恋人候補者を『同世代の学歴・価値観の近い異性全員(数百万人単位)』に設定した上で、『選び放題・よりどりみどり』というのは非現実的な前提で、街を歩いていれば好みのタイプの異性の一人くらい見かけるからその人と付き合えば良いと同レベルの話だろう。
アナタに恋人ができない理由
実際は30代なら『配偶者・恋人がいない人の数』や『恋人を求めている人(恋愛に前向きな人)の数』に変えるだけで相当減る。人間は同時に複数の場所には存在できないので『自分の生活圏・ウェブ活動圏の範囲で遭遇する異性』以上の異性には出会えず、離れた場所にいてネット上の接点もない異性はいてもアクセスできない。
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若者の『恋愛・結婚離れ』とはいうが、昔も自発的な自由恋愛は少なかったのかもしれない。世界的・歴史的に見ても個人としての男と女が、『自分の好み・選択・欲求・自己責任』だけで相手を探して付き合ったり結婚・出産したりという時代は殆どなかった。『家柄・血統・宗教・生活・親の希望や社会規範(周りの強制的な干渉)』などで半ば運命や義務として恋愛をすっとばした結婚・出産(見合い婚や取り決め婚)が行われることのほうが多かった。
恋なんてめんどくさい!?おひとりさま大歓迎な若者たちの恋愛事情
結婚とは惚れた腫れたや性的・人格的な魅力(好みのタイプ)の比較及び追求というよりは、ほとんど『生活・育児のために必要な男女の役割分担の結合』であったからであり、好きな人が見つからなかったらしないでもいいかといった選択肢はなく、一定の年齢でしなければならない(そのために周囲も見合い・紹介なりの強い干渉をしてくる)ものだと受け取られていた。
現在の40~50代以上のバブル景気を経験したような男性にしても、みんなが好みのタイプの女の尻を追っかけ回して、躊躇いなく肉食系の勢いで口説きまくる『恋愛至上主義者』だったかというとそうではないだろう。
今と同じで『女性に上手く話しかけられない人・女性の扱いやデート(遊び)の計画が苦手な人・一緒にいて異性を楽しませたり魅了したりすることができない人・女よりも趣味や自分の世界に生きたい人』だって相当な割合で含まれていたはずだが、『30歳くらいまでには結婚しなければ恥ずかしい・差別的なまなざしで見られかねない(女性であれば生活できなくなる恐れがある)』という周囲・現実の圧力や世間体の意識が現代とは格段に違っていた。
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総合評価 75点/100点
桜庭一樹の『私の男』が原作だが、近親相姦的な色彩の濃さが個人的な趣味には合わない。小さな子供時代から自分の子として育てている女の子と、秘密の男女の関係を持つようになるというプロットが、セクシーなシーンをセクシーなシーンとして楽しみにくい難点でもある。
とりあえず、『背徳的なインセストタブーのつながり・社会道徳に違背する性愛』を、『ドロドロな性愛の背後にある究極の純粋な愛(誰にも理解されないが二人の間だけに確固としたものとしてある関係性・執着性)』にまで昇華させたい試みという風に解釈はできる。
だが、主役の腐野淳悟(浅野忠信)がただ不気味な感じが漂うロリコン趣味な中年男としか見えないような物語の単純な流れ、人物の背景描写に『共感性・人物の奥行きの限界』があるのではないか。
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警察官(警部)という職業(職位)の世間的なイメージや45歳という年齢(常識的には、知らない20代女性に対してナンパを仕掛けるには不釣り合いな年代)はともかく、電車・街中であれお店であれ、気になった女性がいればアプローチする自由はあるが、アプローチを間違ってストーカー化すれば犯罪行為である。
45歳男性警部、「一目ぼれ」でストーカー行為
この45歳警察官のストーカー行為は殺害・暴力につながるような凶悪度は低いが、一方的に恋愛感情や劣情を抱かれて個人情報を密かに調べられ、何をされるか分からないと感じた20代女性の恐怖感・不安感は想像するに余りある。
