年齢差は何歳まで受け容れられるか?:多数派は10歳以上の差は厳しい

10~20代前半は『年齢差』に最もセンシティブな世代で、学生と社会人で住む世界や話すテーマが違う認識も強い。30代から上になり結婚も考慮すれば年齢差のこだわりは弱まりやすい。 基本的に大学生くらいの若者から見れば、いくら見た目が若く見えても、30代は確実におじさん・おばさんの範囲にされてしまう。

年の差恋愛、何歳差以上だと「大変そう」って思う? 大学生に聞いてみた!

10~20代の学生の年齢層では、先輩と後輩の関係などもあり『1歳の年齢差の意味合い』が、大人になってからよりも相対的に大きい。30~40代の人から見れば、28歳社会人も22歳大学生も大差ないが、22歳の本人からすれば28歳の人は相当な年上に感じるはずで、30代はまずおじさん・おばさんの感覚に近い。

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“お金・美貌の高低”を巡る幸福追求と自我(エゴ)の強度・視野限定の知足

現代を生きる大勢の人々は『幸福追求』に呪縛されていて、憲法までも『幸福追求権』を人権の一部として追認している。

幸福というのは蜃気楼に浮かぶ砂上の楼閣のようなもので、自分は幸せだなと実感した日の翌日になれば、また何となく冴えないつまらない毎日だなと思ったりもする。幸福は自分の置かれた状況や関係によって現れたり消えたりを繰り返す、幸せはずっと自分の元に置いて留めておくことが難しいものである。

マツコ「全然幸せになんねぇ」、お金稼いでも結局は「キレイなほうが得」。

ある年齢の時に幸せだと思った状況が、別の年齢の時にはそうは思えなくもなるという『幸福の条件の流動性』もある。『自分が最高の幸せの条件』と思っていたモノや相手、環境を手に入れても、それがどのくらい持続するかははなはだ心もとないものである。

『幸せといえば幸せといえる状況・瞬間・能力』を多くの人は何かしら小さなものでも持っているのだが、現代の資本主義の競争社会では『自分や周囲の何人かだけにしか通用しないような幸せ・楽しみ・満足』は軽視されやすい。

SNSの知り合いの投稿やニュースの世間一般の動向を見ていると『自分よりも幸せそうな人生や面白そうな日常を送っている大勢の他者』が目について、自分だけが恵まれない不遇をかこって、面白くもない日常を送っているのではないかという劣等感・焦燥感も生じやすいだろう。

現代では自分だけにしか通用しない自己満足的な幸せは軽視されやすいが、安定した幸せや安らぎを得る決め手になる思考・感覚のヒントは、実は『他人が自分の幸せのレベルをどう評価してくれるか』よりも『自分の世界観・行動方針・好奇心(探究心)の魅力』を高められるかの側にあることが多い。

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無駄毛のコンプレックス商法と小学生も毛の濃さに悩む時代:つるつる・ユニセックスな男を好む日本のネオテニー

毛深さのコンプレックスはかつては女性の悩みに多かったが、今は若い男性も髭・臑毛等の脱毛をしたい人が増え、顔・腋・脚等に毛がない外見を美とする傾向が出た。小学生の脱毛は毛・悩みの程度で判断すべきか。

小学生を脱毛に通わせるのは、あり?なし? (ママスタジアム – 06月21日 21:01)

人工的に処理をしなければならないような外見の優劣・問題を設定して『コンプレックス商法』で稼ぐ美容整形やエステ業界などの問題もあるが、日本・韓国は特に潔癖な感覚が影響してか、脱毛ビジネスは欧米圏より市場が大きいと言われる。確かに白人のハリウッド女優などは腕・脚・腋を完全に脱毛処理していない人も多い。

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電車でイチャつくカップルを迷惑に感じるのはなぜか?:パーソナルスペース拡大と公共空間における縄張り意識

本質は公共空間でのパーソナルスペースの主導権争い。電車では儀礼的無関心で静かにする人が大半だが、カップルのイチャつき、集団の大騒ぎ、不良の屯等は『公共空間の私有感・他者の軽視』で嫌がられやすい。

駅や電車で見かけた迷惑バカップル シートで膝枕?恋人見送りホームをダッシュ!?

儀礼的無関心とは他者に直接声をかけたりはしないが、そこに他者が存在する事に最低限の配慮をした状態。過度のイチャつき・集団の騒ぎ・大声や威圧等は『公共空間におけるパーソナルスペースの平等』を崩す。『カップル・集団・不良の私的領域の拡張』で周縁にいる儀礼的無関心の人が居心地の悪さ(よそ者感)を感じる。

公共空間は私有地ではないが『過度のイチャつき・集団の騒ぎ・不良の徒党や大声』などは『擬似的・縄張り的な私有地(主導権)の範囲』を広げる心理効果がある。結果、周縁者は近くに長居しづらい気分にさせられ、遠慮・萎縮・辞去をさせられやすい。度を超すとカップルやヤンキーの部屋が公共空間に持ち込まれた感じになる。

公共空間におけるパーソナルスペースの争いを考えると、イチャつくカップルも車内の空気・メンバーを見て『安全安心』と判断してからしているはずで、ガラの悪い輩・集団がいればしない。儀礼的無関心で遠慮する相手ならカップルのスペースは拡張するが、遠慮なく声かけする(からかう)輩がいればスペースは急に縮小する。

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『褒める教育』と『叱る教育』と『貶める教育』:学ばせるのは自発性か服従性か

適切に褒める事は『正の強化子』で自己評価を高めて柔軟な思考・行動を発現しやすくさせる。『無闇な賞賛(へりくだり)・注意しない(何でも容認)』は褒めて育てる教育ではなく、歪な上下関係や自己中心性、向上心欠如、虚弱性になりやすい。

「褒めて育てることの弊害」が囁かれはじめている

『褒める教育』というのは、子供を何でも自分が一番の王様にするための甘やかしではなく、子供の自発的な行動力や好奇心を引き出すために『子供の人格・失敗・試行錯誤を否定しない(頭ごなしに馬鹿にしない)』という事である。適切に『叱る教育』も必要だが、子供の自発性を潰して従わせる『貶める教育』と混同されやすい。

自己肯定ややる気を試行錯誤で伸ばしていく『褒める教育』は、『明るい人間関係+民主的・自由主義的な環境+知性・創造性・自発性が求められる仕事』との相性が良いが、確かに『攻撃的で嫌な相手+ストレスの強い環境+とにかく規律や作業に従う場』などに耐えられない脆弱なメンタリティーを醸成する可能性はあるだろう。

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