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タイのプミポン国王の死去とタイ国民に与えた影響:君主の死が象徴する一つの時代の終わり

君主の死に特別な歴史・社会的な意味を持たせ『長期の服喪・自粛』をするのは、人の弱さ・迷信・依存に過ぎないが、強制力を超越した君主の権威が国の混乱を収拾した例にプミポン国王も当てはまる。

タイ国王死去で自粛の波 観光に影響、ムエタイも中止

タイ王室は第二次世界大戦後の軍事独裁政権下で『傀儡・象徴』に堕落しかけたが、プミポン国王はタイの決定的政局で『正統的な権力の所在』を自らの意思によって指し示す立憲君主制の離れ業を仕掛けながら、『タイ国民同士の内戦』をギリギリのラインで何度も回避した。プミポン国王の顔・権威で内戦の暴力が抑制された。

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加藤紘一が死去:YKK時代・加藤の乱と自民党総裁(首相)への年功序列からの脱落

加藤紘一は山崎拓・小泉純一郎とのYKKで、宏池会会長の座を得たポスト小渕の最先鋒でありながら、『加藤の乱』に敗れ遂に首相になれなかった。加藤の乱は森派の小泉を利したが、小泉の派閥闘争・政局での強さが見えた。

<加藤紘一さん死去>悼む声、政界から相次ぐ

加藤紘一が自民党の年功序列から落ちて挽回が叶わなかった面では、幹事長・派閥の領袖になりながら総裁・首相になれなかった小沢一郎の軌跡とも重なる。加藤紘一と一蓮托生の山崎拓にせよ、加藤の乱で大将と持ち上げた谷垣禎一にせよ、自民党中枢に近づき順番を待ちながら、遂にターンを逃し追い抜かれる不器用さを感じた。

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日米戦争における広島・長崎への原爆投下を日本・米国はどのように解釈すべきか?:戦争終結・戦争犯罪(人道の罪)

原爆投下は開発した最新兵器を試したい米国の意図があった。客観的には市民を大量虐殺した戦争犯罪だが、御前会議における一億玉砕の徹底抗戦論者を諦めさせる役割を果たした一面も確かにある。

「原爆が日本を平和主義にした」 米紙コラムなぜ書いた (朝日新聞デジタル – 08月10日)

日米戦争の敗戦がなければ、日本の内発的な自由化・民主化はなかっただろうし、天皇の威を借る軍部の政治的な影響力が強いままで、議会政治は骨抜きにされただろう。『軍・軍産複合体の自己保存』のために、現代の米国・中国・北朝鮮のような仮想敵の設定や示威行為を繰り返さなければならない情勢が続いたかもしれない。

近代国家が腐敗したり予算が拡大したり人権が抑圧される原因の一つは、一度大きくなった公的組織の規模や予算、俸給を減らす事が難しい『官僚機構の自己肥大・自己保存』にある。これは軍と官僚機構を入れ替えても成り立つ。軍も官僚機構も自己保存のため『次の仕事や敵』を自ら作り出し、その必要・危機を喧伝する。

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戦後71年、アジア太平洋戦争の反省を語りながらも風化していく記憶・感情:なぜ国民国家は戦争に向かうのか?

日本やドイツは『遅れてきた近代国家』で、『民間市場の小ささ(国策の工業依存)・国民の貧しさ・国民教育(国家の為の人)・対欧米列強』で強い政府・権力が推進する帝国主義・戦争が不可避になりやすい面はあった。

天皇陛下、「深い反省」再度表明=終戦記念日 (時事通信社 – 08月15日)

平均的な現代人からすると、なぜあそこまで国家・元首(天皇)・戦争に一般国民があれほど熱狂し賛同したのか分かりづらい。国民教育やプロパガンダの影響もあるが、根本にあったのは『世界恐慌・アイデンティティ固定・国民の貧苦と格差』で、富国強兵・帝国主義の夢と一体化で自己イメージ・存在意義を拡張しやすかった。

貧しさや孤独、将来悲観は人間を惨めに弱気にする。近代国家の国民を一つに束ね外敵と権益を奪い合う戦争機械の役割は、『正義・強大・理想を体現する国家』に自己アイデンティティを重ね合わせることで『国民の平等・目的の意識』を高めてくれた。国の大きさ・強さが我の大きさ・強さとなり、個人は差異化せず同一化した。

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龍樹(ナーガールジュナ)の“独立した存在”を否定する『中観・空』の思想:この世に確かなものがなく、『記号(言葉)』が虚構であるとする世界観は救いか虚無か

原始仏教の流れを汲む上座部仏教(小乗仏教)には『学問・修行・瞑想に専心する出家者のエリート主義』があり、サンガ(僧団)の共同生活の前提はあれど、『個人の自立・研鑽・悟り』に重きが置かれていた。

易行や信仰(帰依)によって、誰でも簡単に救済され得る、死ねばみんな成仏できる、念仏称名だけで十分な功徳になるとかいった『平等主義・大衆救済(一切皆苦の緩和)』の要素は、大乗仏教・浄土門・阿弥陀信仰の隆盛と拡大によって急速に広まったと考えられる。

大乗仏教の原点にいる人物としてインドの龍樹(ナーガールジュナ,2世紀)がいる。龍樹は頭脳明晰な学問の天才としての前半生で慢心して、国王の後宮に秘術で侵入して王の美女を蹂躙する快楽主義に溺れ、その罪が発覚して学友3人が処刑され唯一自分だけが生き延びた(生き延びて愛欲が苦悩の原因とようやく知った)という異色の経歴を持つ学僧である。

龍樹は仏教思想では、この世界に絶対的な実在は存在せずすべては相互依存的なものに過ぎないとする『中論(中観派)』『空』を提唱したことで知られるが、原始仏教の単独でも実在するもの(原理的な存在・独立的な真理)があるとするアビダルマの仏教体系を否定する独自の思想のほとんどは『般若経』に由来しているようだ。

『空』とは何かを一言でいえば、どんな事物でもそれ単独で独立して存在することはできないとする『無自性(無自性空)』であり、すべてのものは釈迦が『縁起』と呼んだ相互の因果関係によってお互いに作用して依存しながら現れでる『仮定の現象・暫時の幻影』に過ぎないとする。

空は仏教の四法印の『諸行無常』を規定する原理的概念としても理解することができるだろう。

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ジャイナ教のマハーヴィーラと物質化された『業(カルマ)』:世界初の無私有者を目指した全裸の変人・修行者

釈迦を始祖とする『原始仏教』の思想に影響を与えたものとしては、バラモン教とその原点にあるウパニシャッド哲学が有名だが、同時代人とされるマハーヴィーラ(ニガンタ・ナータプッタ)の『ジャイナ教』の生命尊重と難行苦行の世界観も釈迦に少なからぬ影響を与えたとされる。

ジャイナ教の概念の独自性として『業(カルマ)』の物質化(素粒子化)があり、業(カルマ)というと一般的には『行為の目に見えない善悪の積み重ねとしての現世での宿命・過去の行為がはねかえってくる因果応報の原則』として解釈されるのだが、ジャイナ教は業(カルマ)を霊魂に付着する物理的な微細物質として定義した。

善なる行為や苦行の実践によって、素粒子のような微細物質である業(カルマ)を軽減することができるというジャイナ教は、仏教のような目に見えない過去世の行為(カルマ)の積み重ねによって、『現世の宿命』が決定されてしまうという世界観よりも、本人の努力や意志がある程度まで通じ得るという点において倫理的ではある。

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