近年、ストーカー犯罪が増加傾向にあるが、その大半は『元恋人・元配偶者による未練や執着』によるものであり、『一目惚れした知らない異性に対するつきまとい』の比率は低いが、ストーカーの心理的問題は『好きであれば何をしても良い・好きだから仕方ない・相手の直接の返事を聞くのが怖い』というような恋愛感情の不適切な表現や一方的な押し付け、傷つくことの回避による隠れた行動にあると考えることができる。
警部は一目惚れした若い女性と接点を持ちたかったと動機を語っているが、2011年から3年近くもの間、隠れながらつきまとっていて『会話できるくらい・メルアドや電話番号を聞くくらいの接点』も作れない、拒絶されるのが怖くて正面から話しかけられないのであれば、『縁がなかった相手(自分に自信・行動力・決断力がないから仕方ない)』として諦めるのが筋とも言える。
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DV被害に対しては『ゼロトレランス(不寛容)』の毅然とした対応で、一回目の暴力で別れたほうが暴力のエスカレートやストーカー化・殺人を回避しやすいが、DV加害者は共依存的な相手を見出す嗅覚に優れる。
<殺人未遂容疑>交際相手を脅迫、飛び降りさせる 大阪
DV(異性間暴力)は境界性・自己愛性パーソナリティ障害との相関もあるので、見捨てられ不安の強さが『過剰な執着心・独占欲・管理束縛・衝動的な行為』となり、『別れ話』を持ち出すことは命懸けの行為になりやすい。恋人のモノ化・所有物化の心理で、相手の自由意思が尊重できず、愛情と支配を混同する。
交際の初期の段階であれば、DVをする男性でも暴力を振るわないことが多いが、『(好きだからの)管理束縛・(お互いのためにの)閉鎖的なルール設定・(愛情があればこれくらい当然の)過大な要求や指示』など段階的に相手の従属性を引き出していき、自分の自己愛的な世界観や異常な常識に取り込んでいく。
自分が暴力を振るわれても仕方がないことをした、暴力は相手の愛情や苦しみの現れであるというようなある種の洗脳だが。
DV被害に遭わない為には、知り合って交際の浅い時期から『DV男はいかなる理由があっても最低で許せない・一回でも暴力があれば自分は別れる』などの意思を明確に示し、相手の顔色や反応を伺ってみれば性格傾向は掴める。付き合い方が常にウェットで密着的・依存的な独占欲を強調する場合は一定のリスクはある。
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総合評価 78点/100点
北海道の函館市の鄙びた街を舞台に、生き甲斐を喪失して彷徨う孤独な男と暗く貧困な家庭環境に耐えて春をひさぐ女との恋愛を描く。
トタン屋根とプレハブ小屋のような家屋、仕事のない地方での貧困と売春(ピンク小屋)、家や親の後見がない女性の悲哀、ダイナマイト発破の危険な3K仕事、介護保険がない時代の自宅介護、ヤクザ崩れの地元実力者の愛人の囲い込みと恫喝など、原作の時代設定は平成の現代というよりは昭和40~50年代辺りをイメージしたものなのだろうか。
山の発破の仕事で起こった死亡事故に責任を感じている達夫(綾野剛)は、仕事を辞めて世捨て人のような一人暮らしを静かにしている。達夫は酒を飲んだりパチンコを打ったり散歩をしたりしながら、気ままで自堕落な生活を送っていたが、ある日、パチンコ屋でライターを貸してやったことが縁で拓児(菅田将暉)という同世代の遊び人風の青年と知り合いになる。
拓児には暴力事件を起こして少年院に入院していた前歴があるが、裏表のない気のいい奴ではあり、ライターのお礼に達夫に自宅で昼飯を食べさせてやるから来いと誘う。季節は暑い夏、屋根が錆びて古びたプレハブの家屋の奥の部屋から、拓児の姉の千夏(池脇千鶴)が汗ばんだ肌を露出した無防備な下着姿でタバコを銜えながら姿を現し、達夫は目のやり場に困っている。
女優の池脇千鶴は久しぶりに見た気がするが、『そこのみにて光輝く』では中年女性の熟れた色香を漂わせる池脇千鶴の肉のついたヌード・絡みありの演技が、昭和の日活ポルノロマン的な郷愁と悲哀を湛えている。
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