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ドキュメント『人類滅亡(LIFE AFTER PEOPLE) 1.残された死体』の感想

人口ゼロ、人類が滅亡した後の世界はどうなるのかのシミュレーション・ドキュメンタリー。科学的根拠に基づく人間の技術(人工物)と自然(風化・他種繁殖)とのせめぎ合いが、どのような『人がいなくなった後の世界』を作っていくのか、超長期的な視点での予想がなかなか面白かった。

人類は自らが存在した痕跡と遺伝子情報を残すため、博物館のアクリルケース内で最適環境(温度・湿度)に調整したミイラ、死後の人体の冷凍保存、生殖細胞(精子・卵子・受精卵)の冷凍保存、周回軌道上の宇宙ステーションにおけるDNAデータ保存を行っている。現代の電気文明社会がメンテナンスされる限り、それらは半永久的に残るものとされているが……。

現代の文明社会の保存技術の根幹は『電気』『密封』『液体窒素(微生物が生存できない超低温)』であるが、いずれも数百年程度の自動的な保存も不可能な脆弱な技術や物質に過ぎない。いったん人口0人に到達してしまうと、マンパワーを介した保守管理や調整作業を行うことが不可能になる。

人が管理しなくなって荒れ放題となり燃料も枯渇した発電所からの電力供給は1年も持たずに途絶えてしまう。液体窒素もどんなに密閉していても緩やかに気化して内部温度は上昇していくため、人類の生体の形そのものや遺伝子情報を残すことはほぼ不可能になるという。

人間の手が加わらない自然界の生命力とモノ(人の制作物)に対する破壊力は非常に強力だ。数十年程度のスパンでも現在の文明社会の建築物・道路や水道のインフラ・乗り物等の遺物は風化・崩壊が進んでいき、亜熱帯気候や温暖湿潤気候の国の都市・町村は無数の植物と昆虫類が群生するジャングルのような状態になっていく。風・雨・雷・雪・波・地震・台風・火事に摩耗された文明社会を実現していた都市設備は、動物に荒らされ旺盛に繁茂する植物で覆い尽くされて遠からず朽ち果てていく。

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吉田修一原作+李相日監督の映画『怒り』の公開が楽しみ:妻夫木聡・松山ケンイチ・宮崎あおいらのキャストも良い

吉田修一と李相日の『悪人』は地方の若者の閉塞やネットの出会い、年の差の男女等をテーマにしたコンテンポラリーな作品だった。妻夫木聡・深津絵里・満島ひかりらの演技も良かったが『怒り』も面白そう。

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李相日は『怒り』でも妻夫木聡を起用。良い意味で突出した個性のない普通っぽさのある俳優で、20?30代のどんな役柄・属性も自然にこなす演技の幅がある。森山未來も癖のあるキャラの怪演で存在感が出た。渡辺謙・松山ケンイチ・綾野剛・宮崎あおい・広瀬すずのキャスティングでどんな役に配置されるのか楽しみです。

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映画『エベレスト 3D』の感想

総合評価92点/100点

標高8,848メートルのエベレスト(チョモランマ,サガルマータ)は、誰もが知っているヒマラヤ山脈の世界最高峰である。映画『エベレスト 3D』の冒頭では、登山家のエドモンド・ヒラリーとシェルパのテンジン・ノルゲイによるエベレスト初登頂(1953年)から、エベレストの固定ロープを配置するルート開拓、登山ガイドが引率する商業登山の歴史などが紐解かれる。

この映画の題材になっているのは、ニュージーランド(英国連邦)の英雄的な登山家ロブ・ホールが率いた商業登山の公募隊が11名の死者を出した『1996年のエベレスト大量遭難事故(エベレスト登山史で最大の死者を出した事故)』である。

ロブ・ホールは29歳で七大陸最高峰登頂の最年少記録を樹立した超人的な登山家であり、8000m峰で最も難易度(死亡率)が高いとされるK2にも登頂している。ローツェ、チョ・オユー、マカルー、ダウラギリなど8000m峰の多くに登頂経験があり、当時もっとも8000m峰の登山のリスク判断に詳しい人物の一人であった。

