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今上天皇の退位(譲位)問題:明治維新以降のメディアに見られる近現代の終身天皇制の過酷さ

君主の原点は支配者だが近代の立憲君主は常に模範的・倫理的である事を強いられる、天皇は『崇高かつ完全な人格・考え』を国民に想定されるために自らの意思(真意)を明確には語れず補足説明もできない。

<退位>学友ら、一代限りに懸念 「陛下の真意置き去り」

歴代天皇には、伝説的暴君として権力を悪事に濫用した武烈帝・雄略帝、粗暴で殺人歴もある陽成帝等もいるが、近現代以降の立憲君主たる天皇は形式的にも教育的にも『暴君(倫理的・人格的に問題ある君主)』は存在を許されない。国民統合・模範人格の象徴としてメディアもある現代で天皇の役割を終身こなす苛烈さが増した。

英国王室や皇室の継承権のない皇族では、マスメディアの監視網の中で模範的な人格や倫理的な生き方に『ほころび』を見せた人も出ているが、明治天皇以降の天皇と皇太子は、過去の天皇にはないほど『瑕疵のない模範性・倫理性』を体現する努力を続け、国民も暗黙の了解で理想の名君・ぶれない人格者を求めている。

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オバマ大統領の広島訪問と安倍首相のハワイ訪問から『歴史学習』について考えてみる

オバマ大統領の広島訪問、安倍首相のハワイ訪問で日米の歴史的和解を象徴的に表現したが、既に一般の日本人にも米国人にも双方を『敵』と見る怨恨感情はない。戦没者を生む構造を変える必要がある。

首相のハワイ訪問、現地は歓迎「戦没者への敬意、名誉」

政治指導者が『戦没者に対する敬意・名誉』を示すことにも、『戦没者の公共への奉仕・自己犠牲を称えるポジティブな意義』と『国民の名誉心・同調圧力を刺激して戦没者を再生産する(戦死・戦争に納得させて反対しづらくする)ネガティブな意義』の両面がある。靖国神社・国家神道の内在的問題でもあった。

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2019年の改元、元号は存続すべきか廃止すべきか?:西暦と元号の特徴

『西暦』はグローバルスタンダードでコンピューター対応も容易だが、『元号』は天皇の時間支配の属人性を持ちつつ、『時代の特徴』をイメージしやすい利点もある。

2019年に改元の可能性 「これを機会に元号の使用はもうやめた方がいい」という議論が盛り上がる

イエス・キリストの伝説的な誕生年(誕生の翌年)を西暦(紀元)1年とし、前年を紀元前1年とする紀年法は、直線的に数字が連続するだけで分かりやすいが、西暦は『意味のない数字だけの表記』なので、漢字(表意文字)で記す元号よりも『時代のイメージ・近い時代の時間感覚』が湧きにくいのはある。

1965年生まれというよりも、昭和40年生まれといったほうが、『その人が生きた時代の背景』が日本人にとっての共通イメージとして思い浮かびやすく、西暦だけだと1965年生まれも1985年生まれも、ほぼ同じ時代でその差がほとんど感じられない。若い人になるほど昭和も平成もない西暦のみの時代感は薄れやすい。

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薩摩のお家流儀『示現流』の開祖・東郷重位(とうごうしげかた)の強さと薩軍の戦い

明治の廃藩置県に至るまで、島津家が長らく支配した『薩摩藩(現鹿児島県)』は、戦闘(剣術)に強い剛毅な武辺者(薩摩隼人)の集団として恐れられた。島津斉彬・西郷隆盛の軍備近代化と命知らずの薩軍の切り込み部隊(暗殺集団)によって、幕末の薩摩藩は長州藩・土佐藩・肥前藩と結んで『倒幕』の中心勢力となって時代を変革した。

1877年(明治10年)には薩軍は西郷翁を担いで無謀な反政府の『西南戦争』を戦って散ったが、刀剣でぶつかり合って戦う白兵戦では薩軍は官軍(政府軍)を圧倒し、局地戦では薩軍の狂気的な切り込みと血煙にひるんだ官軍の雑兵がぶつからずに逃亡することもあった。薩軍の精鋭兵の大半は、薩摩藩のお家流儀の剣術である『示現流(じげんりゅう)』の使い手であったが、示現流は幕末の京都でも他流派の免許皆伝をすれ違い様に一撃で斬り殺すなど、殺人剣として知られた剣術であった。

ゲリラ的な薩軍の切り込み部隊の決死の突撃によって、近代装備で武装した官軍の兵士は蹴散らされてかなりの死者を出したが、逆説的に薩軍は『銃砲の近代装備が不十分で兵員が少なくても、百姓兵など剣で蹴散らして簡単に勝てる(大半はびびって逃げ出す)とのうぬぼれ・農民軽視の身分意識』から大敗を喫したともいわれる。

西南戦争は客観的に見れば、熊本城などの守備堅固な要衝が西郷隆盛・陸軍大将の権威によって無条件降伏を続けない限り、兵員数の違いによって薩軍に勝目はなかった(結果として明治政府から官職・任務を賜った谷干城中将をはじめとする将軍は西郷大将の恩顧・権威よりも公式の政府命令に従って装備の弱い薩軍を賊軍として打破した)。

