体罰の目的は『悪事を改善する指導』というより『上下関係の刷り込み』に近く、暴力・立場で威圧する怖い上位者がいるから大人しく従うという効果はあっても、物事の是非善悪を学ぶ役には殆ど立たない。
<桜宮高自殺>根強く残る「力の指導」 体罰防止策が進むも
体罰の本質は何かと考えれば、『自分の頭で考えないようにさせること・上位者の命令は絶対だという条件反射を形成すること』であり、暴力で相手が萎縮したり服従したりする体罰は『自由意思を奪うことによる表面的な問題解決』にはつながるので、教育の即効性がある(殴った相手が良くなる)と感じる人はいるかもしれない。
ただし物事(行為)の善悪の根拠や改善を自分の頭で考えさせないまま、体罰のみの指導に頼ると、『属人的な道徳観(あの先生先輩が言う事は全て正しい)』に陥りやすいので、『上位者の目の届かない所で悪事をする』や『殴られた自分の屈辱・怒りを下位者に向ける』等の陰日向・いじめやしごき・体罰の伝統化の問題がでる。
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フィジカルな関係・暴力を好まないデジタル世代やさとり世代とか言われるが、現代でも意外に昭和の少年漫画のような不良の仲間関係や拳で語る的な暴力の論理で動く若者集団も残っているんだな。
決闘容疑で中学生ら書類送検=「凶器使わず」ルール決め―岐阜県警
学校・地域で人数を集め他のグループと決闘するというのは、現代でこそ『野蛮・無知・非洗練』などの侮蔑的概念で揶揄されたり、言語能力・問題解決力の低さを非難されたりするが、国家の軍や暴力団は元より人間社会では古来から『数量的な暴力』で他人に言うことを聞かせる原始的な権力・秩序が機能し続けてはいる。
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