山岳医である妻のジャンや大勢の登山客(実質登山家レベルの客)とも一緒にエベレストに登った経験があり、登山家として自分自身がぐいぐい登れるというだけではなく、大勢の顧客(他者)を安全に引率してそれぞれの体調・状態に配慮した慎重なガイドができる登山ガイドとしても評価されていた。

この映画は『3D版』しか公開されていなかったが、ネパールの整備されていない煩雑な街並み、富士山より高い標高5000m以上にあるチベット仏教寺院、高所恐怖症の人は絶対に渡れそうにないむちゃくちゃな高さのある長い吊り橋などから始まり、『深いクレバスにかけられたハシゴの横断』や『エベレストの垂直に近いような斜面の登攀』、『一歩踏み外せば即死する尾根・絶壁の狭いステップ(踏み場)』などスリルと緊張感が溢れる美しい映像世界を3Dで立体的に楽しむことができる。

自分自身でヒマラヤ山脈を筆頭とする世界の高峰に登れる人(登りたいという人)はほとんどいないが、エベレストやK2、ダウラギリなどの高山(標高問わず世界にある名だたる高い山)は写真・映像で見るだけでも、その容易に人を寄せ付けない荘厳な存在感、雪・岩をまとって天に屹立する美しさに圧倒され魅了される。エベレストは遠くから俯瞰で見れば美しく、生身で近づけば恐ろしいとも言えるが、エベレスト登山を疑似体験できるような映画の作りやカメラワークの視点が巧みである。

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アニメ『PSYCHO-PASS(サイコパス)』の感想:正義にまつわる『デスノート』からの連想

タイトルだけは随所で聞いていたアニメ『PSYCHO-PASS(サイコパス)』だが、huluで幾つか見てみたら、人間の心理状態をサイコマティックで数値化して管理するという『シビュラシステム』を主軸とした近未来SFのプロットが面白くてはまってしまった。パート1(全22回)の第13回まで見終わったところである。

西暦2112年、人間のあらゆる感情、欲望、価値観、社会病質的(サイコパス的)な心理傾向はすべて『シビュラシステム(高度かつ社会網羅的な人工知能)』によって記録・管理され、常に監視官・執行官が社会を巡回して『個人の犯罪係数』を測定することによって、あらゆる犯罪はシステマティックに可能な限り事前抑止されるようになっている。

犯罪係数が規定値を超えれば、精神の色相(社会適応・他者配慮・平和志向・感情制御などの精神の安定度)が濁っていると見なされ、実際に犯罪を犯していなくても、遠からず必然的に犯罪を犯すに違いない『潜在犯』として拘束あるいは即時にドミネーターで分子レベルまで分解されて排除される。

ドミネーターという公安局の監視官・執行官が持っているシビュラと連携した武器の発想も面白い。ドミネーターを対象に向けて照準を合わせると、『犯罪係数(サイコパス)の自動測定』がスタートし、犯罪係数が一定以上の数値を示すと『執行モードの選択』が可能になる。

犯罪係数の低い一般の人間に対しては一切の制圧・殺傷(パラライザーやエリミネーターのモード)の発砲をすることができない。監視官と執行官は『対象の処遇』に対して自由意志で判断するのではなく、シビュラシステムの数値計測・選択可能なモードにすべてを委ねていて、執行モードでトリガーを引くか否かだけを選択できる。

そのお陰で『対象(犯人)に対する殺意・怒り・排除への罪悪感』など、監視官・執行官は精神の色相を濁らせる感情を持つリスクが低く、シビュラから与えられた使命・任務を黙々とこなすだけである。

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映画『バクマン。』の感想

総合評価 87点/100点

絵の上手い真城最高(佐藤健)とストーリーを考えるのが得意な高木秋人(神木隆之介)がコンビを組んで『少年ジャンプ』で漫画家を目指す。

高校二年生の真城最高は、叔父の川口たろう(宮藤官九郎)が漫画家で、漫画を描くための画力や基礎知識は持っていたが、叔父が漫画執筆・打ち切りで苦悩した揚げ句に早逝したトラウマもあり、自分自身が漫画家になるという夢は意識していなかった。

最高は中学生の頃から好きだった亜豆美保(小松菜奈)の姿を、何気なくスケッチで描き続けていたが、その抜群の画力に目をつけた高木秋人が最高に、自分が原作のストーリーを考えるから一緒に漫画家になろうと強く迫ってくる。