薩軍の有力将校である桐野利秋(きりのとしあき)などは竹竿を振って、『このひと振りで熊本城など簡単に落とせる』と現実無視のむなしい大言壮語をしたともいわれるが、この桐野も伝説的な示現流の達人とされる。幕末に『人斬り半次郎(旧名・中村半次郎)』として佐幕派の要人を何人も斬殺した履歴を持っている。中村半次郎はターゲットを定めた場合に、暗殺を失敗することがなかったとされる瞬発力がものをいう抜き打ちの名人で、すれ違いの歩調を変えずに鋭い抜き打ちを複数回放つことができたという。

薩摩の示現流は、敵の太刀捌きを読んで冷静に動くようなテクニカルな剣術ではなく、太刀行きの迅速さと正確さ、決死の覚悟(チェストに代表される絶叫的な気勢)を徹底的に磨いて、先手必勝とばかりに凄まじい一撃で相手を袈裟に切り下げて葬る剣術である。

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法家の李斯(りし)・秦の始皇帝・宦官の趙高(ちょうこう)・暗愚の胡亥(こがい):権力と才知と阿諛・讒言

李斯(りし)は情状を関与させない『法律』によって厳格に賞罰を規定する『法治主義』を、秦の始皇帝が支配する絶対君主制の下で初めて実現した法家の英才だが、後世の人物評では始皇帝死後の変節・醜態、哀れな末路によって士としては余り評価されない人でもある。

李斯は楚の庶民・微賎の官吏から秦の宰相にまで上り詰めた立身出世の人でもあるが、若い頃に『便所にいるネズミ』と『穀倉の中にいるネズミ』を比較して、同じネズミであってもいる場所によって飽食か飢えるかの境遇に天地の開きがあるとして、人間の賢愚の区別・境遇の良否も『能力・才覚』以上に『環境・コネ』で規定されるとして、楚を離れ大国の秦に赴いたという。

李斯の原点は、大国の権力者に取り入ることによる貧困・卑賤からの上昇志向であり、そのためには軍事的・法的な手段を選ばないというリアリズムに強みがあった。歴史・地理・帝王学に明るく弁論術において、諸子百家の遊説家の中でも一段抜けた才覚の持ち主であった。秦王(後の始皇帝)に対して『古い周王室の権威など無視して諸侯の国の降伏も許さず、一気に武力で滅ぼして秦に併合すべき(息の根を止めなければ再び諸侯が連合して秦に抵抗してくる)』と進言して、始皇帝の全国統一への道筋をつけた。

破格の出世街道を驀進する李斯は、他の重臣や将軍からのやっかみや怨恨を受けて誹謗讒言もされるが、始皇帝の全国統一後にその身分は人臣最高の宰相に任じられ、『始皇帝と自分以外のすべての諸侯・重臣の実権』を法律によって剥奪しようとした。李斯は秦の全国統一を永続化させる計略として、日本の豊臣秀吉の刀狩りや徳川家康の改易・お家取り潰しのような政策を行って、秦内部の郡県の城壁をすべて破壊し軍隊を解散させ、刀剣を溶かして武器を大幅に削減した。

李斯は王族・功臣に大きな封土と権限を与えて忠誠を誓わせる『封建制度・諸侯制度』も否定して、天下のすべての土地と人民は皇帝一人に帰属し、皇帝の子弟・血族・重臣といえども一国の主に等しい諸侯のような地位につければ謀反の危険(皇帝の実権喪失の恐れ)が高まるとした。

李斯の封建制度廃止に反対する臣下からは、『古代の殷・周の王朝は恩義と領土を与えた王室尊重の子弟・功臣によって千年以上も存続した(忠誠を誓う諸侯は王室の守りとなる藩屏である)』との意見も出たが、始皇帝は李斯の提言を採用して自らの子弟・功臣にも諸侯封領を与えなかった。皇帝が子弟・功臣をも奴隷同然として粗略に扱い、恩義と忠誠心を軽んじたことは、秦王朝がわずか二代で虚しく崩壊する原因(亡国の危機にも誰も立ち上がる重臣・将軍がいない)にもなった。

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今上天皇の譲位(退位)可能な法改正のご要望:古代・近代の天皇制の歴史・国民の支持率の高さについて

近代天皇制は戊辰戦争で『錦の御旗』を掲げた薩長の政治利用と現人神化・一夫一婦制採用に始まり、『男系の皇統維持・天皇個人の限界への配慮』に問題も多い。譲位も戦後より早く議論されるべきだった。

<陛下>「変わらぬ形を」 おことば公表前、学友に打ち明け

敗戦時、米国議会では昭和天皇を最大の戦犯として軍事法廷にかけ処刑すべきの意見も出たが、当時の日本の国体・主権の中心にある天皇を害した後の『占領統治の困難・徹底抗戦のテロリズム』を警戒し見送られた。日本の天皇制は外国の君主制より庶民の国民アイデンティティと国親の象徴、歴史の一貫性に根を下ろしていた。

日本の教育制度(日本史の歴史教育)にも組み込まれた天皇制は『日本人とは何であるか?』という日本国民の半ば歴史・半ば神話的創作の自己アイデンティティと水面下で結びつき、意識化しなくても天皇制廃止に不安感・喪失感を感じる国民はかなりの割合になる。日本は共和主義的・革命的・脱神話的な自意識にはなりづらい。

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