初めは乗り気でなかった最高だったが、高木から自分の描いていたスケッチを亜豆にばらされて、亜豆と両思いだったことが分かり、声優を目指している亜豆から『作品がアニメ化されたら自分に声優をさせてほしい』と持ちかけられ、突然やる気を漲らせる。

10年に1人の天才漫画家と評される新妻エイジ(染谷将太)とのライバル関係、亜豆美保との恋愛ストーリー、漫画家同士の友情と協力、少年ジャンプの中での順位争いのデッドヒートなどいくつかの見所があるが、血の滲むような漫画の作成過程、魂を磨り減らすかのような一筆一筆のペン入れのスピーディーかつ精緻な描写に引き付けられる。

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映画『ギャング・オブ・ニューヨーク(2002年)』の感想とアメリカのWASP・移民の歴史

総合評価 92点/100点

レオナルド・ディカプリオは若い頃の『タイタニック』があまりに売れすぎたために、そこでイメージが固まってしまっている人も多いのだが、L.ディカプリオの映画は2002年のこの『ギャング・オブ・ニューヨーク』を画期として、光と影を合わせたアメリカの歴史を題材にとった骨太で重厚な作品が増えてくる。Huluで公開されていた『ギャング・オブ・ニューヨーク』を10数年ぶりに見てみた。

アフリカのシエラレオネ内戦を舞台にして、ダイヤモンド採掘の奴隷労働と欧米人ブローカーが暗躍する紛争ダイヤモンドの利権を題材にした2006年の『ブラッド・ダイヤモンド』も面白い映画だが、2002年の『ギャング・オブ・ニューヨーク』は南北戦争前夜のアメリカのアイルランド移民問題を題材にした映画で、ギャングのむきだしの暴力がニューヨークの一角を仕切っていたアメリカ建国史の重要な一場面(銃の武装権を支持する保守層のスピリットの淵源)を切り取っている。

アメリカの近代化のプロセスは、移民や信仰の共同体(コミューン)をはじめとする『地名変遷の歴史』にも現れているが、『ギャング・オブ・ニューヨーク』ではディカプリオ演じる主人公の名前が“アムステルダム”というのが象徴的である。

アムステルダムはニューヨークの旧名ニューアムステルダムを彷彿とさせるものであり、ビル・ザ・ブッチャー率いるギャングの『ネイティブズ』の主張する『WASP支配・プロテスタント信仰の自明性』にニューヨークの歴史的起源(非WASPのオランダ人による支配の時期)を持ち出して対抗している。

ニューヨークの都市としての歴史の始まりはオランダ人移民の入植にあり、17世紀のニューヨークのマンハッタン島は『ニューネーデルランド』と呼ばれ、1663年には『ニューアムステルダム』とオランダの首都にちなんだ名称に変更された。17世紀後半、オランダ人はネイティブ・アメリカンからわずか24ドルでマンハッタン(19世紀以降のアメリカ最大の都市)を購入したのである。

そもそも論でいえば、ギャングの『ネイティブズ』は、WASPこそ『アメリカ先住民(アメリカを統治する正統な民族)』なのだと自称して『新たに入ってくる移民(特に本国の飢饉で急速に移民を増やすアイルランド系)』を差別・排撃しているのだが、本当のアメリカ先住民はインディアンであり、後から原住民を追って支配権を固めたWASPはセカンダリーな荒くれ者のネイティブズに過ぎない。

その後、ニューアムステルダムと呼ばれたマンハッタン島の支配者はオランダ人からイギリス人へと移っていく。1694年、英国はニューアムステルダムを武力で奪い取り、イギリス国王の兄弟の侯爵であるヨーク公の名前を冠して『ニューヨーク』へと名称変更した。

新たな土地を支配して新たな自分たちの民族・信仰の共同体を建設するという16~18世紀のアメリカの歴史は、正に武装した白人(本国で食えない白人)がネイティブ・アメリカンを放逐しながら版図を広げた『フロンティア(新天地)の開拓史』だった。

この時代からニューヨークの中心勢力は“WASP(ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント)”と呼ばれる英国系の白人となり、WASPはニューヨークの支配的民族として非WASPの移民・黒人を“二級市民”として差別・排斥するようになるのである。

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